【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

三百九十二時限目 寄る辺ない星は月に沈む 1/4


 ここで話すのはなんだから、と楓ちゃんを公園に連れ出した。この公園ではかつて文芸マ ーケットが開催されていたが、その面影は何処にもない。

 濃い黒が空を覆っている。風があれば多少マシに思える暑さだが、その風は若枝をささやかに揺らす程度でしかない。ざあと音を立てる葉の音が、胸騒ぎのような静けさを殊更に醸し出しているみたいな、そんな印象を受けた。

 日も暮れた公園には、仕事を終えたサラリーマンたちがお互いに距離を取り、缶チューハイのような物を片手に持って、ぐびりとやっている姿を見かける。独りの時間。それは、彼らにとって疲弊した体と心を癒す大切な時間なのだろうか。それとも、傷心したままでは帰れない、とやけくそになっているのかもわからない。

 田舎の公園ではそうないことだけれど、都内の公園はルールが厳しく設けられていたりする。喩えば、ボール遊びが禁止だったり、ペットの連れ込みが不可だったり。然ることではあるが、喫煙行為は指定された場所でのみである。だけど、地面には煙草の吸殻が多く、こっそりと吸っている輩もいるようだった。

 路上喫煙が禁止されているということは、公園内での喫煙も当然禁止である。そして、それは飲酒も同様のはずなのだが……咎められるのはご本人だし、私が彼らの面倒を見る必要はないわけで。

 人目を避けられる場所を探そうにも、池袋で人目を避けるのは不可能だ。かくれんぼするにはいいかもしれないけれど……木を隠すには森、なんて言葉があるし。

 公園入口からやや離れた雑木林の近くを選んだ。近くに人がいなかったという理由もあるが、木々が壁になってくれるのではないか? という理由もある。これから始まる口論は、なるべく人目を憚りたい。

 さすがに通報されるようなことはないだろうけれど──とか、一抹の不安を抱えながら楓ちゃんと向き合った。

 楓ちゃんはむすっとした顔のまま、目だけで周囲の様子を窺っている。馴染みのない場所に連れ込まれて落ち着かないのだろう。いや、もしかすると私の目を見たくないのかもしれない。

 それだけ怒らせてしまった、という自覚はある。告白の邪魔をしたのだから当然だ。いろいろと事情があったにせよ、『告白をする』には相当な覚悟が必要で、私はその覚悟を踏み躙ったのだ。怒られても仕方がない、とは思う。でも、だけど。正しい方法ではないにせよ、間違ったことはしていない、とも思う。

「どういうことか、ご説明して頂けますよね」

 物凄い剣幕で、つい後退りしそうになる足に力を込める。本気で怒りを露にする楓ちゃんは、まるで般若のようだ。

 般若は、恋人を奪われた哀しみと怨みが鬼となって顕現した若い娘の姿、というのをどこかで見た気がする。おそらくそれは、歌舞伎の演目かなにかだったような……随分と古い記憶だから、間違っているかもしれない。

 私は──。

 だれかにここまでの敵意を向けられたのは、いつ以来だろうか。口論は何度も経験したけれど、本気の、それも取っ組み合いに発展するような喧嘩はしたことがない。楓ちゃんも暴力を伴う喧嘩をする気はないようだけど、鋭い刃物のような目が、私の心にぐさりと突き刺さるようだ。

「黙っていてはわかりません」

 そう、なのだけれど。

 奏翔君に助けを求める、までは冴えていたと思う。だけどその後、どう切り抜けるかまでは考えていなかった。

『恋莉さんが帰ってしまっては告白できませんね。諦めて帰りましょう』

 などと都合のいい展開を期待していたわけじゃない。

 楓ちゃんが怒り心頭する理由も、概ね理解できる。

 それならば、私のやったことが間違えていたのか。

 いいや、間違っていない。

 ──その根拠は。

「私は、友だちを守りたかっただけ」

 告白を決行していたら、あの海で起きたことのように、二人の心が離れてしまうと思った。いつ許されるのかもわからない日々をじっと我慢して過ごすのは、苦痛以外の何物でもない。そうならないためには、告白できない状況を作ればいい。──つまり、告白相手を離脱させる。

 告白が不可能な状態になればまた機を窺うことができる。時間を開けることによって、冷静さを取り戻すかもしれない。自分がどれだけ無謀なことをしようとしていたのか、顧みることだってできるはずだ。

 友だちを守りたい──。

 たったそれだけの理由だけど、私にとっては大切な気持ちだ。

「なるほど」

 楓ちゃんは頷く。

 でも、

「アナタにとって私は〝敵〟ということですね」 

 敵対視。

 遣る瀬が無かった。

「違う! そういう意味で言ったわけじゃ──」

 一歩だけ前に踏み込む。『どうしてわかってくれないの!?』と叫びたい心が、私の右足を衝き動かしたのかもしれない。だけど、その距離が縮まることはなかった。

「では、どうして私の邪魔をしたのですか!」

「それは……」

 伝えたい言葉がある。

 その言葉が伝わるのは、正直わからない。

 確信がない以上は、言明を避けるべきだろう。

 火に油を注ぐ結果になってしまってはいけない。

「……アナタは、私の友だちなのですか?」

 ぽつり、寂しげに呟く。

「私は──友だちだと思ってる」

 そう、思っている。

 独り善がりかもしれないけれど──。

「友だちだと仰るのなら、どうして」

 肩が震えていた。

 いまにも溢れそうな涙を瞼に溜めながら、

「どうして恋莉さんを奪おうとするのですか!」

「そんなことして──」

「していますよね」

 と、断言。

 そう言い切るだけの根拠があるのだろう。

 楓ちゃんはバッグのなかからハンカチを取り出し、溜まった涙を拭き取りながら、

「胸に手を当てて、よく思い出してください。──清廉潔白だと言えますか?」

 身に覚えがない──わけがなかった。


 

「【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く