【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
四百七十八時限目 彼女は改めて恋愛を知る
ふと時計を見遣れば夕方の時間帯になっていた。
いつ降り始めたのか、雪が降っている。
帰りのバスを待つ人々の列に並びながら、左手に持つ楓のプレゼントを濡らすわけにはいかないと、体の前に持ってきた。
ユウちゃんは私の左腕に掴まったまま、しんしんと降る綿毛のみたいな大粒の雪をじと眺めていた。なにか考えごとをしているような、そんな表情を浮かべている。
駅に着けばデートが終わる。だから、バスなんて来なければいいのにと思った。もしもサンタクロースが私のプレゼントを用意してくれているのなら、ここに並ぶ乗客だけをバスで駅に運んで、私たちを閉店の時刻までこの場所に取り残してほしい。
だけど、物理法則さえも捻じ曲げてしまうような特殊能力然とした力をサンタクロースが持っているとは思えない。
童話のなかだけに登場する白髭のおじいさんは、精々、他人の家の煙突をくぐり抜けるだけの空き巣みたいなテクニックを所持しているだけだもの。ホウホウホーウ、だなんて、暢気なものだわ。字面だけ見るとゴリラみたいね。
バス停に巡回バスが到着し、列が流れ始めた。
段差のことを英語で〈Step〉と呼ぶけれど、慣用句の『ステップを踏むように』なんて気軽な足取りなんかでは決してなくって、どちらかといえば、気がすすまない習い事に向かうときの重苦しさに似ている。
乗車して周囲を左見右見し、空いている座席がないことを確認した私は、最後の悪あがきだとばかりに後方へ進んだ。
さすがにバスのなかでくっ付くわけにはいかないと思ったけれど、ユウちゃんは腕こそ解いていたものの、体はぴとと私の左腕にひっ付けている。
『発車します。お近くの吊革にお掴まりください』
車内アナウンスの後、バスが発進した。
時速四〇キロ弱で、見知らぬ街並みが右から左に流れていく。
私の前にあるダブルシートに座る大学生っぽい大人びた男性のイヤホンから、シャカシャカと乾いた音が漏れている。普段なら絶対に煩わしく思うけれど、今日は然して気にならなかった。
疲労と、楽しかった思いと、やり残したことがあるんじゃないかって不安と、一握りの後悔が混ざり合った微妙な気分がお腹の下辺りで溜まり、消化不良を起こしているみたいだ。
──やれることはやったはずよ。
と自分を騙してみても、このままデートを終わらせてはいけないという焦燥感が私を襲い続けた。でも、バスは駅とショッピングモールを行き来するだけで、途中下車はできない。最悪、強引にでも途中下車してしまおうかと頭の片隅で考えていた私は、そのことをすっかり忘れてしまっていた。
楓に渡すプレゼントが、いやに重たく感じる。
このプレゼントさえなければ、両方の手でユウちゃんの温もりを感じることができるのに。抱き締めることだって……いいえ、この場をセッティングしてくれた楓を恨むなんて筋違いだ。
──すきな人を前にすると、私はかなり自分勝手になるようね。
そうじゃなければ日光の温泉宿であんなに大胆な行動に走ったりはしないだろうし、休日にユウちゃんを呼び出してこっそりデートを楽しむこともしなかっただろう。
──あれ?
ちくり、と胸に痛みが走った。
どうして? と私は思った。
すきな人を前にしたら自分勝手になるのも当然じゃない。それに、佐竹だってなんだかんだ言いながらも優志君とキャンプ──宇治原と流星もいたらしいけど──したり、お泊りしたり、この前はファンタジーパークにいったじゃない。
それなのに。
どうして、いま、注射されたような痛みが胸に走ったの?
どうして、どうして、どうして──。
「レンちゃん、泣いてる!?」
「え? あ、あれ……? いや、そんな、泣いてないわよ……?」
デートは楽しかった。
それなのに、私の瞳からは涙が落ちていた。
人前で涙を流すなんて格好悪いのに、感情が溢れるように涙が止まってくれない。
「と、とりあえず落ち着こ? ね? バスを降りたらどこかお店に入ってさ? まだ時間あるし」
「──うん」
『まもなく終点です。お忘れ物のないよう、ご注意ください』
* * *
バスを降りて駅ナカを通り、東口よりは栄えている西口に出た。その頃には涙も止まってバスに乗ってたときよりも落ち着いていたけれど、ユウちゃんが私を気遣ってくれることに甘えた。
最低だ、と思う。でも、最低なのはいまに始まったことでもない。
「どうしてこの駅の周辺には気の利いた喫茶店がないんだろ……」
ユウちゃんは不満げに愚痴を零した。
ロータリーを囲むようにしてある店で気軽に入れそうなのは、マックと牛丼屋くらいだ。
「冬季限定のマックフルーリーでも食べる?」
手持ちのカードはそれくらいしかないとでも言いたげに、ユウちゃんは困ったように笑った。
「私たちが大人だったら居酒屋に入れるけれど、居酒屋に高校生が入ってはいけないって法律はないとはいえ、居酒屋側としては二十歳未満の入店はお断りたいだろうし」
「丁度、甘い物が食べたいって思ってたから」
そういうとほとしたように息を吐いたユウちゃんは、「マックならクーポンあるし、任せて!」と胸を叩いた。
マックに到着した私たちは、冬季限定のマックフルーリーを注文して、適当な席に座った。
マックに入ると『マックの匂い』としかいえない匂いがして、私のトレーにはフライドポテトのMサイズがマックフルーリーと同席していた。
甘いとしょっぱいのコンビネーションを最初に考案した人は偉大よね。みたらし団子や照り焼きとか。
奏翔は照り焼きマックバーガーがすきで、美味しそうに頬張る姿を見ているうちに、それまではフィレオフィッシュだった私は、いつの頃からか照り焼きマックバーガーを食べるようになった。
私の舌は男子の好みに寄り添える、とっても便利な舌なのだ。
「よかったらポテトも食べてね?」
ありがと、ユウちゃんは頷く。
「ポテトとバニラアイスって、もしかしたら相性よかったりする?」
「どうなのかしら。あまりそうやって考えたことはないわね……」
「バニラアイスにごま油を掛けて食べると美味しいじゃん?」
「え、そうなの!?」
想像すると気持ち悪いけれど、料理もお菓子作りだって得意なユウちゃんが太鼓判を押すくらいだし、今度やってみようかしら。──胡麻アイスを買えばいい話では?
「譬えば、蒸したじゃがいもにバニラアイスを乗せるとか美味しそうじゃない?」
バターの代わりにバニラアイスってわけね。
同じ白だけど、合うのかしら?
「ハニーマスタードってソースがあるくらいだから、バニラソースもいけそうじゃないかって……うん、今度試してみる」
「美味しかったら教えて? 私もやってみるから」
「しれっと実験台にされてない?」
「こういうのって言い出しっぺが率先してやるべきでしょう?」
ユウちゃんは口を尖らせてフルーリーを一掬し、悔しそうにスプーン噛んだ。
「意地悪するレンちゃんには、美味しかったとしても教えてげないもんね」
「そこまで興味があるわけでもないし、私は構わないけど?」
「ぎゃふん……」
ユウちゃんだって蒸かし芋のバニラアイス乗せなんてどうでもいいはずなのに、ここまで態とらしくも食い下がったのは、私の心を落ち着かせようと必死だからに違いなかった。
嬉しいけど申し訳なくて、楽しくなるほど切なくなって、あの涙は私が置いた地雷を踏み抜いてしまっただけなのに、それさえもユウちゃんは自分のことのように、冗談半分真剣半分で向き合ってくれている。
──だいすきだなあ。
心の声は外に漏れたりはしない。音量をあげたとしても、イヤホンからシャカシャカ乾いた音のように、だれかに訊かれたりはしない。本音を隠すのは当然だけれど、大切なことを口に出さずに伝えられたらどんなに楽だろうか。
でも、その過程を無視してしまえば、きっと大切気持ちは大切じゃなくなる。
大切だからこそ口に出さなくちゃいけないなんて、恋愛は本当に厄介だ。
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