【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

三百九十二時限目 寄る辺ない星は月に沈む 4/4


 いろいろ考えてみたけれど、全てにおいて秀でた才を持ち合わせた相手にできることなんてひとつもないのではないか? という結論に至った。

 楓ちゃんの周囲には、足りない部分を補う人たちが沢山いる。クラス内でもそうだ。退屈な話であろうとも、ファンクラブの面々を相手にすれば暇な時間を潰せるし、雑用もこなしてくれる。昼食だって高津さんが用意している。それに、やろうと思えば全て自己完結できるのだから、私の出る幕は無きに等しい。

 我がクラスで頂点に君臨し続けることができるのは、楓ちゃん自身の努力の結果だと言える。常に学年トップの成績を叩き出すのは勤勉である証拠だ。腰まである艶やかな長い髪だって、きめ細やかな肌だって、美意識の高さがそうさせているのだ。その努力の全てが『いつか訪れる未来のため』なのだから、〈カリスマ性〉なんて言葉では片付けられない。

 言うならば、〈努力の天才〉である。これまで私は、『月ノ宮の血が』なんて揶揄してきたけれど、それを誇れるだけの血の滲むような努力が、いまの楓ちゃんを形成しているのだ。

 そんな楓ちゃんが私に『責任を取れ』と言う。これがどんなに難しいことなのか、本人はわかって言っているのだろうか。悪の組織から地球を守るヒーローに、「どうすれば地球を救うことができるのか」って問われているようなものだ。いやいや、アナタは自分の力を信じて突き進めばいいでしょう? という話で……。

 だけど、だれにだって躓くことはある。障害物がない道端ですっ転ぶこともあるのだ。

 完璧に思える楓ちゃんにも悩みがないわけがなくて──。

 え……?

 つまり、そういうこと?

「楓ちゃん」

 と、おっかなびっくりに。

「はい」

 と返事をした楓ちゃんは、バッグの持ち手を握りながら両手を組んでいる。さっきよりも表情は穏やかではあるが、笑顔というわけでもなかった。頑張って冷静さを保とうとしているように見える。

「どう責任を取るか、考えが纏まりましたか?」

 纏まったというか……。

 いまある手札から切るのならば、これしかない。

「私、英語できません……」

 静寂。

 生温い風は湿気を帯びて、肌にまとわりつく。かん、と軽い金属音が公園に響き渡った。ベンチに座ってお酒を飲んでいただれかの缶が、寝落ちた拍子に滑り落ちたのだろう。その音を皮切りにして、静寂は破られた。

 私がなにを言いたいのか察した楓ちゃんは、溜まりに溜まった鬱憤を漏らすように、「はあああ」と深い溜息を吐き出した。

「それは冗談のつもりでしょうか? だとしたら」

 私はこれでもかと言わんばかりに頭を振った。

「この状況で冗談なんて言わないよ!」

「百歩譲ってそうじゃなかったとしても、です。結婚相手だった殿方と結婚しろとでも言うと? 仮にそうだったとして、だれが得するのでしょうか。アナタが代わりに結婚したとしても、月ノ宮グループには微塵も利益が生じないのですが」

 その通りだった。

「アナタは頭がキレるのに、ここ一番ってときに詰めが甘いというか、察しが悪いですよね」

 これまたその通りだった。

「じゃあ、どうすれば責任を取れるの?」

 そう訊ねると、楓ちゃんは目を大きく見開いて左腕を突き伸ばし、人差し指をびしっと私の眉間に向けた。

「恋莉さんの男装姿を、生で私に見せることです!」

 決まった、と言いたげなドヤ顔を披露する楓ちゃん。──欲望丸出しじゃないか!?

「それはさすがに無理難題が過ぎるよ! 他にはないの?」

「ありません」

 即答。

 自分の欲望に忠実なのが、月ノ宮楓である。

 そして。

 そこが偶に傷なのが、月ノ宮楓その人なのである。

「できない理由を考えるより、できる方法を探すのが大切なのです」

 どこぞのブラック企業にありがちな経営方針である。

 楓ちゃんが社長になったら、こういった経営方針の数々を朝令で復唱させられるのだろう。それだけならまだしも、上層部は、経営理念・品質方針が事細かく書かれた書類を一言一句書き写す作業までさせられそうだ。『我が社の経営理念、品質方針は宝であり、遵守するものである』、なんて下に言い訊かせても愛社精神が育まれるとは思えないのだが。

 それを育みたいのであれば、職場環境の向上と、仕事に見合った給料を支給すればいい。間違っても、社員旅行とかそういったカルチャーに力を入れるべきではない。

 どこぞの企業は年に一度、全店舗休業日に地区ごとにチーム分けして運動会を開催するのだとか。その狙いはおそらく結束力と団結力を育成するためだろうけれど、せっかくの休日は体を休めたい。それなのに体に鞭を打てとは……大人の体力は年齢とイコールではない。年を重ねる毎に衰えていく。無茶な走りをして靭帯損傷でもしたら労災になるのかどうか、それも怪しいものだ。

 楓ちゃんが経営者になったあかつきは、間違った方向に進まないで欲しいと願うばかりだ。くわばらくわばら、である。

「それが実現するまでは、優梨さん……いえ、優志さんとも口を聞きません」

「ええ……」

「連絡は携帯端末のメッセージアプリで。詳細が決まり次第、報告してくださいませ」




 * * *




 とんでもないことになった、と一人残された公園で思う。

 楓ちゃんは、言いたいことだけ言って私の言を待たずに帰ってしまった。「ちょっと待って」と呼び止めようとしたけれど、一度たりとも振り向いてくれはしなかった。

 不可能を可能にするだけの力があるだろうか、と自分に問いかける。これまでいろいろと無難に乗り越えてこれたのは、運がよかっただけとしか言えない。それこそが〈不可能を可能にする力〉だったとして、レンちゃんになんて言えばいいんだろう。

 馬鹿正直に説明するのは、楓ちゃんに申し訳ない気がする。告白をなかったことにしたのは私なのだ。レンちゃんにもう一度男装してもらうために楓ちゃんをだしに使うのは、根本的に間違っているだろう。

 私は空いたベンチに座り、空を見上げた。都会の空も、田舎の空も、違うようでいて一つの空だ。それは、アメリカでも、アフリカでも、ナイジェリアでもグリーンランドでも同じ。違いといえば、見え方くらいだろう。

 方角が違えば景色も変わる。太陽も、月も、さんぜんと輝く星々の位置だって変わってくる。立ち位置が違えば風景に変化が生じるように、私も考え方を改めなければならない。──そういうところまできているのだろう、なんて。

 星座になれなかった星はどこに落ちるのだろう、と思った。寄る辺ない星は月に沈む。頼れる仲間がいないから、月の影に隠れるようにして沈む。だが、実際は沈まない。太陽の光で見えなくなっているだけで、私たちの頭上には常になにかしらの星が存在している。見えないけど、そこにはある──それを探さなればならない。なによりも、手段と方法を間違えてはいけない。

 全てを丸く収める方法なんて、実在するのだろうか。

 ──ああ、そうか。

 それが楓ちゃんの真の狙いだったのか。

 私が行うべき落とし前。

 楓ちゃんが得をして、尚且つ、レンちゃんが笑って許せる方法を模索すること。

「いつもながら、無理難題なんだよねえ……」

 一難去ってまた一難。

 そういう星の元に生まれたらしい。

 とぅいんこー、とぅいんこー、りーるすたあー……やっぱり英語は苦手だ。


  

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