【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

三百五十八時限目 それぞれの想いを花火に向けて[中]


 白地のTシャツにジーンズ、そして、一足九八〇円で売られてるような黒のスニーカーを履き、白の軽自動車の前に立っているのは、以前お世話になった『大河ゆかりさん』その人だった。浴衣に着替えた楓ちゃんを見ても表情ひとつ変えず、「お似合いです」みたいなリップサービスもない。淡々とした口調で「お待ちしておりました」と頭を下げた。

 大河さんは、仕事とプライベートをはっきり区別する人で、月ノ宮邸でもこんな感じなんだろうなって想像つく。コミュニティに属するのが苦手というか、マイペース過ぎるというか。言われたことはそつなくこなすけれど、それ以上のことはしない。『機転が回らない』と判断されてしまいがちな性格で、不器用。なにより、冗談が下手。

 私たちをいちべつして、助手席、後部座席、トランクの順番で開ける。手荷物以外はトランクへ、とのことらしい。『どうぞ』みたいなジェスチャーのあと、楓ちゃん、レンちゃん、私、佐竹くんと荷物を預けて車に乗り込んでいった。

 トランクが開かれたとき、そこにはなにもなかった。この軽自動車は大河さんの自家用車だとすると、個人の車には『自分の色』みたいな物がトランクに詰めこまれているケースが多い。例えると、釣りが趣味の人は、いつでも釣りができるように、竿の一本くらいは入っているだろう。運動好きだったら、ヨガマットなんかも入ってたりするものだ。然し、この車には『大河ゆかり』の痕跡がない。私たちのためにトランクの荷物を移しておいてくれた可能性もあるけれど、車内の匂い含めてレンタカーみたいだ。

 喫煙者である彼女の車だから、煙草の臭いが充満しているのも覚悟していた。だけど、車内に灰皿の姿はない。唯一、エアコンの空気口にドリンクホルダーが設置してあったけど、それ以外に手を加えた形跡も見つけられなかった。生活感がない車は、それはそれで居心地が悪いものだと、かなり失礼な感想を抱いた。

「この広さで軽っていいよな。普通に」

 感心するような声を上げた佐竹君は、「これ、遊べる軽ってCMしてるやつッスよね」と訊ねる。

「そうです」

 返事は、それだけ。

 然し、それでめげる男ではない。

「軽だから燃費もいいし、これでキャンプに行くのもありッスね!」

「……出発します」

 佐竹君のトークは、単なるステマに終わってしまった。

「アンタ、チャレンジャーね」

「いいんだよ、これで」

 大河さんの性格を把握していれば、無闇矢鱈に話し掛けようと思わない。話掛けても「はい」「そうですね」くらいしか返ってこないのは、前回の日光旅行で充分わかっているはずなのに。助手席に座る楓ちゃんだって、どう接するればいいのか困っている節が見えるのだから、佐竹君がどうにかできる相手じゃない。

 他者と話を弾ませるには、お互いに妥協しなければ成立しないもの。つまり、会話の種のようなモノに、ちょびっとずつ交互に水を与えていく作業に近い。与える水の量が多ければ根が腐るし、少な過ぎれば枯れてしまう。だからこそ、『そちらの水はどうですか』と機嫌を窺いながら微調整する。これが、『言葉のキャッチボール』の意味するところ。

 大河さんは『会話の種』を持たない主義で、悪く言えば人工知能と会話しているような気分になる。でも、サービスエリアで話したときは下手な冗談を言ったり、不器用ながらも笑う仕草を見せてくれた。非番のときに駆り出されたから不機嫌になっている、と推測すれば、大河さんの行動にも合点がいくけれど……。そこまで大人気ない行動をする人でもない、と思うのは、私だけだろうか?

 多分、相性の問題。

 佐竹君と大河さんは、性格が真逆だ。大河さんは、どちらかと言えばインドア派だろう。それに対して、佐竹君はアウトドア派で、自室で引きこもるのを苦痛に感じるようなタイプだから、「この車でキャンプに行ったら」って発言も彼らしい発言だけど、この発言こそが大河さんの地雷を踏み抜いたって考えれば、佐竹君の無神経さに苛立ちを覚えるのも納得だ。とはいえ、大河さんは最初から無愛想なので、その真意は定かではない。実は、心の中で『浴衣姿の月ノ宮お嬢様尊い』なんて思っていたり……、それはさすがにないかも。

「不慣れな作業でお疲れでしたら、休んで頂いても構いません。到着しましたらお知らせします」

 真正面を見据える大河さんは、切れ長のサングラスを掛けていた。自転車競技でレーサーが掛けていそうなヤツで、バックミラーに映ると虹色に輝いていた。

「たしかに疲れましたね。私はひと眠りしますが、どうしますか?」

「高速道路の風景を眺めてるのも飽きたし、私も寝ようかな」

 レンちゃんが目を閉じる。

「んじゃ、俺もそうするわあ……ふわあ」

 佐竹君は窓の隅辺りに頭をねじ込んで、

「そんじゃ、おやすみい」

 挟まれている私は身動きが取れず、「はあ」と嘆息が漏れた……。




 三〇分くらい経過した頃、すうすうと寝息が訊こえてくる。レンちゃんの寝顔は可愛いくて、佐竹君はアホっぽい。夕暮れ過ぎの空、車のライトが高速道路を照らす。サマコミ会場から梅ノ原までは、まだまだ距離がある。花火大会に間に合うのか。不安を握り締めながら、カーナビ画面に映るデジタル時計を見ていた。一分が長く感じるのに、走行スピードは遅く感じてしまう。

 もし、間に合わなかったら……。

 仕方がなかったと割り切るしかないのだけれど、これまで必死に頑張ってきた意味が無くなる。無駄な努力だった。骨折り損のくたびれ儲けだった。そうなってしまったらと思うと、焦る。

 電車で移動したほうが早かったのではないか? なんて思い始めた私に、「そう言えば」と静かな声で、なにか大切なことを思い出したかのように大河さんが言う。スポーティーなサングラスは、いつの間にか外していた。

「お嬢様が恋莉さんの寝顔が欲しいとのことで、撮影をお願いできますか」

「え? ……ああ」

 浴衣姿の寝顔、レアですもんね。……というか、楓ちゃんが用意周到過ぎて怖い。なんなら、『お疲れでしたら寝てもいい』という大河さんの台詞も楓ちゃんが事前に用意していたんじゃないかって勘繰ってしまうレベル。

 楓ちゃんの働きを思い返せば、それくらいの報酬は用意してあげてもいいとは思う。だけど、すやすやと眠るレンんちゃんに許可を得ず撮影するのは気が引けた。

「起こしたら可哀想なので、訊かなかったことにします」

「そうですか」

 ごもっともな理由を並べて断ると、大河さんはそれ以上の追求はしてこなかった。大河さんにとって、楓ちゃんの要求の優先度は『可能な範囲で』なのだろう。それに、ここまで引きがいいと、私が断るのを最初から見越していたようにも感じた。

「鶴賀さんは寝ないのですか」

 寝てくれたほうが都合いい、みたいな口振りだ。

「身動きが取れないと、どうも」

 返答はなかった。

 嫌な沈黙に耐えかねた私は、気が進まないとは思いつつも口を開いた。

「今日はお休みだったんですよね?」

「はい」

「断ると思ってました」

 前方に看板が見えて、出口まで残り五キロとあった。私が思っているよりもハイペースで走行していたようだ。ちょっとだけ安心して、心が軽くなった。このペースなら、花火大会に間に合う。

「臨時手当が出るので、断る理由がありません」

「理由は、それだけですか?」

「……まあ、少々興味があったというのもあります」

 なにを、とは触れず、両手でハンドルを握ったまま続けた。

「鶴賀さんは、青春という言葉に、どんな意味を感じますか」

「ええと……」

 思うところは多々あれど、これに尽きるだろう。

「大人のエゴ、のようなものを感じます」

「その心は?」

「そもそも、青い春という表現が、未成年の口から出てきたとは考えられません。古い記憶を呼び覚まして、美化された学生時代に想いを馳せた大人くらいですよ、そんな比喩をするのは」

 校門付近に咲く桜を見て、『青い』と表現する人はなかなかいない。空の色だって、春じゃなくても青色をしている。『青春』という言葉の意味は『若さと新年度』を表す言葉なんだ、と推察できるけれど、それだってメディアが散々情報を流しているから、漠然と『青春なんだ』って理解してるだけであって、青春って言葉がなければ、私たち現役高校生は、自分たちが置かれている状況を『青春』なんて単語で呼ばない。

「大人のエゴ、ですか」

 たしかにその通りかも知れないですね、そう言いながら、車を左側に寄せていく。

「では、鶴賀さんは、現役高校生として、どう喩えますか」

 急カーブで速度を落とした車は、高速の出口へ吸い寄せられていく。ETCが反応して、ゲートが開いた。見覚えがある夜の風景。パチンコ屋の絶妙な期待感を煽る旗が、風で揺れている。

 現役高校生として、現状を一言で表すならば……。

 考えて、これしかないと思った。

「流動的な日々、ですかね」

 それは、つい数時間前に見た、あの絵の筆の動きのように。

「捻くれ者ですね」

「自分でも、そう思います」

 梅ノ原までの距離は、残すところ数キロになった。








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 by 瀬野 或

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