【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

七十九時限目 地獄の沙汰も金次第[後]


「それで、天野さんは行きたくない。月ノ宮さんは天野さんの水着姿が見たいの押し問答になったってわけ?」

「さすがは優志さんですね。ご明察の通りです」

「心配してほぞをめっちゃ噛んだわあ」

 佐竹は、はああああ、と大きな溜息を吐いた。

 臍とは〈おへそ〉という意味なんだけど……カニバリズムかな? めっちゃ噛むってガムかよ。

 おへそ味のガムを想像してしまい、形容し難い気持ち悪さを覚えた。

 語彙力を増やすのは構わないけど、アレンジするのだけはやめて欲しい。

 アーティストの曲だって、大概、アレンジが称されることはない。

 それはアニメ原作の実写映画も同じで、デビールも、ヒノトリダーも、ユアッシャーも、どれも酷評されていたじゃないか。摩訶不思議なアドベンチャーに至っては、脚本家が謝罪するという事態にまで発展している……というのはどうでもよくて。

 僕が解放されるには、この蒟蒻問答を終わらせる必要があるのだ。

「天野さんは、になったわけじゃないよね?」

「え? ええまあ……そうね。苦手にはなってないわ」

 よし、言質は取れた。

 月ノ宮さんは質問の意図がわからずに首を傾げているが、この意図がわかるのは海での出来事を経た僕と天野さんだけだ。

「月ノ宮さん。熊谷の隣りに、ネギで有名な市があるんだけど、知ってる?」

「ええ。深谷ですね。ゆるキャラはふっかちゃんです。個人的に推してます」

 ああ、うん。

 そうなんだ、へえ……。

「夏の水遊びで、尚且つ海じゃない場所。そして、車で簡単に行けるレジャー施設があるんだけど」

 小学生の頃に一度だけ、両親が連れて行ってくれた場所がある。

 あの頃はまだ僕が小さかったので、両親も偶の休みにどこかへ連れて行ってくれたけど、いまとなってはむかしむかしあるところに……な話だ。

「二人とも〝プール〟って知ってる?」

「あ」

 天野さんと月ノ宮さんは、同時に言葉を重ねた。どうやら〈海〉に囚われ過ぎて、プールの存在を失念していたようだ。月ノ宮さんに至っては、天野さんの水着姿を浜辺で眺めたい、という欲望が邪魔をしていたようだけど。

 深谷市には、ほぼ一年中楽しめる屋内プールがある。その施設内には、ウォータースライダー、波が出るプール、流れるプール、ミストサウナなどがあり、バラエティに富んでいるので、夏の思い出を飾るには持ってこいだ。

「なるほど、たしかに……その手がありましたね」

「私も中学生の頃、友だちに誘われて行ったなあ……懐かしい」

「プールってサマーランド一択じゃねぇのかよ!?」

 サマーランドは若者に人気のレジャースポットだ。が、その一方で、深谷にある屋内プールは家族連れが多いこともあり、どんちゃん騒ぎするウェーイの民も少なく、遊泳時間に制限があるものの、オラついたDQNも少ないので気楽だろう。それに、お盆を過ぎてしまったいまではクラゲが繁殖して、とても海で泳ぐ気にはなれない。

 それゆえに、二人の問題を解決する場所は『プール』となるわけだ。

「優志君がそこまで機転を利かせてくれるとは思わなかったわ……」

「そうですね。ちょっと意外な一面を垣間見ました」

「なんだか馬鹿にされている気分なんだけど……」

 悪い気はしない、かな?

「佐竹。アンタも少しは見習いなさいよ。ガチで」

「その通りです。もう少し気の利く言葉を掛けて下さい。マジで」

「なんで俺が責められてんだ……なあ、優志。普通に酷くねえか?」

「佐竹だから仕方がないんじゃない?」

「俺の扱い雑過ぎだろ!?」

 軽い打ち上げのはずがこんな事態になるとは思っていなかったけど……まあ、これはこれで有りかもしれない。

 そう胸を撫で下ろしたのも束の間、僕の安息は天野さんの一言によって砕かれる。

「それじゃあ、ユウちゃんも呼ばないとね」

 ユウちゃんの水着姿もなかなかよ? といたずらっぽくウインクをする天野さんの笑顔に影はない。

「優梨さんの水着姿ですか……興味ありますね」

「しょうがねえから、俺もいってやるよ」

 僕はプール行く気なんてさらさらなかったのだが、ここで「行かない」と言うのはさすがに気が引ける。

「僕のまま、という選択肢は無いのでしょうか……?」

「優志、人生諦めてなんぼだぞ。ガチで」

 それを言うなら、『諦めが肝心』なんだよなあ……。

「原型すら留めてないじゃん……」

「佐竹さんのおっしゃる意味は不明ですが、言葉は間違って使われることが多いです。特に〝地獄の沙汰も金次第〟という言葉は、間違った意味で広まっています」

「え? そうなの? 私はてっきり〝お金があれば閻魔様も心変わりする〟みたいな意味かと」

「いいえ。本当の意味はこうです」

 そう言って月ノ宮さんは席を立つと、テーブルに置いてあった伝票を二本の指先でひょいっと摘み上げ、照史さんがいるカウンター横のレジへと向かい精算を済ませた。

「なあ、優志。あれが本当の意味なのか?」

「さあ?」

 スキップするかのように意気揚々と戻ってきた月ノ宮さんは、怖い程の微笑みを湛えてこう告げた。

「財ある者は、世のため人のために金を使い徳を積め……それが本来の〝地獄の沙汰も金次第〟の意味です。しかしながら私は、お二人に少々徳を積み過ぎているのではないかと、最近、不意に思うんですよねえ……特に、優志さん」

 嗚呼、なるほど。

 そうこられると、ぐうの音も出ない。

 つまり、この場で渋った僕が閻魔様だったわけだ。

「……わかったよ。行けばいいんでしょ」

「話が早くて助かります」

 これも交渉術のひとつだと言うのなら、月ノ宮楓は相当な腹黒だが、いまに始まった話ではなかった。

「地獄の沙汰、か」

 地獄がどんな場所なのか。それは、行ってみなければわからないけれど、いきたくていくような場所でもない。

 その門を強引に開けてしまう月ノ宮さんこそが、正しく閻魔様のそれなんじゃないか? と思う僕だったが、言及せずにしておく。

 然し、また水着か──。

 箪笥の奥底に封印した水着を、もう一度掘り起こさなければならないのは億劫だ。でも、ご指名が優梨であるならば、あの水着を着なければならないだろう。

 地獄の沙汰も金次第で、なんとかならないものだろうか? 分割払いじゃ駄目だろうか?

 駄目だよなあ。


 

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