【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
三百五十七時限目 佐竹琴美が与えるモノ[後]
「琴美、こっちはもうそろそろ準備できたけど……あら」
出会い頭に目が合うと、弓野さんは「まあ」みたいな口をした。
「さっきまでの姿もよかったけれど、浴衣姿も似合ってるじゃない。とても素敵よ」
そう言いながら、つかつかとヒールを鳴らして琴美さんの隣へ。琴美さんが「でしょう?」って自慢げに鼻を鳴らすと、「ええ、とっても」と返した。私の浴衣姿を褒めているというよりも、彼女のセンスを称えるような口振り。自分の彼女を目の前にして他の女性を褒めるような真似はしたくないってことかも知れないし、そうじゃないかも知れない。
私は、この人のことがあまり得意ではない。琴美さん以上にねちっこい口調も、相手を吟味するような眼差しも、はっきり言って苦手だ。どことなく魔女のような風貌も、また然り。袖無しの黒いAラインワンピースは、彼女を『魔女』と呼ぶに相応わしかった。両耳に付けたルビーのイヤリングだって、血を凝縮して固めたような色に見えてくる。米粒程度の大きさなのにも拘らず存在感が際立つのは、妖艶な微笑みを湛える弓野さんが付けているからに他ならない。こういう人を『魔性の女』って呼ぶのだろう。
たしか、魔女と会話すると呪われるとか。昔、そんな内容のファンタジーを読んだ記憶がある。目を合わせたら石になるってのは、北欧神話に登場するゴルゴン三姉妹のひとりだ。
弓野さんがきてから一言も発しない私に、
「そんなに警戒しなくてもいいじゃない」
言って、琴美さんを見やる。
「琴美、優梨ちゃんをいじめたでしょ」
「いじめてないわよ。ねえ、優梨ちゃん?」
ここは魔界かどこかですかね……? 口を開かず、頷きだけで返答した。
琴美さんは、弓野さんのどこに惹かれたんだろう。同じ趣味だから、という理由だけではないはずだ。それだけで恋に落ちるほど、二人とも単純な人間じゃない。きっと、私が知らない琴美さんを見て、弓野さんは恋をした。そして、琴美さんも同じく。そこから先はアダルティックで、少年誌で語るのを憚るような情事。深夜枠で放送しても、視聴者からクレームの電話が殺到するレベル。二人とも下ネタを言うのを躊躇わないから、見ているこっちが恥ずかしくなる。
「まあ、どっちでもいいけど」
それより、と弓野さんは言う。
「初恋さんのサークル代表と話す約束、忘れてない?」
初恋さんとは通称で、本来のサークル名は知らない。『コトミックス先生のサークル』と似た気軽さで、そう呼ばれている。でも、扱っている内容は、初恋の初々しさが間違った方向に解釈されいる本ばかりで、イベント会場では「禁書買った?」と、隠語を用いて呼ばれていたりした。
「あ、忘れてたわあ……。初恋さんのとこの代表、時間にうるさい人だから、めっちゃ怒られそう。……バックレちゃだめえ?」
「駄目よ。重要なプロジェクトの話なんだから」
重要なプロジェクトって、なんだろう?
私が琴美さんの〈アトリエ〉に通っていたときも、そんな話を小耳に挟んだ記憶がない。急遽決まった案件だからか、それとも、トップシークレット案件で、部外者には漏らさないようにしてたのかも。まあ、私がその内容を知ったところでなにをするでもなし、そこから先は琴美さんたちの問題だから、首を突っ込むのは野暮だ。
琴美さんは、「くっそ、間に合え!」と窮地に追い込まれたバトル漫画の主人公のような言い草で、脱兎の如く更衣室を飛び出していった。
広い会議室で、弓野さんと二人きり。このまま沈黙しているわけにもいかないと口を開いた。
「弓野さんは、いかなくていいんですか?」
「紗子」
そう呼べ、と強調するように言う。
「弓野さん」
だけど、私は呼ばなかった。
私と弓野さんの間に深い絆があるわけじゃないし、この人と気軽に言葉を交わすのは危険だと、本能が語っている。一定の距離を保っていなければ取って食われそうな予感しかしない。
「いけずな子ねえ。でも、そこも可愛いわ」
琴美さんがいなくなったからか、弓野さんの表情が変わった。露骨に『獲物を狩るような目』を私に向ける。一刻も早くこの場から逃げ出したい思いでいっぱいだけど、弓野さんの瞳が『逃がさない』と語っていた。
「そこまで警戒されると、お姉さん悲しいのだけれど……」
「だって、怖いです」
そう言うと、弓野さんは「フフッ」と嬌笑した。
「やっぱり、怯えてるのねえ」
この人の存在は、異質だ。ファンタジーの世界から転移してきたと言われても、信じてしまうくらいには説得力のある風貌をしている。
弓野さんは徐に窓際へ移動して、閉められたカーテンの隙間から外を見つめた。
このイベント会場は、梅高の体育館を二つ横に繋げたくらいだだっ広い倉庫のようなフロアが一階と二階にあり、一階は一般参加サークルの即売場で、二階は新商品を掲げた企業が賑わいを見せる。一階と二階は階段で繋がっているけど、二階よりも上へ行くには会場をぐるりと回り込んだ裏手にある非常階段を使わなければならない。
これも防犯上の理由なら止む無しではあるが、不便であることに変わりはない。勿論、機材搬入のエレベータもある。然し、そのエレベータが稼働しているのはイベント開始前まで。不遜な事態──機材が故障して、予備の機材と入れ替えるとか、人命に関わる緊急事態とか──が発生しない限り動かさないというスタンスらしい。
私たちがいる場所は三階で、眼下には二階の企業ブースが見える。午前中には売り出し中のアイドルがライブを行ったりして強烈な熱気を発していたけど、現在は展示されている体感型ゲームの効果音や、流行りのポップスが流れているだけ。人が多いことに変わりはないけど、落ち着いたという印象だ。
紗子さんは企業ブースを覗き見しながら、優れない表情をしている。さっきまでの妖艶な雰囲気はない。
「ちょっと……しただけよ」
ぼそっと呟いた言葉は、重要な部分だけ届かなかった。
「すみません、訊こえませんでした」
言うと、カーテンを閉めて、「なんでもないの」と頭を振るう。
「お友だちも着替えが済んだ頃じゃないかしら。廊下で待ってないとすれ違いになるわよ?」
「は、はあ……」
この人は、私になにを伝えようとして、この場所にきたんだろう。考えてもわからないことは、いくら考えたって答えは出ない。多分、弓野さんは、私になにかを伝える真似をして、自分に対して呟いたのではないか? とも思ったけれど、それは推測でしかない。
人は、だれしもひとつやふたつ悩みを抱えている。『悩みがないことが悩みなんだ』と語るだれかの心の内側にも、それなりに燻っているものだ。その悩みを他人に打ち明けるのは、非常に難しい。弓野さんだって例外なく、なにかしらに懊悩しているのだろう。
なら、訊こえなかった箇所に当てはまる言葉は……。
考えようとして、やめた。
ドアノブに手を掛けたとき、「優梨ちゃん」と私を呼んだ。
「はい?」
「きっと、驚くわよ?」
閉まるドアの隙間から垣間見た表情は、先ほどまでの怪しい雰囲気を纏った笑顔ではなく、美しい女性が見せる憂いを帯びた微笑み。
なにが──
声に出す前にドアが閉まった。
言葉の真意を確認するために開けようとも考えたけど、その行為はいけないことだという考えが不意に脳裏をよぎり、もう一度開こうと掴んだドアノブから手を離した。
読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし差し支えなければ、感想などもよろしくお願いします。
これからも、当作品の応援をして頂けたら幸いです。(=ω=)ノ
by 瀬野 或
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