【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

五十三時限目 月ノ宮照史は結末に影を落として濁す[後]


「お疲れ様。これ、よかったら飲んで」

 そう言って出してくれたのは、琴美さんが汁だくで頼もうとしていたアイスココアだった。

「ありがとうございます」

 と言って、照史さんの正面に座り両手で受け取る。受け取ったアイスココアは容器ごと冷やしていたのだろうかと思うくらい、キンキンに冷えていた。一口飲む。精神的疲労が続いたからか、アイスココアのまろやかな甘みが脳に染み入るようだ。

「ふう」

 溜息のような声が漏れた。

「なにやら大変そうだね」

 バーカウンター越しにいる照史さんは、自分の分のアイスコーヒーを手に持つと、「お疲れ様」と言いながら、乾杯するかのように僕のグラスの縁に当てた。

「店はもういいんですか?」

「ある程度は終わっているし、気にすることはない」

 外は夕間暮れ。街灯の明かりが点り、路地を照らしている。この時間になるとカーテンを閉めているのに、今日はまだのようだ。たまに犬の散歩をしている人が通るくらいの寂しい路地裏だが、閉店した店内から見るのもまた一興である。

「いろいろと話し込んでいたけれど、なにか掴めたかい?」

「どうでしょう。よくわかりません……」

 自分の中に答えがある、と琴美さんは言っていたが、漠然としていて輪郭が掴めないままでいる。それでも、話した内容には納得できる部分もあったし、有意義な話し合いとは言えないが、意味はあったと思うことにした。

「そうか」

 それ以上追及するでもなく、照史さんは黙ってアイスコーヒーを口に運んだ。

「お騒がせしてすみませんでした」

 改めて、琴美さんの分も一緒に謝罪した。

「利口だな、キミは」

 照史さんらしくない物言いに、はてと首を傾げた。利口という言葉はよい意味で使われる場合と悪い意味で使われる言葉だ。照史さんの表情さら察するに、後者の意味で使われたような気がする。

「優志君」

 いつになく、真剣な声音だった。

「はい?」

 なにを言われるのだろうかと、つい身構える。鯱張った僕を見て、照史さんは頬を少しだけ弛緩させた。それでも、鋭い目付きは変わらない。

「キミは、、という自覚はあるかい?」

 青春、か。

 この言葉は僕が高校生であり続ける限り、ずっと付きまとってくるだろう。まるで、呪いのように。

 身勝手な理想を押し付けられるのは、はた迷惑だ。でも、照史さんが訊きたいのはそういうことではない気がした。

 利口、そう言われた。

 ならば、子どものように、我儘に、僕は僕だけを傷つける。厭世的に、シド・ビシャスよろしくなアナーキーを決めてやろうと意気込んで口を開いた。

「そもそも、青春とはなんでしょうね。大人たちは僕らを青春真っ只中と呼ぶけれど、当事者からすれば毎日が苦痛の連続ですよ。それを青春だと呼ぶのなら、青春を謳歌している、と言えます」

 青春を謳歌する、という言葉の意味は、身体共に充実した日々を過ごしている、と胸を張って言えるってことだ。毎日がハッピーデーとか、サラダ記念日とか、ラララサムバディトゥナイ! している人だけが与えられる特権のようなものであり、僕みたいに地べたを這いずり回っているような陰湿なナメクジ人間が気軽に使っていい言葉じゃない。

「あまり自分を卑下するのはよくないな」

「照史さんはどうだったんですか。青春、してたんですか?」

「どうだったかな。随分昔の話だからね、忘れてしまったよ」

「ずるいです」

 不満を言うと、照史さんは殊勝顔をして言った。

「ほら、ボクは大人だからね」




 宵の口にダンデライオンを後にして、まもなく電車が最寄駅に到着する。空気を吐き出して開いたドアからホームに降りると、電車と外の寒暖差に嫌気がさした。ぬめるような風が吹くと、下り電車が汽笛を鳴らして発進した。

 サラリーマン風の男性がホームのベンチに腰を下ろして、肴も無しにビールを飲んでいた。ネクタイを緩めて、胸元までボタンを外し、背広は隣のベンチに掛けてある。晩酌するなら自宅ですればいいのにと思うけれど、彼は彼で思うところがあるのだろう。帰宅したくない理由があって、一人の時間を作っているのかも知れない。

 駅から出ると牛丼屋が目に留まった。ぐうと腹が鳴る。夕飯は牛丼にしようかと考えたがバスが来る時間ということもあり、牛丼はスルーして列に並んだ。

 駅でビールを煽っていたサラリーマンも、牛丼屋で働いている人たちにも青春時代があったに違いない。彼らは他人に自慢できるほどの青春時代を過ごしたのだろうか。思い返せば薔薇色だった、と感傷に浸れる高校生活だっただろうか。……そんなこと、知りたくもない。

 どうして照史さんは、僕にあんな質問をしたんだろうと一考しているうちにバスが停留所に停まった。ステップを踏んで、忘れないようにICカードをタッチする。

 混み合うバスの中は独特の臭いがした。駅には駅の臭いがあるように、バスにもまたバスの臭いがある。

『発車します。お掴まり下さい』

 というアナウンスに促されて、吊革ではなくポールを掴んだ。

 照史さんは、僕になにを伝えたかったんだろう。しゅんじゅんしたって答えは出ないだろうに、どうにもいっかなこれまたどうして、堂々巡りを繰り返す。

 大人たちの中に青春は当たり前のように存在している。だから青春は特別ではないと言いたかったのかも知れないし、違うかも知れない。

 もしも……、もしもを語ってもどうしようもないけれども、あのとき僕が照史さんの質問にイエスと答えていたら、続く言葉はなんだったのかが気になる。でも、だとしても、僕はノーと頭を振るしかできなかった。それは、照史さんの表情に優しさを微塵も感じなかったからだ。

 どうしてそう思ったのかはわからない。本当は慈愛に満ちた表情だったのかもしれないけど、諦観していたようにも思える。僕の答えがどうであれ、照史さんはそれ以上語らなかっただろう。釈然としないまま、僕は自宅に着いた。








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 by 瀬野 或

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