【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
三百五十九時限目 花火大会は幕を閉じる[後]
花火の感想を言い合いながら駐車場へ向かう最中、どこからか、私たちとは正反対の感想を言う声が訊こえてきた。「毎年しょぼくなっている」「時間の無駄」「蚊が多くて花火どころじゃなかった」。この程度の花火に満足できるなんて頭の中がお花畑でいいな、とでも言いたげな悪意をひしひし感じた。
「嫌な感じ」
レンちゃんの声には怒りが込めらている。
逆張り、という言葉を頻繁に目にするようになったのは、ここ数年の出来事。『違いがわかる自分かっけー』をするのは勝手だけど、ネットの世界だけに留めておいたほうが身のためだ。リアルでそんなことをしていたら、『違いがわかる自分』ではなくて『勘違いしているやつ』のレッテルを貼られて煙たがれること必至。『地獄のほにゃらら』なんて裏で呼ばれても文句は言えない。
心無い声に水をさされて気分を害した佐竹君は、「胸糞悪い」と吐き捨てた。
「空気が読めないやつらってどこにでもいるよな。マジで」
すると、楓ちゃんが私たちをちらり振り返る。
「匿名の悪意はどこにでも存在しますから」
そう語る楓ちゃんの目は、酷く冷めていた。
ああ、そういえば……。
数年前の事件が、脳裏に蘇ってくる。
『月ノ宮製薬の風邪薬を飲んだら症状が悪化した。即座に販売を中止するべきである』
なんて、根拠もない出鱈目な書き込みネットにされて、月ノ宮製薬側が記入した相手に名誉毀損と威力業務妨害で訴えた事件が過去にあった。書き込んだのはライバル企業の社員。ネガキャンをして自分たちの売り上げを伸ばしたかったとか、そんな理由だった。
真相が明るみになると、バッシングはライバル企業へと向けられる。その結果、ライバル企業がどうなったかというと、信用を失って売り上げが激減。なんとか挽回しようと試行錯誤を重ねて新商品を打ち出しても、月ノ宮製薬がそれよりも高品質、低価格の商品をぶつけて阻止。挙げ句の果てには月ノ宮グループがライバル企業を買収して支配下に収めた。
現在、その企業は薬品部門から『アミューズメント部門』へと転向されて、レジャー施設の運営を任されていたりする。世間からは『過去に諍いを起こした企業に手を差し伸べる神対応』と賞賛されたりしていたけれど、一連の流れをリアルタイムで見ていた父さんは、「この会社だけは関わっちゃいけないな」とぼやいていた。
この件を思い出して先の発言をしたのかまではわからないけれど、あんなに冷たい目をする楓ちゃんは、これまで見たことがなかった。冷めた目と比喩するよりも、邪視に近い。嫌悪感をまざまざと剥き出しにするくらい、嫌な記憶が呼び覚まされたのか。
「個人情報が晒されないことをよしに、気にいらない相手に毒を吐き散らすなんて卑怯よ」
「その通りです!」
合いの手を入れた楓ちゃんは、すっかり元通りになっていた。
「陰鬱な嫌がらせとか、好きじゃないわ」
女社会に屈しないレンちゃんだから、堂々とそう言えるんだろう。
レンちゃんは、男子よりも女子人気が高い。その理由の一端は、弱きを助け強きを挫くスーパーヒロインポジションだから。
気が強くて、言いたいことをズバッと言うレンちゃんに対して、一種の憧れのような感情を抱いている女子たちが集まってくる。……例外もあるけど。レンちゃんを慕う子たちはちょっと引っ込み思案で、物静かなイメージだ。
よく言えば清楚、悪く言えば個性がない。
自分の意思を伝えられない人たちは、代弁者を好む傾向がある。SNSでバズる発言のほとんどが『物申す系』なのもそういった理由だ。彼ら彼女らにとって、発言者は正しくヒーローであり、ヒロインである。自分の自己顕示欲を満たす理由で、炎上ギリギリな発言をしている人であれば、その役割をステータスにできるだろう。『今日のイイネとリツイートはいくつまで上がるかな?』って、ウキウキワクワクしながらバズるネタを考えているはずだ。
でも、それはあくまで『匿名だから可能なこと』だ。
ネットから離れた現実で、ネットの自分と同じように生活するのは危険極まりない。『敬語嫌いだから』って、ネットではだれにでもタメ口を利く人が、リアルでも同じことができるはずがないだろう。教師にタメ口は、まあ、親しみを込めている意味合いが強いから省くとして、バイト先の先輩、主任、店長クラスの役職に『おはよー! 今日も頑張ろうねー!』なんて、私だったら絶対に言えない。
現実世界のスーパーヒロインなんて、貧乏くじでしかないのだ。
レンちゃんは、物申す系になりたいわけじゃない。ただ、自分の気持ちを相手に伝えるのが苦手なだけ。私と二人きりでいるときのレンちゃんは、スーパーヒロインじゃなくて『ただの女の子』だ。でも、クラスに戻れば自分を慕う子たちに囲まれる。レンちゃんは、彼女たちから与えられる役割を果たさなければならない。
疲れるだろうな、といつも思う。
レンちゃんの唯一の拠り所は、もしかして泉ちゃんかも知れない。奇想天外な発言、奇妙奇天烈な発想は、張り詰めた緊張を弛緩させてくれる……かも?
今回は呼ばなかったけど、来年は泉ちゃんも誘ってみようかな。
今日のように、笑顔で花火を見ることができれば、の話だけど。
川を跨ぐコンクリートの橋を渡り終えると、コンビニの明かりが目に入った。手前にある十字路を左に曲がれば、神社の臨時駐車場に進む。信号待ちをしながら、コンビニに寄ってサイダーを買いたい衝動に駆られた。
この時期、爽やかな味が矢鱈と飲みたくなるもので、アイスコーヒーよりもサイダーを飲む頻度が多くなった。
個人的には夏限定で販売される、ラムネ味の清涼飲料水が好き。紙パックだから安いし、炭酸は無いものの、すっきりした味わいと酸味がいい。ゴクゴク飲みたい気分に最適で、見つけたら二つ買ってしまうくらいにはベストドリンク部門金賞を受賞。
考えたら飲みたくなるのが人の性というもので、じいっとコンビニに目を向けていたら佐竹君が察して、「コンビニ寄らねえ?」と提案してくれた。
「寄りたいけど、凄く混んでるわね……」
考えることは同じらしい。
コンビニは花火帰りの客でごった返していた。
「レジの待ち時間を鑑みると、佐竹さんの提案は却下せざるを得ません」
すみませんって楓ちゃんが言うと、
「いや、いいんだ。我儘言って悪かったな」
私の代わりになってくれた佐竹君が謝罪した。
「ごめんね、佐竹君。本当は私が……」
その先を言いかける前に、信号が赤から青に代わり、足を止めていた人々が一斉に動き始めた。
駐車場に向かう人の壁が邪魔で、コンビニに行きたい人々が、我よ我よと押し進んでくる。
「いたっ」
思った瞬間に私の体はバランスを失い、まるで空に投げ出されたような、時間がゆっくり動く感覚に襲われた。ああ、このままじゃ地面に倒れてしまうな。綺麗な浴衣が台無しになっちゃうな……とか、走馬灯を見るような気持ちで覚悟を決めると、私の体はなにかに引き寄せられて、目を開いたら佐竹君の首筋があった。
「おい、大丈夫か?」
「う、うん」
着物の隙間から見える鎖骨、首筋は薄っすらと汗が吹き出して、顎の下に生えかけの髭がちょんちょんと伸びている。もう二年生だから体も大人に成長するもんねって現実逃避していないと心臓の鼓動がバレてしまうんじゃないかって。
私の体は彼の内側にすっぽりとはまって、無意識に、彼の右襟部分を左手がぎゅっと掴んでいた。背中を支える彼の左腕は、筋肉が張って硬くなっている。そう思ったとき、私の全体重が乗っかっているからだと気がついて、かあっと顔が熱くなった。
「ったく、早くコンビニ行きたいからって突き飛ばすことねえだろ」
──足、踏まれてねえか?
──うん、だいじょうぶ……。
動揺し過ぎて、衝かれた脇腹の痛みすら感じない。
「しっかし、どっかで見たような男二人組だったが……」
私はその二人組を視認していないから、確認しようがない。でも、『男二人組』と訊いて、もしかしたらあの二人かもしれないと思えてならなかった。場所が場所だし、可能性は充分ある。
私たちが浴衣姿ではなくて普段着だったら、琴美さんの後ろ盾もあるし、近づこうとしないけど、浴衣姿で、しかも後ろ姿、私たちの存在に気がつくはずもない。思えば、悪意のこもった声の正体もあの二人だとしたら合点がいく。
なんて考えている場合じゃない。
「そろそろ離してくれる……?」
「あ、わるい」
こんな、少女漫画みたいな展開、実際に体験するなんて──。
信号は赤に変わっていた。
楓ちゃんとレンちゃんは、集団行動の波に揉まれて、先にある坂道の途中で列から抜け出し足を止めていた。「おーい!」と手を振り呼ぶ声に、佐竹君も手を振り返しながら「すまーん! 駐車場で待っててくれー!」。信号待ちしている人々が驚いて振り返るくらい、大声で返した。
読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし差し支えなければ、感想などもよろしくお願いします。
これからも、当作品の応援をして頂けたら幸いです。(=ω=)ノ
by 瀬野 或
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