【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

三百八十七時限目 月ノ宮楓の選択 3/3


 月ノ宮さんの恋愛観は、〈自由恋愛主義〉に基づいている。天野さんをすきになった理由も仰々しく掲げた法則に従った結果だということは、自由恋愛主義(=一目惚れ)ってことにもなるだろう。父親に紹介されたアメリカ籍の男性に、件の主義は当て嵌まらなかったのはそのためか。

 然し、父親の夢を知っている月ノ宮さんは、その想いを無下にできない。然りとて、自分の主義に反することもしたくない……散々迷った挙句、回答を保留にしてアメリカから逃げてきた。

 帰国してから数日間、父親の夢を尊重するか、私意を優先するか、両方を天秤にかける……そして、答えを出した。尊敬する父のためだ、と自分の心に言い訳をして。

 だが、憂いは残したくない。

 そう思った月ノ宮さんは、天野さんに振られることによってけじめを付けようと考えた。立会人に優梨を選んだのは、引くに引けない環境を作るため、或いは〈振られる要因を増やすため〉だろう。──おおよその経緯はこんな感じかな、と僕は予想している。

「月ノ宮さんは〝大切なこと〟を、忘れているんじゃないかな」

「たいせつなこと、ですか?」

 うん、と僕は頷く。

「それは、、だよ」

 自己犠牲、とても甘美な響きだと思う。

 日本人は、自分よりも他人を優先するように教育されてきた。思いやり、おもてなし、それらは世界に誇れるものだといっても過言じゃない。過言ではないが、少々教育が行き届き過ぎているようにも思う。

 他人の幸せを願うことは間違いではない……だけど自分は? と振り返り、虚しくなっては憐憫の情に苛まれる。死の瀬戸際に、「もっと自分を大切にすればよかった」と後悔しても遅い。

 だからといって、他人に構うなとは思わない。その範囲を縮めてみるだけでも気が楽になるのではないだろうか。僕の場合は縮め過ぎているけれど、知人には幸せになってほしいと願うけれども、僕だって幸せになりたいと思っている。宝くじで一等を引き当てられたらいいな、とか、そういうレベルの話ではあるが──。

「私のしあわせ……」

「天野さんと幸せな家庭を築くことが夢だって、いつも言ってたじゃないか。その夢は、簡単に諦めてしまえるほど容易いものなの?」

 月ノ宮さんは、ほんの一瞬だけ泣きそうな顔をした。が、俯いて、再び僕を見据える頃には冷静さを取り戻していた。きっと、内心穏やかはでいられなかったはずだ。

 追い続けてきた夢を簡単に諦めるようなひとではない、ということを僕は知っている。不可能を可能にするだけの頭脳があることだって──。

「でも、仕方がないのです。私が諦めることで、お父様の夢が、会社の利益になるのですから。──それは、私にとっても幸せなことで」

「……くだらない」

 吐き捨てるように、言った。

「え?」

 驚きが口を衝いて出たという様子で、月ノ宮さんは瞠目する。

「父親の夢のため、会社の利益のため、そうやって言い訳ばかりしてさ。──本当にくだらないよ、月ノ宮さん」

 口を開こうとして、閉じた。

 反発するにも言葉が見つからなかったようだった。

 普段の月ノ宮さんであれば、この程度の軽口に対して閉口するなんて絶対にしない。言われっぱなしで終わるような性格ではないし、なんなら百倍上乗せで返してくる……愉快そうに微笑みながら。

 僕は月ノ宮さんの返答を待たず、畳み掛ける。

「いつからそんなに白くなったの? 僕が知っている月ノ宮楓は、腹黒で、戦略家で、ちょっと変態がかっている天才だ。でも、いまの月ノ宮さんはただの凡人だよ。天才の皮を被った凡人……いいや、それ以下だね」

 そこまで言い切り、コーヒーに口を付けた。酸味が深い、か。冷え切ったキリマンジャロブレンドは、余計に酸味が増しているように思う……ああもう、本当に苦酸っぱい。

 やはり二杯目はアイスコーヒーにすればよかった、と後悔している。前回と同じ失敗を繰り返す僕は、往々に学習しない。体験を経験とせず、なにを学ぶというのか。復習しても身にならないのであれば、それは『わかった口』になっているだけ。──知った風、ともいう。

「では、お訊ねしますが」

「どうぞ」

 深呼吸。

 では、と。

「優志さんが私の立場だった場合、どう対処すると言うのですか?」

 そんなの、決まりきっているじゃないか。

 僕が月ノ宮さんだったら、一も二もなくこう言い放つだろう。

「どんな手段を使ってでも私意を貫き通す。──それが月ノ宮家の家訓だから」

 自分の立場が劣勢だっとしても、ありとあらゆる手段を用いて仇なす相手を完膚なきまで叩き潰す。これこそが月ノ宮の家訓ではないのか、と。そういう意味を込めて断言した。 

「欲しいものは、どんな手段を用いてでも、手に入れる……」

 代名詞とも言えるその言葉の意味を噛み締めるように、ぼそりと呟く。

「僕は月ノ宮さんじゃない。戦えるのは、月ノ宮さん本人だよ」

 なんのために戦うのか、だれのために戦うのか、見極める。

 相手がどんなに強大であろうが、己が信念を曲げたりしない。

 たとえ相手が肉親だったとしても──。

 それこそが、月ノ宮氏の言う〈教育〉だったはずだ。

「ねえ、月ノ宮さん」

「……はい」

「幸せってなんだと思う? たった一本の線を引き抜くだけで辛くなる幸せって、いったいなんなんだろうね」

「さあ、私にはわかりかねます……が」

 天井を仰ぎ、「はあ」と息を吐いた。

「その一偏こそ守り抜かなければならない。そう、いまは思います。──幸せのために」

 そうだね、と僕は笑って答えた。


 

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