【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
三百六十一時限目 その日、彼は一歩だけ踏み出す[中]
私たちを乗せた車は、進んでは止まり、また進んでは止まりを繰り返しながら、ようやっと駅手前の信号機まで辿り着いた。ロータリーは目と鼻の先なのにあと一歩届かない感じはもどかしくもある。煙草を吸いたそうな顔で信号機を睨みつける大河さんの横顔を見ながら、比較的明るい駅前の様子を窺った。
バス、タクシー停留場には、花火客が長蛇の列を作っている。バス乗り場とタクシー乗り場は対面した場所に設けられていて、その列は駅の方へと伸びていた。かつて、これほどまでに人が密集している東梅ノ原駅を見たことがあっただろうか? と、記憶を呼び覚ましてみるが、思い浮かぶ光景は過疎化した駅前の風景のみ。
ロータリーの中央にある、樹齢数百を超えているであろう桜の木。本日は花火大会ということもあって、お祭り風にカスタマイズ。提灯が木の幹をぐるりと一周巻き付けられてライトアップされていた。こういった装飾品を飾るのは、『花火大会実行委員』の面々だろう。「花火を盛り上げたい」という気持ちが随所に現れていた。
信号が青に変わり、車が一斉に流れ始める。
「車を停めるまでに、荷物をまとめておいて下さい」
この渋滞を鑑みると、別れを惜しむ時間はあまりなさそうだ。それに、縦列駐車になりそうだから、トランクを開けるのも難しいだろう。
「ほら」
「あ、うん。ありがと」
佐竹君が私の荷物を取り出してくれた。どさっと膝の上に置かれたリュックを見て、浴衣姿にリュックは間抜け過ぎると苦笑い。どこかで着替えようにも都合がつきそうにない。リュックは背負わず、バッグのようにして持ち帰るしかなさそうだ。
「くれぐれも、忘れ物にはご注意を」
ロータリーへと進んだ車は、パズルのように車と車の隙間に入り込んだ。
大河さんが後部座席のドアを開けて、「到着しました」と頭を下げた。
「ありがとうございました」
感謝して車から下りれば、電車特有の形容し難い匂いが鼻に馴染む。水分を多く含んだ空気がねっとり肌に纏わり、鬱陶しい。そう思うのはこの場に留まった人々の中に『バイブステンアゲ悪ノリ大学生集団』を見つけてしまったからだ。コンビニの前を我が物顔で陣取り、品のないコールで強炭酸、強アルコールチューハイイッキを煽る様はこの世の地獄そのものと比喩しても差し支えない。
「あんまりジロジロ見るなよ。変に絡まれても面倒だろ? マジで」
「そうだね」
佐竹君に注意されて我に返った私は、視線を車に戻した。よく見てみると、車はきちんと磨かれていて、ホイールもピカピカだった。もしかすると、大河さんは潔癖症の気があるのかも。そう仮定すると、ミニマリストのような生活感のない車内にも納得がいく。……まあ、楓ちゃんを乗せるから掃除しただけ、という線もあるけれど。
「夜ですので、お気をつけてお帰り下さい」
クールビューティな瞳で、私、佐竹君の順番に見やり、なにかを言いたそうにして飲み込んだ大河さんは、「では」とだけ言うと運転席に戻っていった。
いまの間はなんだったんだろう? って佐竹君と二人で小首を傾げていると、助手席と後部座席の窓がすっと開く。顔を覗かせた楓ちゃんとレンちゃんは、ほんのちょっぴり寂しそうに微笑んでいた。その顔を見て『今日が終わった』と実感。楽しい時間は、苦痛に感じる時間よりも早く感じる。科学的根拠があるらしいので、否定しようがない。
「夏休みはまだあるし、また集まれたらいいわね」
私は「そうだね」と返した。
楓ちゃんはこれからのことを考えて、アメリカ旅行と大学の視察の準備をしなければならない。『高校までは日本で過ごしたい』と父親に逆らった手前、アメリカ留学の準備を疎かにできないのだ。それだけでなく、自分で掲げた夢のため、目標のため、私よりも一歩……いや、百歩くらい先へ進み、大人になって帰国するんだろう。
やると決断したら躊躇せず、成功への道を見つけるまで止まらないのが楓ちゃんだ。海外留学も過程としか思ってなさそうだし、いつか、『最も優れた指導者』の名簿に『Kaede Tukinomiya』の名前が記載される日が来ても不思議じゃないと思う。
楓ちゃんを見ていると、『このままでいいのか』『なにか行動に移すべきなんじゃないか』って焦燥感に襲われるのは、自分でも『このままじゃいけない』という気持ちを隠しているからだ。わかってる。このままじゃいけないってことくらい、痛いほど身に染みてるんだ。
アメリカから帰国するのは、夏休みが終わる数日前だらしい。
つまり、夏休み中にこのメンバーで集まれるのは、今日が最後。
ああ、だから……。
レンちゃんにべったりくっ付くように行動していた理由は、会えない間のレンちゃん成分補充だ。今生の別れじゃあるまいし大袈裟だなあ。でも、楓ちゃんにとって、レンちゃんの存在はそれだけ大きいという証拠でもある。
恋をすること。
だれかを好きになること。
全部、楓ちゃんから教わった気がする。
ただひたすらに一人を想い続ける彼女の姿は、きっと尊い。
楓ちゃんの一途な恋を応援してあげたい気持ちと、応援したくないって気持ちが鬩ぐ中、レンちゃんと視線がぶつかって後ろめたさを感じた。
佐竹君の気持ち。
レンちゃんの気持ち。
早く、私を見つけないと。
いっせーの、で踏み出したはずなのに、私だけその場に取り残されてしまったみたいだ──。
「そろそろ発進しますので、窓を閉めます」
淡白な声で、大河さんが言う。
「それじゃ、またね」
「始業式にお会いしましょう」
ゆっくりと窓が閉じて、車のテールランプがピカッと光る。
二人を乗せた車は、新・梅ノ原へと向かっていった。
車が見えなくなるまで見送った私と佐竹君は、騒がしいロータリーでぼうっと佇んでいた。抜け殻になったみたいに放心していると、佐竹君がたまに付けている香水の匂いが香った。抱き寄せられたときは動転していて気がつかなかったけど、爽やかな海を思わせる匂いは嫌いじゃない。まあでも、エイトフォーには勝てないけど。
私と同じようにぼうっと立ち尽くしている佐竹君は、なにやら感慨深そうに遠くを見続けていた。おそらく、なにも考えていないであろう彼の思考を探るよりも大切なことを思い出して口を開いた。
「電車、きちゃうよ?」
「あ、そうだったな」
なにを考えていたのかはわからないけど、物思いに耽りながら遠くを見つめる彼の横顔にはっとする瞬間がある。容姿だけを言えば、学年で五本指に入るくらい『やんちゃ系ワイルド風味イケメン』だ。『風味』と称したのは、本物の『ワイルド系』と比較すれば遜色があり過ぎるから。
因みに、宇治原君は佐竹君の劣化版。
リスペクトは見て取れるけど、大御所演歌歌手のモノマネをする芸人、くらいのレベル。下位互換ならぬ超劣化互換。刃物屋で販売している高価な包丁と、百均に売っている子ども用包丁くらい切れ味に差がある。
宇治原君のことが嫌い過ぎて、自分でも驚くくらい嫌味が出てきてしまった。
読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし差し支えなければ、感想などもよろしくお願いします。
これからも、当作品の応援をして頂けたら幸いです。(=ω=)ノ
by 瀬野 或
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