【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

三百七十九時限目 彼女は殺意を持って挨拶とする


「あの男は、自分の利益になることしか考えていない。それに、楓の友人というだけの立場である優志君の言葉なんて、耳も貸さないよ。あの男は、そういう性格なんだ」

 恨みがかった低い声音は、感情を吐露するようだった。それだけ照史さんは、〈あの男〉を憎んでいるのだろう。その恨みはどす黒い塊となって、僕の腹底に沈んでいく。『深淵を覗くとき深淵もまた自分を覗いている』という言葉があるが、まさしくその通りだと思った。

「それでも優志君は、あの男に立ち向かおうと思う?」

 粘つくような恨みの念に足を踏み入れるには、それ相応の覚悟が必要である。相手と一緒に自分も闇に沈んでいく覚悟がないのであれば、目を閉じて耳を塞ぎ、知らない振りをして過ごすべきだ。生半可な覚悟では足をすくわれる……と、照史さんは僕に忠告しているのだろう。

「──でも、友だちが困っているんです」

「傷つくのが怖くないのかい?」

 そんなの、怖いに決まっている。自分の言葉が相手に届かないのは怖いし、拒絶されるのだって怖い。

 ──だけど。

「なにもせず、黙って傍観しているだけでは、僕を〈好敵手〉と呼んでくれた彼女に合わせる顔がないです」

 かつては〈知り合い〉程度だ、と認識していた人たちでも、いまは違う。面倒臭くて、窮屈で、対立することだってあるけれど、僕らは同じ時間を共有して、成長していく〈友だち〉になったのだ。そう思っているのは僕だけかもしれない。勘違いだと笑われるかもしれない。でも、それでも──。

「僕は、こんな形で終わりにしたくない」

 感情に流されていることは、僕も理解していた。過去の自分がの僕を見たら、『僕はそんなに主人公らしい性格だったか』と嘲笑するに違いない。

 ああそうさ、僕は違う。〈努力・友情・勝利〉を掲げる漫画の主人公って柄じゃないし、ゲームでいえばモブキャラの一人でしかないことを、僕は充分に自覚している。──そうだとしても。

 佐竹からは、〈ぶっちゃけること〉を、教わった。

 天野さんには、〈大胆不敵〉を、教わった。

 そして──。

 月ノ宮さんに、〈他人を愛する意味〉を、教わった。

 いつまでも自分の殻に閉じこもっていては、なにも得ることはできない、と彼らに教わったから、僕は柄にもなく、『自分に正直に生きてみよう』と思ったのだ。それでもまだ、恐怖を拭うことはできない。魔王城を前にした勇者一行の気持ちは、きっと、いまの僕と似たような感情なのだろう。

 でも、立ち止まったままでは世界を救うことなど不可能だ。自分以外のだれかが代わりになってくれるわけじゃない。ヒーローが遅れてやってくることもない。奇跡なんて起きないのだ。──だから、足掻くしかないわけで。

「楓は」

「はい?」

「楓は、友だちに恵まれているようだ」

 僕は黙って、続きの言葉を待った。

「ボクができるアドバイスは、ひとつだけだよ。それも、アドバイスとは言えない愚直なものだけど。──それでも訊くかい?」

 言葉にはせず、ただ首肯を返事した。

「ボクが言えた義理はないんだけどね」

 そう枕詞を置いて、

「優志君があの男と関わる必要はない。勝算があるとしたら、それは楓だけだよ。だからもう一度、楓と向き合ってほしい」

「楓さんと向き合って、どうすれば……」

「優志君ができる方法で、楓を負かせてくれればいいんだ」

「それはどういう──」

 と、言いかけたところで、カランコロンとドアベルが来客を告げた。照史さんはそれまで見せていた憂のある表情から一変して、喫茶店のマスター然とした顔を作り、「いらっしゃいませ」と客人を迎え入れた。

「ごめんね、優志君。話相手になれるのは、ここまでだ」

「いえ、ありがとうございました」

 謝意を告げると、照史さんはにっこりと微笑んだ。いつも見慣れた、爽やかな笑顔で──。




 ダンデライオンを出ると、かんかん照りな太陽が僕の肌を射す。空にはうろこ雲が浮かび、一機のヘリコプターが飛んでいた。駅前から少し離れた場所にある閑散とした裏路地に、夏の終わりを感じた。もうすぐ秋刀魚が美味しい季節になる。

 僕はふと、夏休みを満喫できたのか不安になった。それらしいイベントはいくつかあったけれど、それで、夏休みを満喫した、という気分はない。多分、僕は休みの過ごし方が下手くそなのだろう。佐竹のほうが余程、休みを上手く利用している気がする。

「天野さんは、どうだったんだろう」

 僕よりも交友関係がある天野さんは、関根さんたちと夏休みをエンジョイしたに違いない。月ノ宮さんだって、無駄に時間を浪費したりはしないはずだ。

 なんだかなあ、という気分で東梅ノ原駅周辺を歩いていると、以前に何度か入ったファーストフード店が並ぶ道に出た。昼時で、人通りも増えているが、それでも都会と比べれば閑散としている。

 目的もなくぶらついて、気がつけば新・梅ノ原駅前まで着ていた。




 * * *




「はあ」

 僕は、とある店の前で大きな溜息を吐いた。どうしてこの店を訪ねたのか、理由もわからないままっここにいる。焦燥感が、このままではいけない、と足を向けたのかもしれない。が、だとしてもこの店はないだろう。

 目の前には、僕を睨むメイドさんが一人。その表情からは、客をもてなす意思などなかった。「いますぐどっかいけ」と言いたげな目に、僕は「やあ」と気さくに片手を挙げて挨拶した。

「やあ、じゃねえよ。帰れ」

 まさか店員に、『帰れ』と言われる日がくるとは思っていなかった。

「それじゃあ、とするよ」

 僕は不敵な笑みを湛え、の横を通り抜けようとする。

 が、然し──。

「どういうつもりだ」

 右手を横に広げて、通せんぼ。

「どういうつもりって、家に帰るんだよ? そういう設定でしょ、この店って」

「お前は本当に小賢しいやつだ」

 勝った、と思った。

「ったく。入るなら入るでいちいち店の前で突っ立ってるんじゃねえよ。出迎え待ちか。特別待遇されると思っての行動か」

「いや、なんだろうね。この店を前にすると、自ずと足が止まるんだよ」

 店の雰囲気が、そうさせる。ここより一歩でも踏み込めば、メイドさんたちが僕を出迎えてくれるのだが、そういった異質な空間には、ある種の壁のようなものがあって。それで、僕もその一員になるのが嫌……ではなくて、躊躇うというかなんというか。理由の言明は避けたい。

 ──金は。

 ──そこそこに。

「ならよし。オレに貢いで死ね」

 いや、死ねって……。

 なんともまあ、物騒な歓迎の挨拶だ。



 

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