勇者のやり直し~世界を救った勇者は美少女に生まれ変わる

小林誉

第45話 小さな手助け

「ここだよお姉ちゃん!」


街の一角、奥に進むにつれて雨風も防げるかどうか怪しい建物が並ぶようになった頃、リーナは一軒の家に飛び込んだ。扉代わりに使っている布を捲り上げて中に入ると、そこには布を重ねただけの、ベッドとも言えないものに横たわる、一人の若い女性が居た。髪の色はリーナと同じ焦げ茶色で、リーナによく似た顔を苦しげに歪めて荒い息を吐いている。栄養が足りていないのか、腕や足は痩せ細り、頬も少しこけていた。歳はカリン達より少し上に見える。


「お母さん! ギルドの人が助けに来てくれたよ!」


そんな母親に飛びついてリーナが体をゆすってみても、女性はうめき声を上げるだけだった。涙目で振り返るリーナを安心させるため、彼女の頭を一撫でしてから俺は母親の側に立って両手をかざす。


一般的な冒険者が使う状態異常を回復させ魔法は、毒や麻痺などの簡単な治療しかできない。持病や重い病の場合だと専門職――神官クラスの神聖魔法でしか治せない。でも、俺の使う魔法は彼等と同じかそれ以上の回復効果がある。大勢を一度に治せる能力は神官に及ばないけど、対象を一人に限定すれば強力な魔法だ。


(久しぶりに使うからな。ちょっと集中しないと)


手の平に魔法の光が宿り、徐々に熱を帯び始める。体内を駆け巡る魔力が意味のある言葉と共に体から離れようとしていた。


状態異常回復キュア


俺の手から離れた光が苦しむリーナの母親の体を優しく包むと、途端に彼女の呼吸が穏やかになった。さっきまで苦しそうだった表情は穏やかになり、顔色が明らかに良くなっている。これで完治したはずだ。彼女の瞼が二、三度ピクピク動き、ゆっくりとその目が開けられる。母親が目を覚ましたことに安心したのか、リーナは泣きながら彼女の体に飛びついた。


「お母さん!」
「……リーナ?」


自分にしがみついて泣いている娘に戸惑いながら、彼女は側に立っていた俺に気がついたのか、静かに見上げる。


「あの……貴女は?」
「初めまして。私はラピス。冒険者ギルドの受け付けをしています」
「ギルドの方? ど、どうも……」


ニッコリと微笑む俺に対して、反射的に頭を下げた母親。俺は事情を説明するため、とりあえずリーナが泣き止むのを待つ事にした。


§ § §


「そうですか……。リーナがそんな事を。ご迷惑をかけて申し訳ありません」
「気にしなくて良いですよ」


リーナが落ち着いてから、俺がここに来た理由と彼女の病気を治した経緯を説明すると、事情を知った彼女は深々と頭を下げた。リーナの母親――マリアさんはの病気は今の魔法で治ったはずだけど、彼女の表情は優れない。心配そうに自分を見上げる娘を撫でながら、安心させるように笑うマリアさん。俺には彼女が何を気にしているのか、言わなくても解っていた。


「ところで……その、お代はいくらぐらいでしょうか? 見ての通り我が家にお金はありませんが、出来る限り働いて返しますので……」
「依頼料ならリーナからもらってますから安心してください。そうだよねリーナ?」
「うん! 私が持って行ったんだよ!」


そう言って、リーナは嬉しそうに銅貨の入った袋を掲げて見せた。中に入っている枚数ぐらい嫌になるほど知ってるマリアは、戸惑うばかりだ。


「で、でも……それには銅貨が何枚かだけで……。病気を治してもらうには、金貨が何枚も必要だと聞いたことがあります」
「みたいですけど……そんなに気にしなくても良いんですよ」


元手なんか無かったし、使ったものと言えば俺の魔力だけだ。それも一瞬で回復するような魔力量だったから、今では完全に回復している。でもまぁ、マリアさんが不安に思うのも仕方が無い。誰だって、本当なら大金が絡むようなことをタダで良いと言われれば、何か裏があるんじゃ無いかと思ってしまうだろうし。このまま去ってしまえば彼女の不安は解消するものの、再び働きに出たマリアさんはまた無理をして体を壊してしまうはずだ。それだと何の意味も無いし、問題の一時的な解決にしかなっていない。彼女達に必要なのは、安定した収入の見込める仕事と栄養のある食事だ。そこで俺は一つの妙案を思いついた。


「マリアさん。普段はどんな仕事をしているんですか?」


突然話題を変えた俺に戸惑いつつも、マリアさんは答える。


「ええと……決まった仕事はしていません。商業ギルドに行って、臨時で雇って貰える仕事を探しているぐらいです。学もなくて身なりもこんなだから、あまり良くない場所でしか働けなくて……。大体が男の人に交じって肉体労働になります……」


金持ち相手をメインの客層にしている店なら、彼女の言うように小綺麗で学もある人間しか雇ってくれないはず。貧民街の人間を雇ってくれるのは、人を人とも思わないような、過酷な環境にある職場だけだ。もちろんその仕事が悪いというわけじゃ無い。人には向き不向きがあるから、何も考えずに体だけ動かしている方が楽な人も居るだろうし、机で事務仕事をする方が楽な人も居る。マリアさんには合わなかったと言うだけの話だ。


「家事手伝いの仕事とかは無かったんですか? 例えば、出向いた先の炊事洗濯をする仕事とかは?」
「あるにはあるんですけど、それはメイドと言うちゃんと訓練した人達が雇われますから、私のような素人だと難しくて……」
「なるほど……」


普段お城で見かけて便利使いされているように見えるメイドさん達は、実は高給取りだと聞いたことがある。いついかなる時でも主人の意に沿い、先回りして行動できる思考の速さと、塵の一つも許されないような徹底した清掃作業を行える体力に加え、主人と会話が出来るような教養も要求される。そんな彼女達と比べられたら、確かにマリアさんじゃ厳しいかも知れない。


「でも、炊事や洗濯が出来ないわけじゃないんですよね?」
「え? ええ、もちろん。この子の世話もありますし、日常的にやってることですから」


それだけ聞ければ十分だな。俺は戸惑うマリアに本題を切り出すことにした。


「じゃあマリアさん。俺の家で働いてみる気はありませんか?」
「え!? 貴女の家……ですか?」


驚くのも無理は無い。今の俺はとても金持ちに見えないから、とても人を雇う商人や金持ちと思えないはずだ。俺はそんな彼女を安心させるように、ニッコリと笑ってみせる。


「こう見えてもそこそこの収入があるんですよ。この国で勇者のパーティーが組まれたって話を聞いたことありませんか?」
「ありますけど……まさか?」
「ええ。私は一応勇者パーティーの一員なので、国からいくらかの援助をしてもらってます。でもその代償に、普段がとても忙しくなったんで、自分で炊事洗濯をしてる余裕が無くなったんです。それを貴女にやってもらえないかと思って」


今言ったことは、半分本当で半分嘘だ。俺達のパーティーが国から援助してもらったのは装備ぐらいで、報奨金や給金の類いは一切もらっていない。それはそれで問題があるけど、今は関係無いので別に良い。これが嘘の部分。本当の部分と言うのは言うまでも無く、自分で炊事洗濯をする余裕が無いところだ。カリン達は仕事次第で街に居たり居なかったりするから論外だし、ルビアスは城に住んでいるから関係が無い。唯一俺だけが毎日家に帰ってくるけど、受け付けや訓練所の仕事で疲れすぎて、毎日やる気力が湧かない。最近一人の時は自炊するのも面倒だから、露店で何かを買って家で食べるか、飲食店で済ませる事が増えていた。その分収入りはかなり増えているけど、使う暇が無いのであまり意味があるとも思えない。……別にサボってるとか、面倒くさくなったとかじゃ無いぞ。本当だぞ?


「ちなみに、マリアさんは仕事に出た時、いくらぐらいのお給料をもらってますか?」
「私は……その、恥ずかしいんですが、一日働いて銅貨二枚ぐらいです」


予想以上に少なかった。それで子供一人抱えたまま、日々の生活を送るには無理があるように思える。


「男の人は倍ぐらいもらえるみたいなんですけど、私はあまり力も無いから、それが精一杯だと言われてしまって……」


辛そうに顔を伏せたマリアさんに、リーナが心配そうに寄り添う。大丈夫よと言いつつその顔を撫でる彼女からは、言いようのない悔しさが感じられた。


「なら、私の家で一日働いてくれたら銅貨八枚を払います。どうです?」
「八枚ですか!? それはその……本当なら物凄くありがたいのですけど、良いんでしょうか?」
「もちろん仕事は楽じゃないですよ? 一日二回、朝と晩に私の家に来ての炊事洗濯に加えて、食材や日用品の買い出しもしてもらう事になります。もちろん費用はこちら持ちでね。休みは週に一日で、希望するならそれ以上休んでもらっても構いません。いかがですか?」


降って湧いたような幸運に、マリアさんは即答できず口ごもっていた。口頭だけで条件を出されても信じて良いか迷っているんだろう。それも当然だと思ったので、俺は彼女に家を見てもらう事にした。魔法で回復させたおかげか、病み上がりの割にはしっかりした足取りでマリアさんは歩いている。リーナはそんな母親と手をつなぎながら、突然訪れた散歩の時間にご満悦だ。


「ここです」


郊外にある一軒家。広い庭に加えて屋敷と言っていいような大きさの家に、マリアさんは驚いていたようだ。


「ここですか? 失礼ですけど、ラピスさんは貴族様なんでしょうか?」
「違いますよ。さっきも言ったように、私はただ勇者パーティーの一員ですから、それなりに収入があるのでこんな家を買えただけです。中も見てみますか?」
「はい。お願いします」


中に案内したマリアさんに、自分が掃除することになる部屋の数々や、使うことになるキッチンを見てもらった。今日はたまたま洗濯物や洗い物が溜まっていたので驚かれたみたいだ。普段ならこんな事はないのに。運が悪としか言いようが無い。一通り見て回った彼女は勧められた椅子に腰掛け、今は俺の入れたお茶を飲んでいる。ちなみにリーナはお菓子を与えられて上機嫌だ。


「どうですか? 一人じゃ大変だと思うけど、それに見合ったお給料は払うつもりですよ」
「あの、出来れば雇っていただきたいんですけど、本当に私なんかで良いんでしょうか? 特に美味しい料理が作れるわけでも無いし、力仕事が得意なわけでもありません」
「そこまで気負わなくても大丈夫です。私が望んでいるのは、あくまで一般的な普通の働きですから。それに……」


俺はチラリと視線をリーナに向ける。釣られたように彼女を見たマリアさんに、俺は笑いかけた。


「ここで働くようになったら、マリアさんは自分に合わない力仕事をする必要もなくなるし、リーナもお腹いっぱい食べられるようになるでしょう? 俺に出来る事は限られてるけど、こうやって関わった人を少しぐらい手助けしたいんです
「ラピスさん……」


突然『私』から『俺』に変わった事に驚いたマリアさんだったけど、表情を改めると俺に深々と頭を下げた。


「ありがとうございます。私に出来る事はたかが知れていますが、それでも良いというなら是非雇ってください。ラピスさんのご厚意に甘えさせてください」
「よかった! じゃあ決まりですね。早速明日からお願いします」
「はい。お任せください」


契約書の代わりに差し出したのは、握手を交わすための右手。それをしっかり握り返したマリアさんには、晴れ晴れとした笑顔が浮かんでいた。

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