【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

五十一時限目 彼は彼女に憧れと嫌悪感を抱く[後]


 つい昨日まで平凡を絵に描いたような少年が、翌日に目が覚めるとスーパーパワーを持った超人になり、その日の体育測定で人外レベルの成績を叩き出したら不振に思われるのも当然だ。

 脳ある鷹は爪を隠すではなくて、これまで積み上げてきた自分を容易く切り捨ててしまうことに、僕は納得ができない。

 それは、いままでの自分を否定する行為だろう。

 自分が変わらなければ周囲も変わらない、なんてことはない。変わったとしても変わった分だけ馬鹿にされるのがオチだ。世界はいとも容易く廻る。自分のことを『世界を廻す歯車の一部』だと思うのは、酷い思い上がりだ。そういう意味で、『上手くやる』だったのかも知れないと結論に至った。




 暇潰しに開いた『思考問題集』のホームページをぼんやり眺めながら、脳トレ程度に答えを当てはめていた。

 一番有名な『トロッコ問題』が頭にきて、末尾は『人々を守る為に街を破壊したヒーローに正義はあるのか否か』という、僕にとってとてもタイムリーな問題だった。

 仮に、この問題が実際に起きたと想定すると、ヒーローが不憫に思えてならない。ヒーローは他人を救えても、自分自身は救えないのだ。ああ、なんという悲劇でしょう。からの、シュババと登場ギャグだろ勢力「これってギャグだろ?」。想像してイラッとしたが、これほど滑稽なマッチポンプも類を見ないと言える。

「肌寒いな」

 手元に置いていたエアコンのリモコンを操作して除湿に切り替えた。

 気分転換の意味も込めて挑んだ思考問題に夢中になり過ぎたらしい。空に茜色が混じり始めている。どうしようもない日だ、本当に。どうしようもない自分に嫌気がさす。

 変わることを望んでいるわけじゃない。ただ、このままじゃ駄目だってことも理解している。自分を変えずに状況だけを変えたいだなんて神様にでもなろうというのか。先刻に出したばかりの結論に対して一石を投じた。

 報われなかった日々を肯定出来るようにするには、折衷案で折り合いを付けても駄目だ。懊悩を往々と繰り返し、またふりだしへ。敷かれたレールの上を進退するのを喩えるならばすごろくが妥当だ。サイコロを振り、止まったマスの命令に従うのがすごろくのルールである。停滞を望んでも、平行線を望んだとしても、この心臓が動いている以上は歩みを止めるわけにはいかない。

 ……もう、自覚しなければいけない時間だ。

 傍に置いていた携帯端末を手に取って、深く関わりたくない人物の名前を探した。現実を僕に突きつけるのは、いつだってこの人だ。コール音が数回鳴った後、『しももー』と緊張感の破片もない声が訊こえた。

「急に電話してすみません。いま、大丈夫ですか」

 サマコミがもう直ぐそこまで迫っているのだから、大丈夫なはずがない。掛ける相手を間違えたか、とは思うけれど、佐竹琴美以外に僕を見抜ける大人はいない。超が付くほど苦手な相手だけれど、ドが付くほど変態ではあるけれど、誤魔化しが全く通用しない相手がいるのは素直に有り難い限りだ。

『なにやら思い詰めた様子じゃないの』

 僕の声音から把握するなんて、察しがいいレベルじゃない。そういう技術はどうやって手に入れたのだろうか。どうせ、訊いてもはぐらかされて終わるだろうから胸中に留めた。

『……いいわ。どこにいけばいい?』

 琴美さんとの待ち合わせ場所に、ダンデライオンを指定した。僕にとって都合のいい店と言えば、この店しかない。

『好きねえ』

 含蓄のある語尾にムッとしたが、呼び出そうとしている身分では文句を言えない。それに、琴美さんが忙しくないはずがないのだ。そんな忙しい時期に呼び出されたら、軽口の一つや二つも言いたくなるものだと堪えた。




 * * *




 バスと電車を乗り継いで、東梅ノ原駅に到着した。開くドアにご注意しながら電車を下りて改札へと向かう。この時間は上り電車よりも下りのほうが混雑する。東梅ノ原で下車する人は、片手で数えらえれる程度しかいなかった。

 駅前ロータリーに出ると、外はすっかり茜色に染まっていた。普段なら学生の帰宅ラッシュで賑わうコンビニも、すっかり息を潜めている。右に迂回しながら歩道を道なりに進み、途中で右折。昭和な風景が広がる裏路地は、正面から射す太陽で影がはっきりしていた。更に歩みを進めると、正面左手に百貨店の裏口が見える。その手前にある雑居ビルと雑居ビルに挟まれた喫茶店が、待ち合わせ場所に指定したダンデライオンだ。

 閉店時間まで、残り数時間ということもあり、店内には常連客が数人いる程度。閉店時間間際じゃなくても、ダンデライオンの集客はいつもこんな感じだった。

 店内に入ると、芳ばしいパンと珈琲の匂い。スタンダードなジャズが流れる空間に「いらっしゃいませ」の声が飛び込んできた。その声に導かれるように奥へ進むと、白のシャツにエプロン姿といういつも通りの出で立ちで照史さんが珈琲を淹れていた。

「今日は一人かい?」

 カウンター席に座っているスーツ姿の常連客は、我関せずと珈琲を飲みながら雑誌を捲る。

「いえ、琴美さんと待ち合わせです」

「なにをしでかしたんだ……」

 佐竹琴美の名前が出ただけでこの反応だ。それだけイレギュラーな存在であるということがわかる。琴美さんに対するイメージは、きっと僕と同じなんだろう。過去に、琴美さんのせいでなにかしらのトラブルに巻き込まれたに違いない。はんもんするかのような表情が、僕の憶測を肯定していた。

「いえ、呼び出したのは僕なんです」

 ──アイスコーヒーをお願いします。

「優志君が? 珍しいね」

 ──かしこまりました。

「僕もそう思います」

「まあ、頑張ってね」

 頑張って、か。随分とひとごとみたいに言ってくれるけど、照史さんも我関せずえんとしていたいのは当然といえば当然だ。わざわざ火中の栗を拾うような真似はしたくないのだろう。そう思うと、待ち合わせ場所にこの店を選んだのが頗る申し訳ない。あとで追加注文しなければと考えながら、いつもの席に座った。








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 by 瀬野 或

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