【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

三百八十五時限目 ケーキはどこの腹に収まるのか 2/3


 静かな店内に雨音だけが鳴る。店主はこちらの様子などお構いなしでカウンター内にある椅子に座り、再び新聞に目を通している。掛けている眼鏡は老眼鏡だろうか。珈琲を淹れている際は外していたので、おそらく老眼鏡だろうと推察した。店主が新聞を捲る音が訊こえてきそうなほど、店の中は閑としていた。

 月ノ宮さんの気持ちを慮ると、天野さんのメッセージに返信できないのも無理はないと思う。が、質問に対する答えは用意するべきだろう。天野さんは苦虫を噛み潰したような表情でコーヒーを飲みながら、じと僕の言葉を待っている。「お土産はどんな物を頼んだの?」なんて返しは、その場しのぎにしかならない。その場しのぎでこれまでやってきた僕だったが、友だちを想い、憂慮している人に、その場しのぎの言葉をかけたとてなんの慰めにもならないだろう。

 僕は手元にあるコーヒーで口の中を湿らせて、

「アメリカの大学を視察して、なにか思うところがあったんじゃないかな」

 と。これもその場しのぎでしかないのだが、間違ったことは言っていない。月ノ宮さんはアメリカで、将来に関する需要な問題を抱えて帰国してきたのだから。

「佐竹にも訊いてみたんだけど、知らないって」

「そうなんだ」

 そりゃそうだ。今回の件は僕が一任している。他言無用。それが月ノ宮さんと交わした暗黙の了解だ。佐竹は夏休みの課題に集中しているようだし、相談しいないと最初から決めていた。仮に相談しても、有益な手掛かりにはならないだろう。佐竹の場合、考えるよりも先に足が動く。それは佐竹の強みでもあり、いいところでもあるが、いまは慎重に事を運びたいというのが本音。

 佐竹はきっと、「全員で月ノ宮邸に押しかける」というはずだ。それで解決するならば僕もそうするけど、強引な手段が通用するほど甘くはない。頑固者は梃子でも動かない、と相場が決まっている。迷惑そうな声で、「帰ってください」と門前払いされるだろう。

 高津さんがインターホンに出れば会話の余地もあるかもしれないが、おそらく、現在は月ノ宮氏と行動を共にしているはず。大河さんが出れば……これは語らずとも明らか、か。

「……大丈夫かしら、楓。思い詰めていなければいいけど」

 憂いを帯びた声で、ぽつりと呟く。知らないという事実が不安を増長させていくのだろう。僕が天野さんの立場だったら、ここまで気に病むだろうか。『月ノ宮さんのことだし、大丈夫だろう』と括り、成り行きに任せるかもしれない。僕にはそういった薄情な面がある。恩を仇で返すような真似はしないが、自ら問題に首を突っ込む真似は極力避けて行動している。──だから今回は、自分でも意外だった。

「お代わりは要りますか?」

 新聞から顔を覗かせて、初老の店主が訊ねてきた。その場から動かないとはなかなかに横着な店主だ。年齢が年齢だけに、膝を痛めている可能性を考えたが、膝を庇っている動きはしていなかった。

 雨はまだ降り続いている──。




 二時間ほどして雨の音が止んだ。小雨程度には勢いも衰えたようだ。会計を済ませて外に出る。噎せ返るような湿り気のある空気に眉を顰めていると、隣にいる天野さんが「はあ」と溜息を吐いた。

「私には合わない店だったわ。ちょっと残念」

「駆け込み寺みたいに飛び込んだ店だったし、しょうがないよ」

「そうね」

 と、天野さんは苦笑い。

 僕はあの店の雰囲気は嫌いじゃなかったし、美味しいキリマンジャロにも出会えて満足だったのだが、わざわざこの店に通うほどでもないなと思った。照史さんに相談すれば、キリマンジャロブレンドも出してくれそうだし。「味は保証しないよ?」と、イタズラっぽく笑う照史さんを想像して、かぶりを振った。

「ようやくケーキバイキングだね」

「無駄な足止めをされて参ってしまったけど、口直しにはいいんじゃない?」

「たしかに」

 苦くなった口を甘いもので征する。ほほう、これはなんとも甘美だ。

 駅前ロータリーを抜けて商店街前の道を左折。暫く民家が続き、目的の店が見えた。『ケーキ食べ放題』と黒字で書かれた白塗りの看板が、駐車場手前に掲げてあるのが目印になっている。駐車場は、軽自動車二台、普通車が三台停められる広さだった。緑色の金網が、駐車場を囲っている。

 店はダンデライオンと比較すると多少広いかな? と思うくらいの面積だった。二階建ての民家の一階を改装したような作りで、ドアを開くと『いらっしゃいませ』の文字が書かれた赤い玄関マットが出迎える。このマットを見るのも久しぶりだな、なんて思いながら受付で人数を伝え、料金を支払った。ドリンクバー付きで九〇分二五〇〇円。──そこそこいい値段する。

 空いている席ならどこでもいいらしく、天野さんは窓際の席がいいと選んだ。枯れ草色のテーブルクロスが引かれた楕円型のテーブルの上には、スプーンとフォークが落ち葉色の箸箱の中に収められている。椅子は、庭先に置かれているようなアンティークチェアで、座るとお尻がひんやりした。

「この店のおすすめは、ティラミスらしいわ」

「へえ」

 ケーキはオーダー制らしい。雨の影響なのか、八席ある内の四席は空いていた。女性客しかいない店内で、僕一人が男なのはどうも居心地が悪い。こんなことになるのならば、女装してくればよかった。ここにきて『失敗した』と溜息が出そうになる。でも僕はそれを噯にも出さず、堂々とスイーツ男子を演じてやろう、と意気込んだ。

 提供されるケーキのサイズは、スーパーマーケットで売っているケーキよりも小さい。が、おすすめになっているティラミスの味は濃厚で堪らない。ショートケーキもロールケーキも、シュークリームの味も見事だ。箸が止まらない。いや、この場合はフォークが止まらない。

「優志君って本当に甘いものがすきよね」

「そんなに珍しい?」

「ええ。男子ってあまり甘いものを好んで食べない印象だから」

 ──それは違うよ! と手を止めた。

「天野さん。甘いものが嫌いな男子はたしかに存在するけれど、本心から嫌っている男子はそう多くないんだ」

「そうなの?」

 僕は力強く頷いた。

「ほとんどの男子は〝甘いものが嫌いな俺かっこいい〟だと思ってる」

「そう、なのかしら……?」

「ほら、あれだよ。ゲームをしていて〝画面酔いした〟とアピールするのと同じで、実際は酔ってなんかいない。むしろ、そういってアピールする自分に酔っているまである」

 僕が饒舌に語ると、天野さんはくすっと笑った。

「なんだか久しぶりに〝鶴賀節〟を訊いた気がする。優志君って偏見を堂々とした態度で語るから、本当にそうなんじゃないかって思っちゃうの……謎の説得力というか」

「割とガチだよ」

 佐竹の真似をすると、天野さんは堪らず哄笑した。

「でもね、優志君。画面酔いはあるし、甘いものが嫌いな男子も大多数いるのよ? 興味深い話ではあるけれど、私たち以外にはその話、しないほうがいいかも」

 そう諭すように言われると、冗談だったのが冗談じゃなくなってしまうじゃあないか。「その通りだね」と言いつつ顔を伏せていると、天野さんは身を乗り出して僕の頭を撫でた。


 

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