【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

四百六十九時限目 ようやく二人はカラオケる

 
 池袋の街をあてもなく歩いていると、不思議な形をした銅像が建ててある公園を見つけ、私たちの足は自ずとそちらへ向かっていた。

 触れるほどの距離まで近づいた佐竹君は、珍妙な物を見るような目で繁々と鑑賞しながら、「これ、どんな意味を込めて作ったんだろうな」と呟いた。

 角度によっては左右を反転させたローマ字の〈F〉、或いは平仮名の〈く〉に見えなくもないのだけれど、そう呼ぶには少々歪な姿をしている。

 芸術劇場前に存在するには、芸術的ななにかが込められているに違いない。製作者の意図がどこら辺に込められているのだろう? と探すのも楽しそうだが、図画工作を不得意とする佐竹君と私では、一日費やしても答えに辿り着けそうになかった。

 謎のオブジェクトから離れ、近くにあったベンチ──四角い木材に足を付けただけの物をベンチと呼ぶかは怪しいが──に座った。

 アーチを描くこのベンチは、頭上にある円状の飾りに合わせて作られた物だと思われる。どうやら〈GLOBAL RING〉という名称らしいこちらのリングも、技術的な意図を以て作られたのかもしれない。

 芸術はヘンテコだね、と佐竹君に同意を求めると、佐竹君は「だな」と一言で返し、空を仰いだ。

 佐竹君に倣って私も空を見上げてみる。

 一面灰色の分厚い雲に覆われた空は、電飾で彩られた木々の浮かれ具合とは対照的で、とてもクリスマスを祝福している様子ではない。ときどき私たちの隙間に吹く凍てつくような風に体をぶるりと震わせて、マフラーを巻いてくればよかった、と後悔した。

「歩いたら体も温まると思ったんだけどな」

「汗が引いて余計に寒く感じるね」

 でも、ラーメンは美味しかったし、都会の景色だけを楽しむ散歩も悪くなかった。何度か足を運んだことのある池袋の街並みも、季節が変われば趣きも違って、偶に訪れるにはいい場所だと思う。まあ、住みたいかと言われると、そうでもないのだけれど。便利が当然になってしまうと、そこに特別を見出せなくなるから。

 適度に不便が丁度いいんだと思う。とはいえ、私の住む家がある埼玉の田舎は不便極まりなくて、唯一のイベントである夏祭りの規模も年々縮小気味だ。最寄駅にいくにもバスを経由しなければならないので、年頃の高校生には刺激が足りない。

 だからといっていいのかわからないけれど、暴走族風のバイクが公道を走っているのを稀に見かけたりする。力を持て余しているからなにをしてもいいってわけじゃないのに、その情熱をもっと別の方向に持っていければ、多少なりとも見識は広がりそうなんだけどね。

「これからどうすっか。──カラオケでもいくか?」

「どうしてそんなにカラオケ推しなの?」

「空調が効いてて、ドリンクも飲めて、駄弁るにはもってこいじゃん」

 肝心の歌はどうした──。

「小腹が減ったらポテト頼んでさ? そういうのも楽しいぜ。マジで」

 佐竹君の口ぶりだと、飽くまでも歌は二の次らしい。が、私も流星とカラオケ屋に入ったときは歌わなかったので、文句は言えない。

「だれも歌わないの?」

「歌うぞ? 主に宇治原が……下手くそだけどな」 

 ──それ、どこの郷田君だろう。

「佐竹君は?」

「俺もたまに歌うけど、八〇点以上は取ったことねえや」

 カラオケの採点機能がどれだけ正確かはわからないけれど、佐竹君は音程が取れる。合唱が多い梅高では、上手い方に分類されるのではないだろうか。

 私は……あまり考えないようにしてる。

 女子に混じってアルトパートを歌わせられるのがどうにも恥ずかしくって。というか、だれ一人として私が男子であると気がつかないのもどうかと思うのだけれど。ねえ、制服が違うでしょ? なのにどうして受け入れちゃうのかしらん?

「優梨は元々の声が高いからなあ。──変声期って知ってるか?」

「むしろ変声期がこい! って感じ」

「俺は、お前の高い声、すきだけどな。ガチで」

「ふ、ふうん……?」

 自分の声が褒められたことよりも、『すき』という言葉に顔が反応しちゃって大変だ。多分、林檎みたいになってる。

 意識しないようにしていても、これはデートなのだ。そういう意図で楓ちゃんがセッティングしたのだから言うまでもない。でも、この姿で面と向かって『すき』と言われるとこそばゆいというか、千言万語を費やしても表現できそうにない感情になる私だった──。




 その場に留まるのも限界になり、寒さを凌ぐためにカラオケへと移動した。

 雑居ビルのなかにあるカラオケ店の地下には、バンドマン御用達の練習スタジオがある。棘のスタッツをこれでもかと主張するように付けたライダースを着ているパンク風の男子たちの横を通りぬけ、エレベータで受付まで。

「いまどき硬派な服装をしてるバンドマンだったな」

 通された部屋に入るなり、佐竹君が言う。

 最近の流行りからは随分とかけ離れたスタイルで、売れないバンドの典型みたいな出で立ちだけど、こういう『オレたちがパンクだ!』と主張するバンドがいてこそライブハウスは盛り上がるのだろう。

 売れる売れないは抜きに、これからも頑張って活動を続けて欲しい、という感想はどうでもいいとして。

 部屋は四畳分ほどしかなく狭い。窓は遮光カーテンに遮られているせいか薄暗く、ディスプレイの明かりとスピーカーから流れるコマーシャルが、より一層不気味さを醸し出していた。

 置いてあるソファーも傷んでいて、清潔感のある部屋とはとても言い難い。これが都会のカラオケ屋なのね、と思いながらコートをハンガーに掛けて座った。

 佐竹君は空調と証明を調節し、充電器に挿してあるマイクを二本抜き取って、片方を私のテーブル前に置いた。

「あー、あー、つぇー、つぇー、はー、はー、ふっ、ふっ」

 徐に奇声を発した佐竹君を訝るように見つめていると、

「違うんだって。これはマイクの音量調整だからな!?」

 ──まあ、画面を見ればわかるけど。

 エコー、リバーブ、マイクのレベルを上げたり下げたりしていれば、それが音量調整に必要なことだっていうのは理解できる。でも、ちょっと本格的過ぎない? 些細なマイクの響きを感じ取れるほどの耳もないだろうに。


 

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