【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
三百六十八時限目 宇治原と流星[前]
僕が網を洗い終えてテントに戻ると後片付けは完了して、三人で輪を作るように椅子を持ち寄り雑談をしていた。円の中心には僕が使っていた椅子があり、お菓子の袋が置かれている。「限界だ」と言わんばかりに寝転げていたのにまだ食べるのか……と視線を向けていると佐竹が僕に気づいて「おおい」と手を振った。
「おつかれさん」
労いの言葉に目礼だけして、網を元の場所に戻した。火はもう完全に消えて、白くなった墨だけがコンロの中で静かになっている。
「優志も食うか? ポテチ」
佐竹はごく自然な流れでそう提案したのだろうけれど、その輪の中に入るのは躊躇われた。
「いや、要らない」
空いている席があれば「それじゃあ」と席に着いたかもしれないけれど、僕が座れる椅子はお菓子に占領されている。まるで「お前の席ねえから」と言われているような気がしていい気分はしなかった。
それよりも、売店で見かけた本がどうしても気になって、お菓子パーティーどころじゃない。
僕は川原にあった、腰を掛けるには丁度いいサイズの大きな石──岩と呼ぶべきか──に座って川の中腹くらいの場所をぼんやり見つめながら状況を整理する。
『キャンプ場の売店に小説が売っていた』
これだけならば、そういうキャンプ場の売店もあるかもしれないと捨て置ける。その小説が人気作品であれば、それほど違和感もなく受け入れてしまえるだろう。だが、これが『宗玄膳譲というほぼ無名のアマチュア作家書いた小説が売られている』とすると、どうだろう?
やはり、違和感は拭えない。
数日前まで〈宗玄膳譲〉という作家の名前すら把握していなかった。これが宗玄膳譲の現状で、アマチュアながらに健闘はしているようではあるけれども、メディアの話題にはなっていない。過去にヒット作のひとつでもあれば話も少しは明るくなるというのに、僕のアンテナに擦りもしていないのであれば、その可能性は極めて低くなる。
「やっぱり、キャンプ場スタッフに関係者がいるとしか思えない……」
「なんだ。また変なことに首を突っ込んでるのか」
「あ、流星」
流星は、右手で犬を追い払うような仕草をする。
僕が腰を浮かせて空けたスペースに遠慮なく座った流星は、座るなり大きな欠伸をした。余程、あの二人との会話が退屈だったのだろう。
欠伸を終えると、
「お前は歩く死神かなにかか?」
なにかにつけて面倒事を持ってくる僕を皮肉った。
「殺人事件を捜査した覚えはないよ」
頭脳は大人の少年探偵じゃあるまいし。
「似たようなものだろ」
探偵役を買って出た覚えもないんだよなあ……。
「それで」
流星は退屈そうに、足元にあった小石を蹴った。小石はそこらにある石に何度かぶつかった後に、川の中へと沈んでいった。最近、やけに川と縁があるものだ。
「今回はなんだ」
「話すと長いんだけど」
「一四〇字にまとめろ」
それは呟き程度に納めろということ? ……不可能ではないか。
「三日前に発売されたアマチュア作家の本がここの売店でも販売されていて草」
「最後の一言で全てを台無しにしていくスタイル。まるでTwitterだな」
そういう趣旨でまとめろと言ったのはアナタですよね? と相手の意見を訊かずに繰り替えし発言するのを、インターネットでは『ディベート』って呼ぶらしい。
Twitterのクソリプ合戦にしても、口論にしても、生産性のないことに熱意を注げるのは凄いなって思います(語彙力)
「キャンプ場スタッフのだれかがその著者が好きで置いているだけじゃないのか」
偶々だろ、と言いたげな目。
「僕もそれを考えたんだけど、売れるかも危うい本を置いておくのかなって」
「一理ある。売れない本を置いておく理由はない」
とても綺麗な手の平返しに、僕は苦笑い。
「流星は宗玄膳譲って名前に訊き覚えある?」
そうげんぜんじょうねえ……と小首を傾げる。
「店にはいろいろな職業の客がくるとはいえ、その名前で本を出している作家の話は訊いたことがない」
「そうかあ……」
メイド喫茶ならば創作系の仕事や趣味をしている客だって訪ねてくると思って流星に訊いてみたが、この分だと手掛かりは得られそうにない。当てにしていたわけじゃないけど、糸口くらいにはなるだろうと思っていただけに肩が下がった。
「……いや待てよ」
「うん?」
「さっき、優志が洗い物に行っていたときに父親の仕事についての話題が出たんだが」
どうしてそんなテーマを選んだんだ? せっかくのキャンプなのだし、悩みの種になりそうな話題からはななるべく距離を置きたいはず。特に佐竹と宇治原君は煙たがる話題だが……ああ、なるほど。
その話題を出したのは、僕の右隣に座って退屈そうに足をぶらぶらさせている流星に間違いない。おそらく、佐竹か宇治原君に「面白い話でもしてくれよ」と無茶振りされた腹いせだ。そう考えると、どことなくぎこちない雑談会の様子に合点がいった。
「宇治原の親父さんが週刊誌の記者らしい。雑誌名はなんだったか忘れたけどな。たしか文学系の雑誌だったぞ。母親はコラムニストだったとか」
「ご両親が言葉を扱うスペシャリストなのに、どうして息子はあんなに語彙力と発想力がないんだろう……」
「語彙力と発想力がなくて悪かったな」
振り返ると、佐竹と宇治原君が水着姿のまま立っていた。細身ではあるが、程々に筋肉がついている。所謂〈細マッチョ〉ってやつだ。
高校で部活動をしていないけど、中学時代に激しい運動をしていたような体格である。そのときにできた筋肉を維持しているのだから、宇治原君は案外努力家なのかもしれない……けど、その理由もどうせ『モテたいから』とか、そんな下らない理由なのは明白だった。
佐竹軍団の中でも特に、モテたい、と豪語するのは、なにを隠そう宇治原君なのである。
「暇だからもういっちょ川で泳ごうと来てみれば、陰口かよ。本当に陰キャだな」
元からのつり目が、更につり上がっている。このままつり上がると目が縦になるんじゃないか、なんて心配してしまうくらいつり目。たしか、そんなキャラクターが登場するホラー漫画があった気がする。なかなかに怖いと有名な漫画で、実写映画化もされていたが、ホラー漫画の実写化で成功した映画のタイトルを訊いたことがないんだよなあ……。
「なるべくお前とは関わらないようにしてたけど、さすがにもう限界だ。人を蔑むような目で見やがって。なにさまのつもりだよ」
怒り心頭に発すると呼ぶに相応しいほど顔を赤くしている宇治原君を、佐竹が「まあまあ、落ち着けって」と宥める。が、宇治原君に佐竹の言葉は届いていない様子だった。
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