【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
三百七十時限目 その熱が消える前に[後]
「お前とは絶対に理解し合えないと思う。でも」
そこで一呼吸置いて、アウトドア用のマグカップに口をつけた。
佐竹は両膝に肘をついた前傾姿勢で、片手に持った火挟でがさごそ焚き火を弄りながら。流星は夜空を見上げながら。
二人とも、思うところがあるような顔つきだけど、きゅっと口を結んでいる。
僕の近くで鈴虫がりいんりいんと羽音を鳴らす。鼻で息をすると焚き火の臭い。げほげほ噎せた僕を睥睨した流星が、手に持っていたマグカップを差し出した。
「ありがとう」
そう言って受け取り、一口。温くなった麦茶では、喉の渇きを潤してくれなかった。でも、ないよりはマシ。僕が流星にコップを返すのを見計らって、宇治原君が僕を「いいか?」って言いたげに見た。つり上がった目に細い眉。狐色に染めた髪が、より一層に宇治原君をキツネっぽくしていた。
そういえば、あまり知られていないけれど、キツネはけらけら笑うように鳴くのだが、宇治原君も同様に、他人を小馬鹿にするような引き笑いをする。でっひゃっひゃ、みたいに。その笑い声を訊く度に不愉快な気分になるのは、風呂場でゴキブリを見つけたときと似ているような気がした。
宇治原君は狐色の髪を軽く掻いて、
「佐竹の意思は、無視できねえから」
と言い、ぼさぼさになった頭髪を撫でる。
僕が口を開く前に流星が、
「それは罪の意識からか」
睨むような視線を向けた。が、流星はもともと目つきが悪い。普段から仏頂面で機嫌が悪いように見えるけれど、それが流星のスタンダード。流星が相手を本気で睨むときは口調も刺々しくなるので、いまはまだ大人しいほうだ。
宇治原君もそれを知っているのか、平然とした様子で首肯した。
「それもあるけど、それだけじゃない」
「なんだ?」
あまり感情を表に出さない流星が、珍しく疑問形を使った。
いまでも偶に思うことがある。
流星が〈エリス〉としての性に疑問を持たず、女性として人生を歩んでいたら、流星は……エリスはなに不自由なく暮らしていただろう、と。
そんなパラレルワールドがあるとしたら、流星のひらひらスカート姿も拝めるかもしれない。メイド喫茶〈らぶらどぉる〉の給仕服も似合っていることだし、悪くないんじゃないかな──だけど、僕と流星が恋に落ちるなんてことはないだろう。なんとなくだけど、そんな気がする。
「いっときは佐竹の座を奪おうとしたんだ」
後に語り継がれる〈宇治原の乱〉である……語り継がないけど。
「それを佐竹は許してくれた。だから……変わらなきゃって、そう思った」
だから、を強調して言う、宇治原君。
その一歩目が、高校二年生になったあの日の校門前。
宇治原君はあの日、僕に歩み寄とうとしたのだ。それを突っぱねた僕は、恨まれても文句は言えない。
「お前の志は立派だと思う。でも、優志には届かない」
ぴしゃりと断言した流星は、僕を見ずに言葉を続けた。
「コイツはなよなよしているけど、かなり頑固者だからな。チワワみたいな見た目のくせして、自分に害をなヤツには容赦なく噛みつく」
佐竹の「それわかるわあ……」って顔が、妙に腹立つ。
「そこに関しては優志も悪い」
「え」
突然白羽の矢を立てられて、頭の中が真っ白になった。
特に考えていたこともなかったけど。
「優志、お前は今日一日、なにを考えていた」
「えっと……本について」
「そう言えば、そんなこと言ってたな」
言われるまですっかり忘れてたけど、と佐竹は苦々しく笑う。
「本って、あの本のことか?」
宇治原君の問いに、流星が頷いた。
「んだよ。てっきりアマっちが調べてんのかと思った」
「オレがそんな面倒なこと調べるわけないだろ」
──たしかに。
「あのさ」
おいおい、ちょっと佐竹。
このタイミングで「あのさ」は、嫌な予感しかしないんだけど?
「思ったんだけど、宇治原はその本のこと、割と知ってるんだよな?」
「知ってるのは兄貴だけど」
「だったら、宇治原と優志で解決すればよくね? 普通に、ガチで」
僕が反発しようと身を乗り出すより数秒早く反応した宇治原君は、椅子から立ち上がって「それはさすがに佐竹のお願いでも無理だ」と猛抗議する。だが、佐竹は涼しい顔で焚き火を弄りながら、顔だけを宇治原君に向けた。
「変わらなきゃって思ったんだったら、これはいい機会じゃね? 別に仲よくしろとは言わねえさ。宇治原の兄貴がいる日に優志を自宅かどこかに招いて、そこで話をつければいいだろ?」
「優志はどうだ」
流星が訊ねる。
実際問題、そこまで宗玄膳譲について知りたいかと言われたら、そうでもなかった。けれど、この場で佐竹の提案を断るのは、どうにもいっかなこれまたどうして、不義理のような気がしてならない。
「まあ、僕はいいけど」
「……お前、正気か?」
「うん。だって、メインは宇治原君のお兄さんに話を伺いにいくわけで、宇治原君と手を繋いでウインドショッピングするってわけじゃないし……宇治原君はどうなの? お兄さんと折り合いが悪いとかだったらいいけど」
佐竹姉弟や天野姉弟のように、宇治原兄弟の仲がいとは限らない。それに、弟が弟だ。兄の性格が弟よりも悪いって場合も存分に有り得るわけで、僕としてはこの話を断ってくれたほうが気は休まるのだけれど。
「ちっ……わあったよ。兄貴に話つければいいんだろ」
そう言って、宇治原君はジーンズのポケットから携帯端末を取り出してささっと操作。流星の後ろを通り、僕の横へ。ぬっと差し出された携帯端末の画面には、メッセージアプリのQRコードが映し出されていた。
「早く登録しろ」
「え? あ、うん」
ぴこん! と、キャンプ場に相応しくない電子音が、僕の携帯端末から。
「日程が確定したら、教える」
「わかった」
そうして宇治原君は自分の席に戻り、「佐竹、マジで勘弁だからな? あとでジュース奢ってくれよ」と絡んでいた。
* * *
すっかり皆が寝静まったころ、僕は寝苦しくて眠れずテントから抜け出した。夜とはいっても、ここは山奥のキャンプ場ではない。寒暖差はそこまでなく、川の近くだけあって藪蚊がそこら中に飛んでいる。
キャンプ場を照らす常夜灯周囲には虫が集まり、その中に大きなツノを持つ昆虫を見つけた。腹の匂いを嗅ぐと饐えたスイカみたいな臭いがするでお馴染みの、カブト虫だった。
どこか気が利いた場所はないものかと周囲を左見右見して、川の近くにある大石に座ろうかと考えたが、足を止めた。夜中に水場に近づくのは危険だ。
水が溜まる場所はマイナスのオーラが漂う、という話を思い出した。夜の海にしても、川にしても、底が見えない暗闇だ。変な想像をしてしまって、背筋がぞぞぞと粟立った。
枕元に置いていた懐中電灯で他のテントを照らさないようにしながらふらふら歩いていると、ついついキャンプ場本部まできてしまった。
既に営業を終えているだけあり、明かりはついていない。
キャンプ場を出て右折した先にあるベジタリアンカフェの横にコンビニがあるけれど、そこまでいくにはだれかに言伝するべきだろう……皆、気持ちよさそうに眠っていたし、僕の気まぐれで起こすわけにもいかない。
本部の隣にある洗い場は、コンクリートを台にして建てられている。そのコンクリに座り、ぼうっと夜空を見上げた。
満天の星があるわけでもなく、見慣れてしまった夜空には、夏の大三角形がきらきら輝いている。あれがデネブ、アルタイル、ベガ。僕の知らない物語は、いつまでも知らないまま時が過ぎて、知ろうと思ったときには消えて無くなっているに違いない──知ろうとしないから、知りたいと思っても時すでに遅し。
知りたいことは沢山あって、知りたくないことも山ほどあって、だけど、知りたくもないのに知ってしまうことのほうが多い人生だ。
佐竹はどうやら、僕のことが好きらしい。
天野さんも、僕のことを好きになってくれたようだ。
それを知らずにいれたなら、どんなによかっただろう。そんな風に思うのは、僕を好きになってくれた二人に対して、失礼かもしれない。でも、だけど、どうしてもそういう嫌な考えが浮かんでしまう。どうして僕なのだろうか。僕じゃなくてもいいはずだ。僕を好きでいることに、佐竹や天野さんは苦痛を感じないはずがない。
──いつまでも待っている、なんてことはないぞ。
僕らに残された時間は、残り一年と数ヶ月。
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by 瀬野 或
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