【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
六十八時限目 ダンデライオン交渉戦 ④
「なにかな? 追加オーダーかい?」
「私、まだ照史さんから受け取ってません」
なんのこと? と言いたげに、照史さんは腕を組んだ。
「オーダーはドリンクのみだったはずだけど……」
「そうですね。私が注文したのはアイスコーヒーのみです」
「じゃあ、優梨ちゃんはなんのことを言っているんだい?」
「照史さんからの依頼について、ですよ」
私が言うと、照史さんは広角を上げた。
「いやはや、ボクには覚えがないなあ」
態とらしく両手を広げて、ぱどぅーん。
「それともキミには心当たりがあると……そう言うのかい?」
「ええ、もちろん」
これは、私と照史さんの茶番劇だけど、佐竹君は「何事だ!?」と慌てている。
それを右手で静止して、言葉を続けた。
「照史さんは言いましたよね? 私に〝佐竹君の課題を手伝てあげて〟と。佐竹君も訊いていたでしょ?」
「え? あ、ああ……訊いたな」
「これはつまり〝私に依頼をした〟ということですよね」
「そうかな? ボクにそのつもりはないけど。ボクはあくまでも選択肢をひとつ用意したに過ぎないさ。言うなれば〝可能性を示した〟と言い換えてもいい。佐竹君が課題を終えられない未来と終わらせる未来、そのどちらが佐竹君にとっていい未来なのか……なんて、考えずとも一目瞭然じゃないかな?」
照史さんはそう言うと、勝ち誇ったような表情で鼻を鳴らした。さすがは月ノ宮グループの次期社長に選ばれた存在だ。話の逸らし方が巧みで、佐竹君なんか「なるほど」と頷いている。
「照史さんは〝選択肢を増やしたに過ぎない〟と言いましたね。より良い未来を選ばせた、とも……それは少々強引過ぎると言い訳に訊こえるのですが」
「どう強引なのかな」
「未来を選ぶ権利は他人から与えられるものではなく、自分で勝ち取る権利です。譬えその道が間違えていたとしても、自分が選んだ道の末路は自分の意思で辿り着くのが筋。然し、照史さんは〝可能性を示しただけ〟と言っても、佐竹君がその道に進むよう言葉巧みに仕組んだ」
「……そう返すか」
「もし可能性だけを示すならば、私に対して〝勉強を教えてあげて〟とは言いません。佐竹君に〝わかる人に教えを請うのも手だよ〟と伝えるべきではないでしょうか?」
私と照史さんがにやけながら繰り広げている茶番劇に、佐竹君は固唾を呑んで見守っている。
「私に〝勉強を教えてあげて〟と言った時点で、照史さんは私に依頼をしたことになるんですよ」
照史さんは私の思考を読み解こうと、黙って訊いていた。
そして、瓦解する──。
「まさかそこまで断言されるとはね。完敗だよ、優梨ちゃん」
「だって、私だけが損をしているのは嫌ですもん」
「損とまで言い切るのか……佐竹君、キミの恋路は前途多難かもしれないけど、ボクは応援するよ」
「は、はあ……いまのなに? まるで犯人を追い詰める探偵の推理ショーを見ている気分だったぞ。普通に、ガチで」
ここまでできたのは、照史さんが『依頼料としてクッキーを差し出した』と言わなかったからだ。
「どうしてクッキーを出さなかったんですか?」
「だって、それはボクの趣味というか、暇潰しに作っただけの物だからね。依頼料としては相応しくないだろう?」
「そうっスか? 普通に美味かったっスけど」
は、と思ってクッキーの皿を見た。
一枚も残ってない……。
「おかげで楽しい時間を過ごせたからね……で、優梨ちゃんはボクになにを求めるんだい? 可能な範囲で、一つだけなら望みを叶えてあげられるかもしれないよ?」
「じゃあ遠慮なく……夏休み中に限り、アイスコーヒー一杯無料でどうでしょう?」
「意外にぐいぐいくるんだね、優梨ちゃん。……いいよ、ボクが依頼したことだしその条件を呑もう! でも、次回からね?」
ありがとうございます、と私はその場で頭を下げた。
「俺の課題を手伝ってもらうってだけの話だったのに、意味不明なバトルが始まって焦ったわ。マジで」
「それだけ大変なことなんだよ?」
半分冗談で、半分は本気。他人に勉強を教えることは、質問に対して答えられるだけの知識が必要になる。正直に言って、私にそれができるかどうかは怪しい。でも、引き受けたからには鬼になって佐竹君の課題に取り組もう! と心の中で気合いを入れた。
「課題が終わるまでリア充的なイベントの参加は不可だからね?」
「え、マジか……近々BBQの予定があんだけど」
「だめです」
「だよなあ……マジかあ……でもなあ……はあ……」
と、深い溜息を吐く佐竹君を見ながら、私は店内に流れる音楽に耳を傾けた。ビートルズの〈ゲットバック〉。この歌詞には意外にも、男の娘が出てきたりする。
女に見えるけど、実は男だったのさ。
照史さんがどうしてこの曲をチョイスしたのかはわからないけれど、戻ってきてくれと歌うポールの声が、妙に胸を騒つかせた。
私はどこに戻ればいいんだろう。
セーブ地点などない世界では、戻る場所がない。
照史さんは唇に薄っすらと笑みを浮かべたまま、ドライカレーの仕込みを始めていた。
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