【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
四百五十七時限目 佐竹義信は不意に笑っていた
食券を購入したその足で店主に渡す。厨房で椅子に座って週刊誌を読み耽っていた店主が俺の存在に気づくと、両手で開いていた週刊誌を閉じて座っていた椅子の上に置いた。
「すぐにできや……できますので、お待ちください」
接客に慣れていない不器用な声だ。にこりとも笑わない店主を見て、この調子でずっと店を切り盛りしていたというのだからよく潰れなかったもんだ、と不思議に思った。如在なく挨拶をする照史さんとは正反対だ。
「お待たせしや……しました」
「あざ、ありがとうございます」
いつもの調子で「あざッス」なんて言ってしまえば拳銃で弾かれかねない。焦りながらも言い直して、グレープソーダが入ったジョッキを受け取る。この店には水用のコップとそれ以外に使うジョッキしかないのか? ……おっといけない。危うくツッコミそうになる口を閉じ、零さぬよう慎重に歩いて席に戻った。
「すまん、待たせた」
「いえ」
太陽は頭を振る。
一呼吸置いて、「話の続きですが」と続けた。
「結局のところ、佐竹先輩は鶴賀先輩がすきなんですか? 付き合ってどうするんですか? ぼくには佐竹先輩がなにをしたいのかわからないです」
一口飲んだグレープソーダが口の中でシュワッと弾けて、久しぶりの味だと思った。産まれる以前から当然のようにスーパーマーケットのドリンク売り場に並んでいて、世界各地で販売していて、それが当たり前だった。
瓶入りのグレープソーダをジョッキに注いだだけで、こんなにも美味く感じた。角ばった大粒の氷四つがいい仕事をする。縁の下で支えるのは俺の仕事だったんだけどな。氷のほうが仕事できてるんじゃねえか?
太陽がじと俺を見つめている。その目が、「早く答えろ」と急かしているようだ。焦りは禁物だ。俺はもう一度ジョッキを呷った。コーラもいいけど、偶には趣向を変えるのも悪くない。──ふう。
「俺は太陽じゃないからな。お前が望むように動いてやれねえよ」
質問の答えになっていなかったようで、太陽は「はい?」と首を傾げる。
「ぼくは佐竹先輩に期待もしなければ望みもしませんけど」
──遠慮ねえな、コイツ。
後輩甲斐もなければ可愛げもない。いいのは顔と外面だけか。そんな自分を正当化して、最後になにが残るんだ? なにを残そうとしている? 犬飼太陽の本心はどこにあるんだ。
「ぼくはね、佐竹先輩。欲しい物は手に入れる努力をするんです」
価値観は楓と似ているけど、他人の意見を訊く楓のほうが利口だ。
「勝負に勝ったのであれば、その権力を使うのは当然でしょう?」
勝ち負けで言えば、俺の勝利だった。でも、勝負を引き受けた時点で俺と太陽は優志に負けたんだ。他人の気持ちを他者が勝手に弄ぶものではない。況してや、景品にするなんて論外だ。
「その権利を使わないなんて、ヘタレとしか──」
「太陽は〝独裁者〟になりたいのか?」
言を待たずに割り込んだ俺を睨んだ太陽だったが、「はあ」と息を吐いて、残りのアイスコーヒーを飲み干した。そして、声を大にして「おじさん、ぼくにもグレープソーダをください」と、その場で注文する。それって有りだったのか!? 俺にも教えろよ……。
強面の店主は「へい」と返事をして、冷蔵庫からグレープソーダの瓶とジョッキを取り出すと、栓抜きで瓶の栓を抜く。
ここは喫茶店で、店主に注文するのは当然の行為だが、相手はクラスメイトの父親でもあるんだぞ? 遠慮ってもんをトコトン知らないんだな、と感心してしまった。
「お待ちどうしや……しました」
「ありがとう、おじさん」
太陽は自分の財布からソーダ分の小銭を支払うと、店主は「まいど」と言って厨房に戻っていった。
「えっと、なんでしたっけ。──ああ、ぼくが独裁者になりたいかって話でしたよね」
「ああ」
「自分の世界を生きやすくするためにならば、独裁者になることも視野に入れましょうか」
太陽の雰囲気がさっきと違うように思えた。なんなんだ、この落ち着きようは。まるでHP全回復してリスポーンしたみたいな印象だ。ぞわり、俺の背中が粟立つ。
「自分の欲望を出さないまま死ぬよりも、欲望を吐き出して死んだほうが諦めがつくってものでしょう?」
「やらない後悔よりもやって後悔するほうがいいってやつか」
ふふっ、と太陽は俺を小馬鹿にするみたいに笑う。
「それは負け犬の遠吠えに過ぎません。ぼくは勝利しか見ない。勝利しか欲しくない。欲しい物は欲しいし、日本人が愛してやまない美しい自己犠牲なんて、愚かな悪習としか思えません。だれかのせいで泣きを見るくらいなら自分のせいで泣きます。──間違ってますか?」
「ええっと……」
間違っている、と断言できなかった。少なからず、筋は通っているようにも思える。『やらない後悔よりもやって後悔』は、後悔した者の言い訳だ。準備を怠った自分を正当化して、いい話風にでっち上げるための酷いスローガンだ、とも思う。
自己犠牲の話についても、俺は頷きかけてしまった。自分を犠牲にして他人を幸せにする行為がどれほど尊いものなのか。「他人を幸せにした自分が不幸だったら救いようがない胸糞映画の結末みたいじゃないか」とも。
──世は常に不利なんです。
数十分前の太陽の発言が脳裏を掠める。恨み、憎しみ、苦しみ、悲しみ、それらが混ざり合って塒を巻いてるような、自分の尻尾を敵だと思い込んで必至に噛み付く蛇のイメージが浮かんだ。
噛み付いた牙のダメージも自分に返ってくるのであれば、それは、愚かにも『自分を犠牲にして自分の幸せを勝ち得ようとする、自己犠牲の新しい試み』のようにも思える。
「佐竹先輩、どうして笑ってるんですか」
「笑ってる? 俺が?」
「はい」
そう指摘されて、口角が上がっていることに気づいた。笑える話じゃないのになんで笑ってたんだ? ──ああそうか。
「お前さ、実は優しいだろ」
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