【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
四百七十一時限目 重なる瞬間
「開けてくれ」
佐竹君に促され、私は白灰色のケースを開いた。
箱のなかに入っていたのは指輪だが、女性用の指輪ではない。
全体的にシンプルな作りだ。
黒い天然石のような物が八角形にカットされて、リングに埋め込まれている。──女性が付けても問題なさそうなデザインだけれど。
「安物だから、多分、石は偽物だけど」
「これを私に?」
「ああ」
と静かに頷いて、
「優志、お前にだ」
「え?」
──いま、佐竹君は『優志に贈る』と言ったの?
私は指輪を取り出し、リング部分を親指と人差し指で摘むようにして目の位置まで持ち上げた。石自体は然程大きくはないけれど、存在感はある。ボコッとした表面を左手の人差し指で触れてみると、ツルっとしていて気持ちがいい。
ただ、私──ではなく優志には、普段から装飾品を付ける習慣はなく、馴染みのない物を貰ってどういう反応をすればいいのか困ってしまった。
だが、それだけではない。
優志に贈られたプレゼントを優梨が喜ぶべきなのだろうか、とも。この姿で優志としてリアクションするのが正しいのかどうかもわからず、脳内は混乱するばかりだ。
「どうして〝優志〟にプレゼントなのか、訊いてもいい?」
「なんつうか、あれだよ。感謝の気持ちってやつだ」
「感謝の気持ち?」
佐竹君に感謝されるようなことは……記憶を振り返れば多々あるのだけれど、今更になって言われてもというのが本音で、殊更にリアクションしづらい。
「いままでありがとう、と、これからもよろしく的なアレだ」
「面と向かって言われると恥ずかしいね」
「それはお互い様だっての。マジで」
「あ、ごめん──そういえば私、佐竹君にあげるプレゼントを用意してなかった」
楓ちゃんに渡すプレゼントにばかりに気を取られていたせいか、レンちゃんに渡すプレゼントさえも用意していない。
レンちゃんには手作りのお菓子でどうにか収められるとしても、現段階で佐竹君に渡せないのは大失敗だ。
「どうしよう、か」
「気にすんなって。お返しを期待していたわけでもねえから」
「そういうわけにもいかないよ。今日は特別な日、でしょ……?」
期待していない、という強がりを真に受ける私ではないのだ。
誠意には誠意を、をモットーにしているのに。
「じゃあ」
そういって、佐竹君は体ごとこちらに向ける。
真剣な眼差しに、嫌な予感が──。
「キス、してくれよ」
そう、なるよね……。それを察していたからこそ、佐竹君へのプレゼントを失念していた自分が憎い。
「ほっぺでもいいんだ。頼む」
と申されましても、私としてもハードルが高い行為でありまして、清い学生生活を送るのであれば、キスという行為は不健全な行動に値するのではないでしょうか? と、言っていられない状況だ。
それに、渡すべきプレゼントを買ってこなかった私が悪いのであって、佐竹君の欲望、元い要求は至極当然とも謂える。罰ゲームとでも思って一息に……。
──いやいや、そんなの無理だって!
ほっぺたでいいと譲歩してくれた佐竹君には申し訳ないけれど、「じゃあキスするね」と簡単に言えるほど私は往生際がよい性格じゃない。チョコレートを買うときだって、アーモンド入りにするか、それともマカダミアにするか真剣に悩むような優柔不断な私が、キスするべきか否かを決断するのにどれほどの時間が必要になるかもわからない。それだけでアニメ一作品を見終わるには余裕まである。
「……やっぱり嫌か?」
寂しそうに笑う姿を見させられたら、「はい無理です」と断れないでしょう? これもイケメンの成せる強引さというものなのかしらん? それとも女の子を落とすためのテクニック? 私じゃなければ唇に突撃しているかもしれないけれども、相手が私みたいな面倒臭いヤツで本当にごめんなさいと言いたい。
「しゃあない。じゃあ後でコンビニでエナドリでも買ってくれ」
「それは、プレゼントにはならないよ」
「言っただろ? お返しは期待してないって」
二度も同じ台詞を言わせてしまった申し訳なさと、自分の踏ん切りの悪さにはほとほと辟易してしまう。
──女は度胸、か。
正確には、私の性別は女性ではいない。でも、これから先、私が女性として生きていくと決断したとき、隣には私のことを理解している人がいて欲しい。それが佐竹君でも、レンちゃんだったとしても、それ以外の人であっても、この条件だけは絶対に譲れない。
然し、私が私らしくいられる人は、佐竹君かレンちゃんの隣以外に考えられないのも道理。ここから先、どんな人生が待っているかはわからない。それでも、二人以上に私を理解してくれる人が現れる保証もないわけで。
ずっと一緒にいられるなんて夢見心地なことは言わないし、そこまで乙女でもない私だ。現実は残酷で、非情でいて非常である。──であればこそ。
今日だけは特別な日だからと自分に言い訳して、佐竹君の欲求を、欲望を、サンタクロースの代わりに叶えてあげてもいいんじゃないか。
「あのさ」
佐竹君の伝家の宝刀を、私が使う。
いつも言われる側の私の心境を、佐竹君は感じてくれるだろうか。
「お、おお?」
表情に戸惑いの色が見える。
それがおかしくって、枝の葉が揺れる程度に笑ってしまった。
「目、閉じて」
「へ?」
今度は間抜けな顔をして、瞼を瞬かせる。
「ほっぺでいいなら……特別、だからね?」
「本気か。いや、ガチか!?」
「私の気が変わらないうちに目を閉じたほうが懸命だと思うよ?」
そう言われた佐竹君は、再び私のほうに体を向けて、ゆっくりと瞼を閉じた。瞼の裏側で眼球きょろきょろと動いている。期待してるのかな。それとも恥ずかしいのかな。嬉しいのかな。どれだろう?
佐竹君の顔に近づくと気配を察したのか、きょろきょろ動いていた眼球が静止した。吐息を漏らせば顔にかかる距離。あ、口臭が酷かったら恥ずかしいな。昼食にラーメンを選ぶ佐竹君が悪いんだよ? なんて、この場面で冷静に分析している自分に一驚してしまった。
あと数センチ近づけば頬に触れるというときに、部屋に設置されている電話がピロピロとけたたましい音を鳴らして──。
咄嗟に頭を電話に向けた佐竹君の唇と、私の唇が互いに重なった。
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