【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
四百八十一時限目 一人目の主役は割と普通にガチである
待ち合わせ時刻から二〇分遅れて到着した佐竹の頬は、ほんのりと赤く染めている。
駅から走ってきたようで、額に汗が浮かんでいた。
ちょっと大袈裟じゃないか? と思うくらいぜえぜえ息を荒げる佐竹は、振り子時計で時刻を確認し、「ふう」と一呼吸。いやいや、全然間に合ってないからね? 遅刻しているにも拘らず、なぜ『間一髪だった』と言いたげに安堵の息を漏らしたのか理解に苦しむ。
黒のバックパックを床に置いて、僕の隣にどしりと着席した佐竹は、上半身を僕に向ける。次の瞬間には拝むように両手を合わせ、目を閉じ、勢いよく首を垂れた。
「遅れてすまん!」
遅刻した理由は、メッセージのトーク画面に記してあった。ゆえに、状況は朧気には察するけれども、琴美さんとなにがあったのか詳しい話は知らない。
碌でもないことだっていうのは、わざわざ訊かずともわかるのだが……。
「姉貴がいきなり〝アンタは振る側じゃなくて振られる側なのを覚えておきなさい〟とか言うもんで、ついカッとムキになってちまったんだ」
その様子は、激情に負けて犯罪を犯した加害者の如く僕の目に映った。
ベテラン刑事の取り調べを受けている犯人が、「殺すつもりはなかったんだ」、「俺は悪くない」とでも供述しているような勢いである。
おそらく、むしゃくしゃしてやった、だれでもよかった、いまは反省していると、昭和の時代から、犯人の言い訳は九分九厘これに決まっていると言っても過言ではない。
琴美さんに捕まったのは多少なりとも同情しなくはないけれど、それで遅刻の罪がチャラになるとは佐竹も思っていないようだ。申し訳なさそうに「このとおりだ」と頭を下げ続ける。
情情酌量の余地があるならば、頑なに許すまじとした態度を取るのもせせこましいだろうと表情を弛緩させて、
「わかったからもういいよ。──それで、琴美さんとは他にどんな会話を?」
僕の言葉を最後まで訊き終えた佐竹は、ちらちらと上目遣いで様子を窺いつつ、おっかなびっくりに面を上げた。
「頭に血が昇ってたこともあって、あんまし覚えてないんだけど」
「うん」
正しくは『あんまり」なのだが、話の腰を折るのはやめておこうと呑み込む。
僕は臨機応変に空気を読むヤツなのだが、状況次第では空気を読まない無神経さも兼ね揃えているのである。
実生活で空気を読むタイミングがほぼ皆無なもので、そうしているうちに空気と同化してしまったという、まるでミイラ取りがミイラになった的な話だ。
「普通にムカついたのは〝プレゼントのセンスがキモい〟だったな。マジで」
「お、おう」
センスが『悪い』ではなく『キモい』を使う辺りが琴美さんだなあ、とは思う。だが然し、いつもの佐竹であれば琴美さんの煽りに一々目くじらを立てたりはしなかったはずだ。
ヘッドホンはプレゼントとして無難な答えだと思うけれど、琴美さん的には『なし』だった。すると、なにを渡すのが正解だったのか。
手編みのマフラーなんて佐竹の柄じゃないし、そもそもマフラーを編む技術は持ち合わせていない。そんな器用な真似ができるヤツではないことは、日々佐竹と行動してきた僕が一番把握している。
頑張ってもあやとりの輪っかしか作れなそうである佐竹に、琴美さんは一〇〇点を期待しているはずもないだろうし──であれば、ヘッドホンと結論を出だした佐竹はぎりぎりながらも及第点を取れているように思える。
琴美さんの採点は、赤ペン先生よりも手厳しい模様だ。
「……そういや、ダンデライオンも久々にきたな」
テーブルの木目を撫でつけ、しみじみと言う。
「実は」
僕は佐竹の横顔を目の端に入れながら、ブレンドを一口飲んだ。苦味と、酸味と、仄かな甘みを舌の奥で感じる。
「ここにくるのがちょっと怖かったんだ」
「怖い?」
佐竹は「ああ」とだけ頷き、苦笑する。
おうむ返しをした僕ではあったけれど、佐竹の『怖い』には僕も思うところがあった。
ダンデライオンにいきたいと思えない日々が苦々しくも続いて、曜日を重ねる毎にいきづらくなってしまったのだ。
佐竹が僕と同じ感想を抱いているとするならば、ダンデライオンを訪ねなかった空白の時間を、佐竹なりに意味を込めて『怖い』と表現したのだろう。
『怖い』とは、また言い得て妙ではある。
喩えば、なにか思うところがあって学校を休んだとする。
その翌日も気が乗らずに休めば、段々と学校にいくという意識が薄れていき、最終的に学校にいくことを『怖い』と感じるようになる。
それは学校に限らず、極限までいけば外出すらもままならなくなるのだが、佐竹の症状はそこまで重くはない。現に、ダンデライオンを訪ねているのだから。
しかしいっかなこれまたどうして、佐竹がダンデライオンを怖いという理由がわからない。
僕の場合は、お客さんが増えたせいでダンデライオンが遠くにいってしまったように感じていた。
これはインディーズバンドがメジャーに進出したときのファンの心境と同じもので、図々しいというか、厚かましいとでも言い換えようか、そういう段階の話である。
そんな話をしていると、壁の向こう側にあるドアが、カロリン、とベルを鳴らせた。
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