【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

三百七十一時限目 ギャル男と文藝[前]


 キャンプから数日後、携帯端末が惰眠を貪っていた僕を叩き起こす。折角いい気持ちで昼寝していたのにと文句を言いながら画面を覗き込むと、宇治原君からメッセージが届いたことを告げる音だった。

 そういえば、宇治原兄に宗玄膳譲について訊ねる、という趣旨で連絡先を交換したんだっけ。自撮り写真をアイコンとして使うとは、さすが目立ちたがりだ。



 宇治原:兄貴に話をつけた

 宇治原:明後日の午後一時なら空いてるって

 宇治原:お前の予定は?

 鶴賀優志:いまのところ予定はないから大丈夫だと思う

 宇治原:兄貴だって暇じゃない

 宇治原:だと思う、じゃなくて、その日は確実に空けろよ



「随分と上から言ってくるじゃん……」

 とはいえ、その通りである。僕の要件に付き合ってもらうのだから、曖昧な態度は宇治原兄に失礼だろう。



 鶴賀優志:わかった

 鶴賀優志:明後日の午後一時

 鶴賀優志:必ず空けておく

 宇治原:場所は家じゃなくていいよな

 鶴賀優志:どこでもいいよ

 宇治原:じゃあ

 宇治原:こっちの駅中にあるミスド待ち合わせで

 宇治原:牛丼屋の隣だ

 宇治原:絶対に遅刻するなよ



 わかった、そう返信をすると、数秒後に宇治原君が「忘れてた」と駅名を送信。宇治原君の最寄り駅は佐竹の家に行く途中の通過駅にあり、流星がアルバイトをしているメイド喫茶〈らぶらどぉる〉に向かう際の乗り換え駅だった。

 当日、僕は三〇分余裕を持って駅に到着した。人通りが多い駅中で、指定されたミスドを探す。宇治原君が言っていた通り、牛丼屋の隣にミスドがあった。

 外から店内を窺ってみたが、宇治原兄弟の姿はない。先に入店して場所を取っておくと宇治原君に送信して、店内へ。

 入った瞬間に甘ったるい匂いが腹の虫を鳴かせる。色とりどりのドーナツが並んでいるのを尻目にしながら、アイスカフェラテだけを注文し、四人掛けの席を一人で占領した。

 席を探す人々の「空気読め」という視線に耐えながら、待つこと一〇分。

 オーバーサイズの黒い無地ティーシャツに、だぼっとしたジーンズを合わせ、〈59FIIFTY MLB〉のシールが貼ってあるベースボールキャップを被った宇治原君が登場。

 羽根のシルバーチャームが付いたネックレスを揺らしてやってきた。

 ……どうしてB系ファッションなのかは、ツッコまないでおこう。

「よう」

 と言って、僕の前に座る。

「お兄さんは?」

 訊ねると、宇治原君は右手の親指をくいくいっとレジのほうへ向けた。

「適当にドーナツを選んでからくるってさ」

「そっか」

 とだけ返して、アイスカフェオレを啜る。

「おい鶴賀」

 僕をじいと見て、

「兄貴はちょっとアレだから、笑うなよ」

「え、なに? どういうこと?」

「見りゃわかる」

 そう言われると余計に気なるのが人の性ってものだが、僕がこれまで相手にしてきたのは、一癖も二癖もある人たちだ。その人たちを超える、なんてことはないだろう。

「待たせてごめんねー!」

 と、かなり軽い口調でやってきた男は、日焼けサロンに通っているかのような褐色肌に銀髪のつんつん頭、そしてアロハシャツ……どこからどう見ても昭和に存在したギャル男、そのものだった。つり目は遺伝なのだろう宇治原君と同じだが、背丈は佐竹と同じくらい。正面から見ると魚のカワハギみたいな顔だ。

 文学に精通しているとは思えない見た目で、僕は自分の顔が引きつるのを誤魔化すように作り笑いを浮かべた。

「兄のマサヒロだ」

「中居君じゃないほうのマサヒロね! あ、じゃないほうっつってもわかんねえか! 日が二つに、弘法筆の誤りの弘で、昌弘。……で、キミがって……あれ? ボーイッシュ系女子?」

「兄貴。コイツはボーイッシュな女子じゃなくて、ボーイッシュなボーイだって」

 ボーイッシュなボーイって、それはもうただのボーイなのでは?

「鶴賀優志です。お忙しい中お呼び立てして申し訳ございません」

 そんな硬っ苦しい挨拶はいいって、と昌弘さんは頭を振る。

「取り敢えず食うべ?」

 持ち帰り用の箱をずずいっとテーブルの中央に押しやり、「じゃじゃーん!」と大袈裟な効果音を付けて開けた。

「適当に八個選んだから、お前らは三個ずつな? おれはこれとこれだ!」

 そう言って嬉しそうに取り出したハニーディップとフレンチクルーラーを両手に持って、右手のハニーディップに齧りついた。

「ん? 遠慮せずに食えよ」

 と昌弘さんは言うが、箱の中にあるドーナツは、かなり地味な絵面だ。

 適当に選んだとは言っていたけど、これは……。

「相変わらず、兄貴はセンスねえな」

 宇治原君はオールドファッションハニーと取り出して、ぶつぶつ文句を言いながら齧る。僕はストロベリーリングを選んだ。普段は絶対に選ばないドーナツだけれど、地味な絵面のなかで一番華やかだったのがこれだった……まあ、悪くはない。

 昌弘さんはがぶがぶっと一気に二つのドーナツを食べ終えた。

「ふう……汁そばいきてえな」

 汁そばはミスドで提供される麺類のなかでも一番スタンダードな麺類で、チキンベースのスープはあっさりしていて美味しい。だが、甘いドーナツを食べたあとに食べるものではない気もする。

 この人もしかして天然なのか、と思い始めてきた頃、宇治原君が「アレだって言っただろ」と目だけで訴えてきた。

 シュガーレイズド、ポンデ黒糖と食べて、口の中がこれでもかと言わんばかりに甘くなったのをカフェオレで流し込んで、「ご馳走さまでした」と会釈をしてから居住まいを正し、本題を切り出した。

「宇治原君から訊いているとは思いますが、今日、昌弘さんをお呼びしたのは、宗玄膳譲についてお話を伺うためです」

「その前に、おれからいい?」

 はい、と首肯する。

「鶴賀っちさ、堅苦しいにもほどがあるぜえ? もっとこう、バイブスアゲアゲでいこうぜ?」

「ばいぶすあげあげ……?」

「兄貴が言いたいのは、もっと肩の力を抜けってことだよ」

 弟の通訳がバウリンガル並みに優秀。

「おれのことは昌弘さんじゃなくて、ヒロさんかマサくんで。昌弘さんなんて呼ばれると、背中が痒くなる」

「では、間を取ってマサヒロ君でいいですか?」

「間を取ったらサヒくんじゃね? おお、サヒくんって新しいな!」

 サヒくんの言い方が〈牛丼〉と同じなのは、隣にある牛丼屋と因果関係があるのかもしれ……ないな。


 

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