【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
三百六十五時限目 謎の作家と文芸マーケット[後]
本当に琴美さんが描いたわけはないよな……。
そんなまさかが起きるならば、創作界隈の世間が狭いと言わざるを得ない。ただ、閉鎖的ではあると思っている。いや、取っ付き難いと言い換えるべきだろうか。僕が知り得るサークルは琴美さんが所属しているサークルだけなもので、余計にそう感じてしまうのかもしれない。
この絵はたしかに綺麗で儚げではあるが、それと同じくらいよそよそしさも感じる。愛の物語を綴る本の表紙が愛を語らず、というのもおかしな話だ。
「ラブロマンス、でしたよね?」
水瀬先輩はゆっくりとベーグルを飲み込んでから、
「切ないお話だよ」
多くを語るとネタバレになってしまうから、と付け足した。
宗玄膳譲という名前から受ける印象に、微塵もラブロマンスを感じない僕としては、読了した本人の言葉すら鵜呑みにできなかった。どちらかといえばミステリや謎物語──結末を敢えて書かず読み手に委ねる手法──を好んで書くような雰囲気さえする。
読む前からあれこれ考えても詮無いことだ、と何の気なしに表紙を捲った。目次を見る。〈コーヒカップと午後のカケラ〉は、五篇から成る短編集らしい。
本のタイトルになっている話は一番最初の物語。それから『ある夢の鏡像』、『茶色に染まった便箋』、『しかめつらのあいつ』と続き、最後に『半分こにした鎮痛剤』。在り来りで、抽象過ぎるタイトルの並びだ。
この作品は本当にラブロマンスを集めたものなのだろうか?
字面から漂ってくる雰囲気は不穏で、特に『茶色に染まった便箋』からは、血生臭い警察沙汰を匂わせる。ラブロマンスで人が死ぬことは、まま起こり得る話ではある。が、それは病死であったり、不慮の事故が大半を然からしめるはずだ。
僕は未だに半信半疑でそれらのタイトルを見つめながら、
「水瀬先輩はどの話が好きなんですか?」
助言を求めるような声音で訊ねると、持っていたベーグルを皿の上に戻し、テーブルに両手をついて前のめりになった。目次のページをずずいと覗き込む。ショートボブの髪が、耳の裏側からぱらりと落ちた。杖代わりにしていた右手をテーブルから離して、再び髪を耳にかける一連の動作に無駄がないのは、いつもそうしているからに他ならない。
真剣な表情を向けている顔の距離は目と鼻の先だったが、タイトル選びに夢中でそれどころではないようだ。僕だけが意識してしまうこの状況は、如何ともし難い……いやいやいかんと距離を置き、ぶんぶんと首を左右に振って雑念を払った。
「ううんと……どれもいいんだけど、特に印象深かったのは〝半分こにした鎮痛剤〟かなあ」
「半分こした鎮痛剤」
おうむ返しする。
 
鎮痛剤と訊いて思い浮かべたのはロキソニンSの白い箱だが、鎮痛剤はあくまでも比喩表現であって、物語の内容とは関係ないのだろう。いや、バファリンならばそれもあり得るか……? 敢えて無機質な物を持ってきたのかもしれない。それでも、他に気の利いた喩えはなかったものか。
読む前から文句ばかり論っているのは、アマチュア作家が書いた小説を否定したいからというわけではない。いい値段を支払ったのだからちゃんと読ませてくれよ、という淡い期待を込めているのだ。無料で読めるネット小説とは、わけが違う。
「あ、でも読むなら最初から読んだほうがいいよ?」
「はい。そのつもりです」
いきなり最終話を読むなんてことは、さすがにしない。あとがきから読む人はいるらしいけれど、僕は目次からしっかり読む派だ。なんなら行間までも読む。あまりに行間を読むもので、現実で会話が途切れてしまい、話が再開されるまでの沈黙すら読んでしまうレベルにまで到達していた。
「では、読みながら待ってますね」
「食べるのが遅くてごめんね。一気に食べちゃうのが勿体なくって」
申し訳なさそうな顔をしながら、生温かい笑みを零した。
カフェ〈Ounce more time〉を出ると、日差しは更に強くなっていた。肌がひりつく気温に、思わず「暑いね」と零したのは水瀬先輩。朝よりも人口密度が増したサンシャイニング通りを、片手団扇しながら歩いている。圧迫感もそうだが、どこからともなく流れてくる音楽も暑さの原因になっているような気がする。視覚と聴覚、両方に流れ込む情報量の多さに目眩を起こしそうだ。
駅前に到着した。
「今日は付き合ってくれてありがとう」
水瀬先輩は深々と頭を下げる。口調こそ自然になったが、態度までは変えられないらしい。頭を下げられるほど立派な人間ではないんだけどなあ。気恥ずかしく思いながらも「こちらこそ、ありがとうございました」と頭を垂れる。
「これから勉強ですか?」
「勉強……しなきゃいけないけど、本を読んでしまいそう」
そう言って、苦笑いを浮かべる。
「僕も続きが気になってるので、同じですね」
「よかったら、読んだ感想を教えてね」
前に踏み出さんばかりに語尾を強くする水瀬先輩に、
「わかりました。読み終わったら感想を送ります」
と約束をして別れた。
* * *
帰宅後、僕は部屋に閉じこもって〈コーヒーカップと午後のカケラ〉を読み進めた。最初こそ慣れない文体に違和感があったが、目が慣れてくるとそれが妙に心地よく、最後の一節を読み終えて閉じれば「はあ」と感嘆の声が漏れた。
本のタイトルになっている『コーヒーカップと午後のカケラ』は、老父婦の思い出語り。いまは亡き妻への想いを一杯の珈琲と共に思い出す、ハートフルな物語であった。読み終えてから表紙をもう一度見ると、水瀬先輩が言っていた「綺麗だね」の意味がわかった。
『ある夢の鏡像』は、ネット恋愛に身を投じる女性の話だった。自分を男性だと偽って始めたSNSで知り合った女子高生に恋慕しながらも、自分が女性であることをいつ打ち明けるべきか懊悩する社会人の主人公の結末は、書かれずに終わっている。
『茶色に染まった便箋』は、渡し損ねたラブレターをいまでも大切に持っている未練がましい男性の話だった。社会に出て、慣れない仕事に悪戦苦闘しながら生活する中で、かつて好きになった女性への想いを断ち切れずにいる主人公だったが、件の手紙の相手が取引先に勤めていることを知り、渡せなかった手紙を渡す話。これは、ハッピーエンドで幕を閉じる。
『しかめつらのあいつ』は、高校生の恋物語。主人公は女子生徒で、いつも太々しい態度を取る男子に苛立ちながらも、ついつい気にしている自分はなんなんだ、と自問自答し、それが恋心だと知る青春ラブストーリーである。僕はこの話に出てくる登場人物に、中学時代の知り合いである柴田健と、その恋人である春原凛花を抜擢したのだが、それがあまりにもはまり役で妄想が捗ってしまった。
最後は水瀬先輩が「特に印象深い」と言っていた『半分こにした鎮痛剤』だが、他の短編とは明らかに毛色が違った。
物語は、悲恋である。悲恋であり、悲劇でもあり、なにより、優しい話だった。大病を患ってしまった恋人と、それを支える女性。語り部は、車椅子に乗って病院の廊下にある締め切りの窓を眺めている青年。もう長くは持たない体であることを打ち明けるべきなのか、隠し続けるべきかを悩み続けて、最終的に、彼は嘘を選んだ。それが如何に残酷な行為であるかを知りながらも、連日のようにお見舞いにくる彼女に笑顔を振りまく姿は、彼の心境を知る読者の涙腺を刺激する。
この話は、妙にリアルな描写が続く。まるで、自分が体験していることを有りの侭に描写しているようだ。この話には、もしかするとモデルがいたのかもしれない。それとも、作者自身の実体験か……とすると、宗玄膳譲は女性作家ということになるが、全編を通して読んだ僕としては、この作者が男性であると思えてならない。
本にあとがきはなく、最後のページには印刷会社などの情報が記載されているのみで、ネットで宗玄膳譲を検索しても作品だけがヒットするだけ。彼本人に関する情報は、一切合切見つけれらなかった。
謎に包まれた作家、宗玄膳譲──
作品はラブロマンスなのに作者本人がミステリとは、益々興味を唆られる。如何せん作品を介する他に彼の人となりを知る手段がないのだから、水瀬先輩が宗玄膳譲の作品に対して異常なまでの興奮を抑えられずにいたのも頷ける。
僕は巧まずして、彼の作品ページにある二作目〈憐憫と名付けた華〉をクリックし、気がつけば購買ページを開いていた。
読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし差し支えなければ、感想などもよろしくお願いします。
これからも、当作品の応援をして頂けたら幸いです。(=ω=)ノ
by 瀬野 或
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