【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

五〇時限目 その声は風に溶ける[後]


「中学の……、いつ以来だ?」

「さあ、いつ振りだろうね」

 話を長引かせたくない理由で嘘を吐いた。

 柴犬とまともに話したのは、中学一年の一学期までだ。あの頃はいまよりも未熟だったし、柴犬もおとなげなかった。そのせいで色々あったもので、状況だけは鮮明に覚えている。


「元気そうでなによりだ」

 そんなことを言うタイプの人間だっただろうか。もっとこう、オラオラとした性格だったはず。見た目にそぐわない台詞に妙な違和感を覚えたが、彼もそれなりに大人になったのだろう、と結論を出した。

「お前、中学から全然変わらないな」

「そうかな」

「ああ。遠目から見ると女みたいだ。近くで見てもそうだけど」

 柴犬は見た目が更に派手になったね、と返そうと思ったけれど、言葉に出さず呑み込んだ。

「で、女みたいな僕になにか用でもあった?」

「そう不貞るなよ」

 僕を嘲笑するような声で、

「こんな寂れたゲームコーナーで遊ぶガキの顔を拝んでやろうと思って見にきたら、どっかで見た顔だったもんで、声をかけてやったんだ」

 と続ける。

「それはご親切にどうも」

 性格の悪さは折り紙付きだ。早くこの場から立ち去りたい、そんな気持ちが膨れ上がる。一矢報いるべきか、それとも穏便に済ませるべきか悩んでいると、柴犬は徐に携帯端末を取り出した。

「高校のからメッセだ」

 そんな情報は要らない。

「返すのだりいなあ」

 そう言いながらも律儀に返信しているのだから、本音は満更でもないのだろう。ここは地獄ですか? いいえ、島村です。

「送信っと。……で、なんの話だったっけ?」

「柴犬はオシャレさんだし、お仲間に〝島村で下着買ってる〟と知れたらメンツが潰れるんじゃない? オシャレさんにはオシャレさん御用達の店が似合うと思うよ」

「たしかに、一理あるな」

 一理も二理もないのだが、僕の皮肉に納得したらしい。

「そんじゃ帰るわ」

 柴犬が退店するのを遠くから見送ったあと、二人乗りのメリーゴーランドの下にメダルが落ちているのを見つけた。

 一〇〇円玉と見間違えて拾ったそれを、じゃんけんゲームに投入。画面には手の形が赤いランプによってランダム形成されて、グー、チョキ、パーのボタンが押されるのを待っている。

 このゲームってBGMはなかったっけ? ドラムロールみたいな効果音があった気がしたけれど、記憶違いらしい。

『じゃんけん、ぽん』

 僕はグーを選択した。

『あいこで、しょ!』

 マシンはチョキで、僕はパー。

『ずこー』

 フィーバータイムならず。

「煽りだけは一丁前かよ」

 間抜けな『ずこー』にちょっと腹が立った。だけど、再戦のチャンスはない。一〇円玉でもプレイできるけど、じゃんけんにお金を支払うのも馬鹿らしい。それに、この店に訪れた目的は、じゃんけんマシンで遊ぶことではない。自分用の水着を買う。それと、女性用の水着を見る。この二つだ。

 女性用の水着の確認は、レジでお会計する合間に盗み見すればいいか。

 悪くない計画だ、と我ながら思った。




 結果から言うと、僕の計画は失敗に終わった。

 水着は無難な黒のトランクスタイプだし、盗み見しようとしていた女性用水着コーナーには複数人の女の子が壁を作って見れなかった。泣きっ面に蜂。なんなら、棒で突いた藪から、蛇ではなく柴犬が飛び出してくる始末。

 踏んだり蹴ったり飛んで跳ねたり、今日は厄日なのだろうか。

 こういう日は、熱いラーメンを食べて、汗と一緒に憂鬱も流してしまおう。この熱いときに熱いのがいいんですよ、ご主人。僕は熱いときに熱いのじゃなきゃだめなんですよ。

 島村からちょっと離れた場所にある、二郎系のラーメン屋。野菜が沢山盛られる店で、注文時に量を伝えるのだが、ちょい増しでも食べ切れる自信がない。ちょい少なめで注文するのが丁度いいのだが、店の外から店内を窺うと、そこに柴犬が座っていた。

「冗談じゃないよお……」

 熱いときは冷たいもんだよお……。

 これは敗走というべきか、それとも勇気ある撤退か。すっかりラーメンの口になってしまったが、致し方ない。後ろ髪引かれる想いで踵を返し、帰路を急いだ。




 * * *




 自転車のカゴには、島村の袋が入っている。懸命にペダルを漕いで作った風でがさがさ音を立てて揺れた。

 やはり、変速機がないと坂道が厳しい。島村へ向かうときに下った坂道は、上りになると絶望してしまうほどの傾斜だ。この斜面では変速機があっても太刀打ちできないけれど、あるとないとでは気分が違ってくる。ここまで道中でも、何度も挫けそうになったが、もう限界だと自転車から降りた。ぜえぜえ、はあはあ、ぜえはあ、ぜえはははは……。息を整えながら自転車を押す。坂道があ、終わらねえ! こんなくだらないことに酸素を使うべきではなかった、と後悔。

 島村で出会った柴犬は、イキリ……生き生きしていた。受かった高校で、いい仲間たちと巡り会えたのだろう。素行の悪さというか、以前よりも品性は悪化していたが。本来ならばスマート顔のイケメンなのに、元がいいだけに勿体ない。でも、柴犬は柴犬なりに変態したのだろう。いや、もしかすると適応かも知れないが、いまとなっては知る由もない。

 未だクラスに馴染めない僕と、現状を受け入れて適応した柴犬との違いはなんだろうと一考した。酸素は足りない。でも、思考だけはやけにクリアだった。

 進化を恐れて立ち止まるのは愚行だ、と大人たちは言う。なんでも挑戦して、失敗を積み上げて成功するものだ、とも。けれど、始めから失敗を前提に話を進めるというのも、なんだか気に食わない話だ。

 苦労は買ってでもしろ。当たって碎けろ。案ずるより産むが易し。耳が腐るほど訊いた定型文だ。では、買った苦労に押し潰されて、砕け散ったらどうしてくれる? 浅い川も深く渡れというじゃあないか。それでも水に絵を描けというなら、それは図々しいにもほどがあるってものだろう。

 然りとて、蒔かぬ種は生えぬ、だ。柴犬は新天地で必死になって種を蒔いたのだろう。自分を曲げて、クラスメイトの機嫌気褄を取り、そうして勝ち得た地位があってこそ、僕に悪怯れることなく堂々とした態度でいたのだ。……なんだそれ、ちょっとムカつく。

 僕だって、少しくらいは変わったはずだ。でも、なにか間違っている気がしてならない。

 坂道の中腹まで差し掛かった。アスファルトからの照り返しが蒸し暑い。汗でへばりついたシャツを脱ぎ捨てたい気分だったが、それをすれば字面通りとうとう変態である。いや、水場で男子は上裸なのに、公道でそれをしたら後ろ指を指されるというのもおかしな話ではないか? 常識ってなんだろう、常識ってなあに?

 変化を望まなかった僕が、変化に適応できないのも当然じゃないか。言い訳だけは数多にできる、この口が憎い。それに、本当は変わりたくなかった。……なんて、虫がよすぎるだろう。 

「上手くやるさ」

 か、それともかのじょが。

 自暴自棄気味に発した声は、吹いた生温い風に溶けて、遠くの空へ流されていった。








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 by 瀬野 或

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