半透明は黄金色に進化する

Mifa

罪と罰

「さようなら」の五文字に辿り着くまでに、長いながい時間を要した。喧嘩が――というより、一方的な激高が始まった瞬間から、私は頭のなかでその五文字を覚悟していた。



彼女は出ていくだろう。私は独りになるだろう。そうなる日が、絶対に訪れないと信じていたわけではない。
しかし、出来るだけそんな光景を考えたくはなかったし、こんなに早くやって来るとも思っていなかった。



だから恐るべきその言葉を聞いた瞬間、こわばっていた全身が一気に弛緩し、押さえつけていた涙腺が決壊した。


「行かないで」


という言葉を、投げかける事ができなかった。ばたん、と音を立てて閉まる扉だけが、私に現実を突きつけた。



春は嫌いだ。あらゆる境界があやふやになってしまうから。
出かけようか、と服を着替える時、いつも悩んでしまう。七分袖にしようか、まだ長袖の方がいいだろうか。家の中は暖かいけれど、外に出たらきっと肌寒い。そんな風にあれこれ考えて外へ出ると、家の中と殆ど変わらない気温で拍子抜けする。



暑くもなく、寒くもない。外でも中でも同じ温度。帰ってきて扇風機の涼しさに頬を緩ませることはないし、電車を降りて突き刺すような夜風に身を縮こませる事もない。
私と世界とを分かつ、半透明の境界。それがどっちつかずに染まってしまう季節が、私は大嫌いだ。
でも、本当にどっちつかずなのは私なのだ。だから私は、私自身の事を好きになれない。



彼女とルームシェアをして、二年余りだろうか。お互いお金もないから、家賃を安くするために、と始めた事だった。それに新卒一年目というのは、とかく孤独な戦いでもある。
所詮同期なんてものは、一時的な苦楽を共にするから仲良くなれた気がするだけで、実際は積み重ねた月日が非常に少ない。常に緊張状態にある。真に打ち解けられる同僚なんて、そうそう見つからない。
それとも、そんな事を考えているから、私って友達が少ないのだろうか。



とにかく、帰ってきた時にありのままの自分をさらけ出せる相手がいるというのは、とても有り難いことなのだ。


「おかえり、椿つばき


彼女は手堅い事務職を選んだ為、朝が早い分帰りも早い。対して私は販売職だから、日によってまちまちだ。面倒な客に捕まればどんどんタイムカードが遠のいていく。
彼女は土日休み。私は平日休みのシフト制。二人揃って休日というのはほぼ有り得ないが、休みの日に一人の時間が出来て、かつ掃除洗濯やらでもう一方をサポート出来るわけだから、むしろそのほうが都合が良かった。



全くもって順調だった。お互い恋人もいなかったし、私も、きっと彼女だって、あともう少しはこんな生活が続いてもいいだろう、と思っていた。
同じ速度で、同じ方向を見て、それでも少しずつ、ごく僅かに舵を切って離れていければと、そう願っていた。



彼女が別れを告げたのは、そういった私の甘えが原因なのだろう。歩く速度も、刻んだ歩幅も、彼女の方がずっと早くて大きかった。
もしくは、私があまりに前へ進む意思に欠けていたか。

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