【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

五十六時限目 初デートは愁いを帯びて〜天野恋莉の場合〜[中]


 豪快で大柄な店長が営む海の家は、未だにお客さんは増えず、である。

 店の前の砂浜は綺麗なもので、私たちが付けた足跡だけが目立つ。隣の海の家から充分過ぎるほど間隔を開けて建っているこの店は、まるで人避けの結界でも張っているかのようだ。

 隣と距離を測らなければいけない理由でもあったのか、それとも結果的に距離が離れたのかはわからないが、兎にも角にもこの店の存在は不自然過ぎる。

 この店、と呼称しているけど、名前はなんていうのかしら?

 探りを入れつつ、店内を見渡してみた。

「ない、わね」

 店名らしい店名は、見当たらない。

 大体の店舗は店名を宣伝する意味も含めて、メニューの表紙やページの隅など、ありとあらゆるスペースに記載してあったりする。でも、この店にはお品書き自体が無い。存在するメニューは、全て調理場の上にあるのみだった。

 カフェスタイル、ではある。

 けれども、カフェではない。

 そういうことらしい。

 ネットに悪評でも書かれない限り、人っ子一人来ないなんて状況にはなり得ない。いいえ、仮にそうだとしても、野次馬根性丸出しな人が、好奇心を抑えきれずに突撃したりするものだ。それもないということは、もう私にはお手上げである。

 まあ、ユウちゃんのこともあるし、他に客がいないのは都合がいい。

 謎は深まるばかりだけど、まあいいや、と割り切ることにした。

 調理場でガチャガチャ物音を立てながら作業する店長さんを静観しながら、ぼうと暇を持て余していると、背後でドアのロックが外れた音が訊こえた。はと思い、振り返る。木製のドアが僅かに隙間を作った。

 肩が見えた。丸い曲線を描く肩。透き通るような白い腕が見えた。細い腕は白い。右足が見えた。学校がある日のほとんどは、駅まで自転車で数キロの道のりを走っている、と訊いている。なのに、太ももやふくらはぎには必要最低限の筋肉がついていない。

 筋肉がつきにくい体質?

 そんな体質、あるのかしら。

 ユウちゃんは、水着のトップを隠すように無地の白いシャツを着ていた。チラリと見えるお臍が可愛い。下は、白と桃のゼブラ柄のパレオを巻いている。なるほど、電車で「大丈夫」と言っていたけど、たしかにこれなら大切な部分を隠せる。

「お待たせ」

 そう言って、ちょこんとその場に立つユウちゃんに、私は呼吸するのも忘れてしまうほど釘付けになっていた。

 両手を前に組んで恥ずかしげに笑うユウちゃんは、可愛いを凝縮させたヒロインそのものだった。

 目を奪われない、はずがない。

 あの日、私の心を鷲掴みにした彼女がいま、目の前にいる。私とデートをしている。それが喩え忖度だったとしても、私を友だちとしか見ていなくとも、こうして同じ時間を共有できるだけで幸せね、と思った。

 ユウちゃんの服は佐竹のお姉さんである琴美さんが基準になっているであろうことから、きっとシャツから透けて見える水着も琴美さんが用意したに違いない。可愛いを知り尽くしたセンスは、素直に帽子を脱ぎたくなるほどだ。

 儚げな印象を受けるユウちゃんに、ピッタリ似合っていた。

 それにしても、男子なのにちゃんとくびれがあるって反則じゃないかしら? サッカーで手を使う、バスケットで足を使うくらい反則じみている。

「どう? 変じゃない?」

 ユウちゃんはその場で足踏みをしながら、両手を広げて一回転してみせた。パレオの結び目の隙間から見える太ももが艶かしい。私が同じことをしたら、が強風に煽られて一回転したように見えるだろう。

 あざとく見える仕草も、ユウちゃんだったら許されてしまう。

 ああ、もう本当に──

「好き」

 だなあ、と思った。

「え?」

 一驚したユウちゃんを見て、しまった、と口元を抑えた。思ったことが口から零れてしまったようだ。

 パニックに陥りそうな自分を律して、どうにか言い訳をしなくちゃと頭をフル回転させるが、そう易々と上手い言葉が出てくるはずもない。

「い、いやあ。好きな色合いだなあ……って」

 精々、この程度だ。

 土壇場に嘘八百を並べられるほど、私は舌が回らない。

 だから、真面目な顔をして本音を言う。

「とてもよく似合ってるわ」

「レンちゃんに太鼓判を押してもらえたら、なによりだよ。こんな姿を人前に晒すと思ったら足が竦んで、ドアを開けるのを躊躇っちゃった」

 憂いが腫れたとばかりに、ユウちゃんは頑是ない子どものような笑顔を浮かべた。

「ユウちゃんがクラスにいたら、楓みたいにファンクラブができてもおかしくない。だから、謙遜しなくていいわ」

 楓派と優梨派に分かれて派閥争いが起こりそうだけど、それは佐竹がなんとかして丸く収めるはず。

 あの残念過ぎるイケメンは、ここぞという場面、それこそ土壇場で本領を発揮する。私はいつも、それを傍から見ているだけ。佐竹に対して馬鹿だアホだと口では言ってるけど、なにも行動に起こそうとしない私よりはマシだ。

 入学して早々にリーダーシップを発揮して、クラスを纏め上げた手腕を好きになろうとした私は、酷く浅ましい女だ。御為倒しの告白なんて軽蔑されても文句は言えないのに、佐竹は咎めたりしなかった。『お互い様だ』と言って、事実上の許しをくれた。

 だからこそ、負けたくない。

 私も、佐竹も、ユウちゃんが好きで、恋人関係になりいたいと思っている。罪悪感を言い訳にして私が手を引いたら、佐竹は本気で怒るだろう。そして、そんな私を二度と許してくれない、と思う。

 あくまでも対等に張り合おうとする佐竹のためにも、許された自分にも、私は負けられらないのだ。

 ──欲しいモノは、どんな手段を用いても手に入れる。

 これは、月ノ宮家を象徴する言葉で、事ある毎に楓が口走る台詞だ。道徳や、倫理的なアレソレはどうであれ、この言葉は真理と言える。

 心から欲しいと望んだモノを手に入れるならば、手段を選んでなんていられない。

 競争相手だってそうなのだ。

 手を緩めた瞬間に、根こそぎ奪われる。

 手段なんて、一々選んでいられない。


 

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