【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

三百六十七時限目 さまにならないサマーキャンプ ①


 キャンプの準備は三日を要することもなく終わった。

 ぱんぱんに膨張したバックパックを背負うと、その重みで体がふらついた。たらを踏みながらバランスを取り、心の中で「セーフ」と呟く。出鼻で挫いていたら心が折れて、自室にとんぼ返りするのは目に見えている。そして、クーラーが効いた部屋でアイスコーヒーを飲みながら、佐竹に「風邪ひいた」と嘘を吐き、そのまま読書に耽っていたに違いない。

 ここまで明確に未来予測ができると、僕にはそういう特殊な力が秘められているのかもしれないと考えてしまう。特別な存在。とどのつまり、ベルタースオリジナルを舐めることが許された存在、というわけだ。しかしいっかなこれまたどうして、妄想でしかない能力なんて、なんの価値もないのが残念である。

 バスと電車を乗り継いで、梅ノ原駅に到着した。今日も空は青く、太陽がアスファルトを焼く。連日のように最高気温を超えていく気温には頭が下がる思いだ。いやはや、脱帽だね。然し、真夏日に帽子を脱ぐなんて自殺行為でしかないのだが。

 梅ノ原駅に『クーラーが効いた待合室』などという物は存在しない。

 太陽光を防げる場所は切符売り場付近にある畳張りのベンチと、影になっている自販機横のベンチくらいなものだ。そして、そのどちらにも佐竹たちの姿はなかった。

 どうにも僕は、待ち合わせ時間よりも早く行動する癖がある。

 それだって、常識のはんちゅうだろう。

 一〇分前を狙うなんて、ナンセンスにも程がある。

 目的地へと向かう途中に事故や忘れ物をしたらどうする? 仮に、三〇余裕があれば違う電車を選んで遠回りしても間に合うはずだし、忘れ物だって取りに戻れるかもしれない。

 なにをするにも最悪の事態を想定して動くことこそ重要なのだが、彼らと行動するの場合のみに限り、時間ギリギリ行動でいいのかもしれない。僕が律儀に時間を守ったって、周囲が守らなければ無意味なのだから。

 自販機でサイダーを購入し、近くにあるベンチに座ってプルタブを開ける。ぷしゅっと炭酸が弾ける音は耳心地いい。一口飲む。清涼感溢れる刺激が体を冷やしてくれた。

 夏と言えばサイダーとアイスコーヒーで、この二つが合わされば実質最強とも言える。けれど、美味しいからと言って掛け合わせた物が美味しくなるとは限らないのだ。

 一時期〈スパークリングコーヒー〉なる飲み物が世に出回ったことがあった。名前からして危険な香りが漂うが、一口飲んだ瞬間、絶望したくなるような味が口の中いっぱいに広がったのを覚えている。喩えるならば、にがうりを摩り下ろした物に炭酸を加えたような味で、この飲料を開発したメーカーに文句を言いたくなるほどの不味だった。いくら『話題性がある』と言ったって、食べ物で遊ぶのは感心しない。

 この件以降、僕はその商品を販売したメーカーの飲み物は一切口にしなくなったのは、言うまでもなかいだろう。マジでファイア。

 腕時計で時間を確認する。

 佐竹たちが遅刻を避けて行動する場合、十五分後にやってくる下り電車に乗ってくる可能性が極めて高い。その電車を逃すと、次に下り電車が到着するのは一時間後である。さすがは田舎の電車、と言ったところか。

 思いのほか喉が渇いていたようで、三百五十ミリリットルのサイダーは、あっという間に底を見せた。最後の一滴まで搾り取るように飲み切り、自販機横のゴミ箱に捨てた。ごとりと物音がする。こんな場所でサイダーに舌鼓を打つ奇特なヤツは、僕だけだった。

 たらりと垂れる汗をハンカチで拭いながら歩き、改札側にあるベンチに移動して隅っこに座る。梅ノ原駅の改札は、一般的に知られている開閉式の自動改札ではない。入る側と出る側に、タッチ式のパネルが付いたポールが立っているのみである。だから、違法行為──無賃乗車やキセル乗車など──をしようと思えば容易くできてしまうのだ。セキュリティがざるなのも、田舎駅ならではだろう。

 下り電車が到着し、電車が人々は吐き出していく。その光景をぼんやりと眺めながら、佐竹たちの姿を目で探した。

 梅ノ原は散歩コースがあり、中高年には案外人気だったりするのだ。その証拠に、これからハイキングに行ってきますという具合の服装をしたおばちゃん一行が、ところてんを筒から押し出すように改札を抜けてきた。

 その一団の後ろから、佐竹と流星が顔を出した。

「よう。待たせたな」

 どこかで訊いたような台詞をドヤ顔で披露したのは、大きなバックパックを背負った佐竹だった。オーバーサイズの真緑シャツにジーンズを穿き、靴はいつも履いているナイキのスニーカー。履き潰しているせいか、ところどころに汚れが目立っている。

 佐竹の背後で面倒臭そうに溜息を吐いた流星は、キャメル色の半袖シャツ、くるぶし丈の黒いスリムパンツにコンバースを履いている。野外活動をする服装ではないが、オシャレに決まっていた。

「なんで三人ともリュックの色が同じなんだ気持ち悪い」

 けんもほろろな態度で流星が言う。

 形状の違いはあれど、示し合わせたような黒のバックパックだった。

「黒が一番無難だしなあ」

「汚れが目立たないもんね」

 珍しく肯定してやったらそれが嬉しかったようで、

「だろ? だろ?」

 と、頻りに僕を指す。

 佐竹のノリが妙に暑苦しいというか、態とらしいというか……まあ、佐竹が面倒臭いのは、いまに始まった話ではない。けど、いつにも増してうざいのはどうしてだろうか? 思えば、携帯端末で連絡を寄越したときから違和感があった。なにか悟られまいと必死に隠そうとしているような態度が、僕の機嫌を逆撫でする。

 いつものように、

 ──あのさ。

 と、切り出してくれればいいのに。

 バスが停留所に到着したのを見て、流星が「おい義信」と佐竹の肩を叩いた。

「乗るのはあのバスじゃないのか」

「やべ! あのバスだ」

 目を見開き、合図もなく走る。

 僕と流星は出遅れて、佐竹の背中を追った。

 バスに乗り込み、適当な席に座った。僕を挟んで、前に佐竹、後ろに流星。バスを利用する客は少なかったもので、僕らは二人掛けの席を贅沢に使用していた。

 バスが発進してすぐ、佐竹が振り向いた。

「俺は失敗から学ぶ男だからな。ガチで」

 佐竹は以前、月ノ宮邸への道をバスで行けることを忘れたことがあったが、そのことを言っているのだろう。

「あのときはシンプルに悪いと思ったからな」

「だったら時間ギリギリに来るんじゃなくて、三〇分前行動を心掛けてくれないかな」

 言うと、佐竹は質が悪そうに唇を尖らせた。

「遅刻はしてねえだろ。普通に」

 それを言われると僕も弱い。待ち合わせ場所に余裕を持って到着するのを選択したのは、僕自身なのだ。

 ……あれ?

 どうして『僕が悪い』みたいな流れになってるの?

「佐竹に常識を説いても無意味だって忘れてたよ……」

 ところで。

 シンプルに悪いって、どういう意味?


 

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