蝋燭に消える物語

Mifa

少女と娼女

私は願う。彼女がもしも、辛く悲しい過去に囚われているのなら、その鎖から解き放たれて欲しいと。
私は祈る。彼女がもしも、酷く凶暴な未来を予感しているのなら、その幻から目を覚まして欲しいと。
私は想う。ただ一人、彼女の幸福と安らぎを。
私は笑う。そうして彼女が笑顔になるのなら。
これは彼女のために、彼女だけのためにある。
彼女の友人として、せめてもの贈り物として。
この記録を、密かに書き残しておこう。



——初めてこの村に彼女がやって来た時、私は不思議で仕方なかった。十四、五か、もしかしたらそれよりも幼いかもしれない少女が、たった一人で引っ越してきたのだから。
荷物は少なく、後になって見せてもらったが、中身は衣服や最低限の貴重品が殆どだった。
金のくせっ毛は愛らしくて、異国を思わせる顔つきも大層綺麗で――でも常に、彼女の目は曇って見えた。



臆病なんだということは、すぐに分かった。この村は風車と牧場と木々ばかりだから、何をするにも助け合う必要がある。
彼女は事あるごとに感謝と謝罪とを繰り返し、丁寧と言うにも極端な印象が強かった。



いつも家にいて、あまり外に出ない。出歩くときには右手で杖をつく。夏でも厚着で、なかなか肌を見せたがらない。一人ぼっちだというのにお金に困ってはおらず、着ている服もそこそこの上物。いくつもある本と、一つだけある人形が彼女の友達だ。



ああそうだ、それからもう一つ。彼女の名は、私がつけた。正確にはあだ名というべきか。あの子の一番風変わりな言葉を、今でも時々思い出す。


「好きに呼んでください」


本名も知らないのに、そんな頼み事されても! 察しがつくだろうけれど、そこら中によくある村というものは、そのコミュニティも随分小さく、皆顔見知りみたいなものだ。そんな中で生きてきた私としては、その奇妙な言い方に対し、「他所だとそんな事もあるのかな」なんて考えていた。


「よし、ゲルダなんてどう?」


「じゃあそれで」


とくにニコリともせず、お辞儀をされた。来たばかりの頃のゲルダは、そんな態度だったのだ。



「ねえ、アンナ」


私がゲルダに呼び捨てで声をかけられるのに、二ヶ月はかかっただろうか。誰とでも親しくなれる事が自慢なのに、この苦戦っぷりは中々に悔しかった。それでもようやく、友人になれたのだ。


「この花の名前、わかる?」


彼女は何にでも興味を持つ子だった。これは何、あれはどうしてこうなるの、なんて具合に、毎日なにかお題を提出される。
当時、私は十六歳。彼女は十三、四歳(正確な歳は彼女自身知らないらしい)。妹ができたようだった。
あれだけ本を読んでいるのに、疑問は絶えないらしい。それが彼女なりの甘え方だったのかな、と今ではそう思っている。



徐々に村の面々とも打ち解け、牛乳や卵を分けてもらっている所を見かけるようになった。すべては順調、しかし一つだけ、私を含む住人たちには疑問に思う点があった。
一人でいること、お金に困っていないことなんかは、色々と想像がつく。例えば裕福な家にいて、家出してきたとか。戦争孤児で、盗みなんかをしながらも此処に行き着いたとか。



後者ならば物騒な話だが、ここには金目のものなんて大してない。それに都市部からは遠く離れた、地図に載っているかどうかも分からない場所、どのみち安息を求めて辿り着いたのであろうことは理解していたのだ。



問題は、彼女の姿にあった。ひどく痩せていて、小柄。なかなか肌を露出しない。
そして何より、左腕は常に包帯のようなもので覆われている。やや厚手の生地で出来たそれを腕に通して、恐らく左手の指で引っ掛けて固定してある。夏場、ごくまれに半袖であってもそれは外さない。



恐らく、と表記したのは、彼女の左手を見た者は誰一人いないからだ。左手はいつもポケットに突っ込んでいて、左腕が動く様を見たことはない。



「ゲルダ、そっちの腕は大丈夫なの」


一度だけ尋ねたことがある。


「これは……動かないの。生まれつき」


右手で、左の肘辺りを擦る。伏し目がちの表情に戸惑った。せっかく友達になれたのに、悲しい思いなんてさせたくなかったから。


「ごめん、遠慮なしで」


「いいえ、そのほうがずっと楽だから」


そのほうが、楽。何もかも手作業で作り上げる生活だが、何不自由ない生活をしていた私としては、その言葉の示す現実というものに気付くことなど不可能だった。



でも、嫌われてはいなかった。太陽がこれでもかと光を放つ晴天では、たまに散歩へ出かけた。少し距離がある場合、ゲルダは杖を持って、私は籠を持って、花や薬草なんかを探しに出る。


「アンナは、この村が好き?」


何度目かの散歩の際、そう聞かれた。花の名前などではない質問をされるのは初めてだった。


「生まれてから、ずっとここで暮らしているからね。ゲルダは? 気に入ってくれた?」


「とても。みんな優しいし、何より詮索されないから」


杖でガリガリと地面をこすりながら、ぽつりと呟く。詮索、それを恐れている。彼女は、過去を忌み嫌っている。そして知られたくないと思っている。だからこそ、こんな田舎くんだりに来た。と、それぐらいは私にも分かる。


「ねえゲルダ、答えられないなら無視してもいい。前は、どこにいたの」


杖の音が止まる。しばし沈黙し、ゲルダは左腕を抱き寄せる。やはり、よほど辛い出来事があったのだろう。謝ろうとしたのとほぼ同時、彼女は私を見た。なぜだろう、初めて、彼女の瞳をしっかりと見た気がした。


「デンマークにいたの」


「デンマーク? 海の向こう側じゃない」


この国は南の端が海に接している。広大なとまではいかないが、そこそこ大きな隔てりだ。


「そこは……生まれ故郷だけど、私は怖かった」


「でも、ここよりは豊かと聞いたよ」


「そうじゃないの。これは私の問題でもあるの。ごめん、これ以上は」


出会ってから、一年半は経っていただろう。ようやく、彼女の秘密に少しだけ触れられた。
その話の続きを知れたのは、それから更に一年ほどあとのこと。まさか、悲しい記憶となるなんて。想像もしていなかった。

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