【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
五十八時限目 初デートは愁いを帯びて ④[後]
「キミがすべきだった行いは、大声で我々を呼び、助けを求めることだった。こちらには救助用ボートもある。泳いで戻るよりも早く、キミの友人を助けられただろう」
事実だけを淡々と突き付けられて、返す言葉もない。
「すみません」
「私たちはプロだ。緊急時にどう動くべきか、脳に叩き込んである。もしキミが友だちを助けに戻って、一緒に溺れてしまったらどうなるのか想像できるだろう。一歩間違えれば大惨事だったんだ。運がよかっただけとしか、私は言えない」
そう、僕は運がよかっただけだ。
ネットで得た知識が功を奏して、偶々助かったに過ぎない。
「緊急時に冷静になるのは難しいが、次に今日と似たような事態に陥ったら、自分一人で解決しようとせず、専門家に相談するか、大人の力を借りなさい。……いいかね?」
「はい。そうします」
では、と席を立とうとした堂島さんだったが、勢いよくドアを開けて入ってきた人物の顔を見て、すっと腰を下ろした。
僕を見るなり、
「おい! いくらなんでも断髪はやり過ぎだろう!」
堂島さんの胸ぐらを掴む勢いで、デスクに両手を叩きつけた。
「たしかに、この嬢ちゃんは間違ったかも知れねえが、女の髪を切るほどの罪じゃあねえだろうが!」
静かだった部屋に、熊田さんの怒号が響き渡る。
「……なにを言ってるんですか。彼は、女性の水着を着た少年です」
「はあ? お前、真面目過ぎて頭がどうにかなっちまったんじゃねえか? なあ、優梨ちゃん」
どうしたものかと堂島さんを見ると、「この無礼者に証拠を見せてやれ」と言わんばかりに頷かれた。……こうなったのも僕の責任だ。
立ち上がり、
「熊田さん。僕は、男子です」
言って、腰に巻いていたパレオを解いた。
「お、お前、男だったのか!?」
「いろいろ事情があってこの姿をしていますが、性別は男です。騙したかったわけではないのですが、すみません……」
「じゃあ、あの長い髪の毛は」
「ウィッグでしょう。おそらく、泳いでいるうちに外れて流されたのでは?」
「こりゃあたまげたぜ……」
熊田さんは目を丸くしてとぼとぼ歩き、僕の後ろに立った。
そして、
「まああれだ。二人とも助かったわけだし、終わりよければ全てよしだろ」
誤魔化すように、大声で笑った。
「なにを言っているんですか、熊田さん。アナタにも少なからず責任があるんですよ。理解してください」
熊田さんの責任って、なんだろうか? 僕らにシャワーを貸して、離岸流の警告もしてくれた。それのどこに責任が発生するんだろう。だがいまは、二人の会話に首を突っ込むべっきじゃなさそうだと思い、呑み込んだ。
「ああん? 彼女を救うために飛び出したコイツの度胸は大したもんじゃねえか。よくやったと思うがな」
いや、彼女ではないんだけど……。
「ですがね、熊田さん。我々としては、それを容認できない立場でもあるんです」
堂島さんも譲る気はないようで、睨み合いの状態が数分続いた。
「……文句なら後でたっぷり訊いてやる。だから、コイツらを責めるのはやめろ」
「わかりました。私はパトロールに戻りますので、あの子が目覚めて、どこも異常がなければ今日は帰してください」
「おうよ」
熊田さん、めっちゃいいひとだった……。
見た目で疑ってごめんなさい、と心の中で謝罪して、救護テントから出て行く堂島さんの背中を見送ると、熊田さんがげふんげふんと咳払いした。
「さてと……うるせえのもいなくなったし、お前も暫く頭を冷やしたいだろ? 先に店で待ってっから、恋莉ちゃんの意識が戻ったら教えてくれ。いいな?」
「はい。……あの、熊田さん」
「おう?」
「ご迷惑をおかけして、そして、いままで騙していて、本当にすみませんでした」
僕の謝罪の言葉を聞いた熊田さんは、大きな手で僕の頭をわしゃわしゃ撫でた。
「ちゃんと謝れんなら、なにも言わんさ。まあ、ひとつだけ言わせてもらうなら〝恥をかく勇気〟を身につけろ。……じゃ、また後でな」
僕はあの時、恥を恐れて助けを呼ぶのを躊躇ったのかもしれない。ちゃんと声を出して助けを呼んでいたら、もっと早く天野さんを助けられたのだろうそれは、堂島さんも口を酸っぱくして言っていた。幾ら後悔したって、時間が巻き戻ることはない。
このまま思考を放棄して、天野さんの隣の空いているベッドに寝転んでしまいたい衝動に駆られるが、さすがに健康体の僕がそこに眠るなんて図々しいにも程があるだろう。
救護室に戻り、天野さんが眠るベッドの隣に椅子を置いて座った。熊田さんが怒鳴り散らした後なのに、天野さんはすやすやと寝息を立てている。
意識が戻ったら二人で堂島さんに謝罪して、熊田さんにお礼を言って帰ろう。
それにしても、気持ちよさそうに寝ている。同級生の、しかも異性の寝顔を至近距離で見る機会なんて早々無いだろう。綺麗な顔だろ、眠ってるんだぜ? なんて思っていると、天野さんの目蓋がゆっくり開いた。
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