【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
七十五時限目 彼と彼の宿題 14/16
徒歩で片道五分圏内にスーパーとコンビニが一軒ずつあるが、それだけだ。
本腰入れて買い物に行くとなると、自転車なり車なりの足がなければ地獄を見るだろう。
山を一つ切り崩して作られた町だから、急勾配の坂がいくつもある。
自転車競技の練習にはもってこいな地形で、そこら辺をロードレーサーたちが颯爽と走っている姿をよく目にするけど。
それに、観光名所らしい名所もない。
強いて言うなら公園がやたら多いので、『なんちゃらGO』の目処になるくらいだが、プレイしてない僕には丸っと関係無い。
無い無い尽くしが取り柄の町を散策しても、『無い物は無い』と発見出来るくらいで……これって、楽しいのか?
そんな僕の不満など委細構ず、佐竹は準備万端と息巻いている。
「ほら、疾きこと風の如く、だろ?」
「僕は、不動かざること山の如く、でいたいよ」
善は急げとか、疾きこと風の如くとか、使い方は間違いっているんだけど、佐竹なりに拙過ぎる語彙力をどうにかしようと奮起してるのだろうか。
それはとてもいいことだけど、是非その言葉の意味と使い方も学んでくれ。
* * *
似たり寄ったりな家が続く閑静な住宅街に、時折、空を舞う揚羽蝶と烏揚羽の姿を見た。
そろそろ開催されるであろう、ささやか程度の夏祭りの準備が始まって、夏の終わりを告げる。
記憶の中にある祭り風景を回想しては、出店も少なくなったもんだと寂しく思った。
僕の隣では、口を閉ざして歩く佐竹がいる。
来たときこそ物珍しいと目を見張っていたけど、変わらない風景に飽きたのか、ふわあ、と退屈そうに欠伸をしていた。
「ほら、退屈でしょう?」
「そんなことないぞ? ただ、勉強の疲れがな……」
言っている傍から、また大きな欠伸をひとつ。
「長閑で、いい町だな」
「そう?」
「ああ」
「いい町だとは思うけど、住むには窮屈だよ」
「……だな」
同意されたらされたで住民の僕としてはもやっとするものだが、含みを持たせるような答え方をした佐竹に違和感を覚えた。言いたいことを我慢しているような、痛みに耐えているような、そういう顔をしながら言われても、冗談ということにして笑い飛ばせないじゃないか。
暫く道なりに進むと、四阿のある公園が見えてきた。腰を据えて話すなら、手頃な場所だろう。佐竹もそう思ったようで、僕らの足は自ずとその公園に向かった。
佐竹が口を開いたのは、四阿にあるベンチに腰を下ろしてからだった。
今し方まで子どもが遊んでいたであろうブランコが、キーコーキーコー揺れている様を傍観していると、「あのさ」と佐竹が伝家の宝刀を抜いた。
「変なことを訊くけど、いいか?」
僕は答えず、頷きだけで返した。
「お前はどっちのほうが気楽なんだ?」
優志なのか、それとも優梨なのか……それを訊いて、佐竹はどうしたいのだろう。
仮に〈優志〉と答えたら、佐竹はがっかりするだろうか。
そうなると心が痛くなる気がして、僕は考える振りをしながら「ノーコメント」と答えた。
「決め兼ねてるのか?」
「どうだろうね。自分のことではあるんだけど、どっちがいいとも言えない問題なんだよ」
女装をして、女性としての立ち振る舞いを学んで、僕の中の常識が一八〇度変わったのはたしかだ。
優梨でいるときは、自分の殻を脱ぐような感覚に近い。
数十キロもある重りを外して体が軽くなったみたいな、重力に縛られない宇宙空間をふわりふわりと飛んでいるように、気持ちが楽になることもある。
でも、重さは大切だ。
楽なほうに逃げてしまうと、後戻りができなくなるんだ──。
僕はずっと逃げてきたから、重さの正体が何なのかがわかる。
「俺は」
佐竹はそこで言葉を区切り、深呼吸をしてから続けた。
「優志でも、優梨でも、どっちもすきだからな」
また、突拍子もなく告白をする佐竹。
──どうして。
「どうしてそこまで、僕に固執するの?」
好意を寄せられるようなことを、なに一つしていない僕が、佐竹にとって特別な人間であるはずがない。
『一目惚れだった』と佐竹は言っていたけど、ここまでの僕の人となりを見て幻滅したって不思議じゃない。
長所よりも短所を探したほうが早い性格なのに……。
「どうして……どうしてだろうな? こういうのって、やっぱり理屈じゃないだろ? だれかをすきになることと、チョコレートがすきってことは同じじゃないし、人間と食べ物では、すきのダンベルが違う……と思うんだが」
それを言うなら〝ベクトル〟ではあるけど。
『重さが違う』をダンベルで喩えたとするならば、あながち間違っていないような気がする……まさか狙って発言した? 佐竹だし、そんなはずはない、か。
「だけど、強いて言うなら……いや、やっぱやめとくわ」
「言いかけてやめないでよ、気持ち悪いじゃん。本当に、気持ちが悪い」
「二回も言うなよ!?」
最近、やたら僕に告白する佐竹だけど、なにかあったんだろうか?
「ばーか」
「うっせ」
僕らは互いにそっぽを向いて、恥ずかしさを見せまいとしたけど、言葉というのは口にするだけで、その意味を心に落とす。
それが佐竹の狙いだったなら……なんて考えるけど、そこまで器用なはずもないし、考え過ぎだな。
ふと、どこからともなくカレーの匂いが公園に漂ってきた。
そういえば──。
以前も公園で、カレーの匂いを嗅いだ気がする。
あのときはたしか、上手い具合にその場を締めたはずだ。
どんな風にして納めたっけな……。
なにはともあれ、そろそろ帰る頃合いだろう。
この議論が煮詰まれば、きっと僕らも焦げてしまうだろうから。
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