【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

三百五十七時限目 佐竹琴美が与えるモノ[前]


 それからの日々は、多忙を極めた。

 その日の夜に届いた琴美さんのメッセージで大まかな内容を掴み、翌日の朝、都内にあるアパートの一室、通称〈アトリエ〉に向かい、琴美さんが率いるサークルメンバーと顔合わせを兼ねた打ち合わせ。そして、衣装の試着など。僕と天野さんは頻繁に駆り出されては、なぜか写真撮影──といっても、その場で撮るようなチェキ写真──までさせられた。佐竹はというと、彼も彼なりに働いている。琴美さんのアシスタント……いや、あれは奴隷に近い。他のメンバーからの要求──主に使いパシリ──にも応える様は、テレビ業界のアシスタントディレクターに近しいものがある。短期のアルバイトと思わなければ、とてもじゃないがやっていけないだろう。当然、僕と天野さんに至っては、契約上、給料は発生しない。あの日の交渉が悔やまれた。もっと、欲を出してもよかったかも知れないが、いまとなっては後の祭りだ。

 本番前日になると月ノ宮さんも加わって、現地でリハーサルが執り行われた。『この装飾品の置き方は』『もっと目立つようにスタンドを使って』『全体が一目で見えるように』『立体感が大切』など、月ノ宮節が火を吹いて、ゲラゲラ笑う琴美さんと弓野さん以外を戦慄させた。無理もない。彼女の性質を知らないサークルメンバーにとって、月ノ宮楓は未知なる存在であり、ハイスペック宇宙人のソレなのだ。ダメ出しの嵐にてんやわんや状態のサークルメンバーは、いつからか、月ノ宮さんのことを『御嬢』と呼ぶようになっていた。傍から見ると、親分の娘に従う反社集団のようだった。さすがは月ノ宮グループの社長令嬢。略して『さす宮さん』である。

 当日の運びも、月ノ宮さんを筆頭にしたサークルは快進撃を続けた。

 この日、初めて顔を合わせることになった八戸先輩は、持ち前のコミュ力と気持ち悪さを余すことなく発揮して、瞬く間にサークルメンバーたちと打ち解けてみせた。この先輩、もしかして超有能なのでは? と思いながらその様子を見ていると、販売開始五分待たずに『ハチくん』の愛称で呼ばれていた。忠犬ハチ公に失礼過ぎるだろ。八戸先輩は忠犬ハチ公像の前で土下座するべきだ。

 僕と天野さんのコスプレも好評で、何度となく写真撮影を求められた。なんだか有名人になったような気分になるが、その度に琴美さんを見て、浮かれそうになる自分を律した。このときの様子を、琴美さんは『どうしていいのかわからずに親を見る子どもみたいだった』と揶揄嘲弄している。その言葉通りだったけど、やっぱり、馬鹿にするるよな態度は鼻持ちならなかった。

 琴美さんの新作は、販売開始早々に長蛇の列ができて、気がつけば本日の分は完売。他の物販も徐々に売れて、午後三時には撤収作業に入ることができた。大量の段ボールの山を見たときは唖然としたけど、月ノ宮さんプロデュースと、コトミックスのネームバリューは伊達ではなかった。『明日もよろしく!』と解散になったのが午後の四時をちょっと過ぎた辺り。多分、僕らが手伝わなくとも、これくらいの時間には余裕で解散できたに違いない。ファンも多かったし、それだけの勢いが、このサークルにはあった。

 レンタルしたバンに荷物を詰め終えると、琴美さんが背後から声を掛けてきた。

「優梨ちゃん、ちょっと」

「はい?」

 まだなにかあるのかな? 疲労が顕著になり始めた頃に追加の仕事は堪える。『こわいなー、こわいなー』、残業手当が一銭も付かない仕事、超怖い。『これ、明日までに纏めておいて』と書類の山を渡された日には、その場でストロングゼロを開封して優勝するまである。未成年だから飲めないんだけどね! 大人はズルいなあと思うけど、ズルさこそが大人の特権みたいところ、あると思います!

 琴美さんは、バンの後部席の窓上にある手摺りに引っ掛けてある、コートのカバーみたいな物で包まれている服を徐に取り出して、「ん! んん!」と差し出した。

「やる!」

「それ、カンタの真似ですか?」

 無論だが、水溜りのあの人ではなく、世界の巨匠であり、犬飼先輩の下の名前の由来になったアニメ映画を作成した監督の作品の、傘を差し出すシーンを再現しているのだろう。

「報酬の前払いよ」

 私が受け取ると、琴美さんはそう言った。

「え? でも、無償でって約束……」

 すると、琴美さんは「ノンノン」と指を振る。仕草がいちいち昭和チックなのは、あまりツッコまないほうがよさそうだと思い、お口にチャックした。

「そこまで鬼じゃないわよ。それに、見合う報酬は用意する予定だったの」

 高校生メンバー全員にね、と付け加える。

「優梨ちゃんには義信が迷惑を掛けたし、その分も上乗せして、ソレよ」

 開けてみて? 言われて、フロントジッパーを下ろし、隙間から中身を確認すると、そこには白い生地に淡い紺色の紫陽花がちりばめられた浴衣が、桜色の帯と一緒に入っていた。

 見るからに高そうな浴衣だった。

「月ノ宮ちゃんと恋ちゃん、そして、プロデュースド、バーイ……、ワタシ!」

 くるりんと一回転して、右手の親指を自分に突きつける。

 夏コミ会場裏手の駐車場で、こんなにテンションが高い人もそういないだろう。オーバーリアクション過ぎて、見ているこっちが恥ずかしくなった。

 そういえば、楓ちゃんとレンちゃんは、あの日、ダンデライオンに居残りしていたのを思い出した。もしかして、先に帰った琴美さんが、二人にメッセージを入れたのかも知れない。そのことで、相談。琴美さんはあんな態度でヒール役を演じていたけど、顛末を理解して、先に行動していたのだと推測したら、私がどうやっても勝てる相手ではなかったんだとわからせられた。

「私が一人になる瞬間を狙ってたんですか?」

「そりゃそうよ。サプライズだもの、根回しもしたわ」

 大袈裟だな、とは思うけど。

「ありがとうございます」

「気に入った?」

「……はい、とっても」

 もし機会があれば、この姿で浴衣を着てみたいって想いがあった。だって、いまは優梨だから。女の子だから。お洒落のひとつふたつ望んだっていい。

「その浴衣は、現代アレンジが加えられてるの」

 一人でも簡単に着れるようにデザインされているらしい。それなら、浴衣に馴染みがない現代人でも、気軽に浴衣を着ることができる。着物の着付けは二年くらい掛かると訊くし、七百と三〇日を短縮できるのは革命と言っても過言ではない。もっとも、ちゃんとした着方を学んだほうがいいに越したことはないけれど、入門には充分過ぎる代物だ。

 ひと通り説明を終えた琴美さんは、「いくわよ」と、私の左手を握って走り出した。

「どこに向かってるんですか!?」

「衣装室! 関係者用の!」

 日除けも無い駐車場で、炎天下の中走るのは嫌だな。汗もかきたくないし……。そう思っても、ハイになった琴美さんを止める術は無い。まるで大きな力に引っ張られるように、私と琴美さんは会場裏手にある、鉄骨を組んだような非常階段を駆け上がって、衣装室用に確保された部屋を目指した。








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 by 瀬野 或

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