【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

三百五十六時限目 佐竹義信はソレを置いていった


 知恵の輪かよってくらいぐちゃぐちゃに絡まったイヤホンのコードが解けたとき、左肩に重みを感じた。首元と耳たぶの下辺りにチクチクした感覚が走る。佐竹の髪の毛が触れているからだ。不意を衝くような佐竹の行動に「うわ」っと声が漏れて、ビクッと体が跳ねた。

「吃驚したんだけど。あと、暑苦しいからいますぐに頭を退けてくれない?」

 左肩をぐいぐい動かして嫌悪感を露にしても、佐竹は頭を退かそうとせず、そのまま寝転ぶようなだらしない姿勢で口を開いた。

「俺、嘘を吐いたんだ」

「いつ?」

「さっき」

 さっきというと、ダンデライオンで琴美さんと話し合いをしているときしかない。あの場で嘘を吐いたってことは、僕らと琴美さんに知られたくない内情があったってことだ。佐竹はどうも懺悔したいようで、僕が返答する前に話を続けた。

「最初、姉貴が俺に質問しただろ」

「うん。確認したいってやつだよね」

 ──あんたはどうしたいの。

 ──俺は、花火大会に行きたい。

 ──ふーん。……だれと?

 ──コイツらとだよ。

 佐竹と琴美さんのやり取りは、たしかこんな感じだったかと振り返ってみたけど、佐竹が嘘を吐いているようには思えない。ただ、この流れの最後に、『だからアンタはいつまでも愚弟なのよ』と、琴美さんは締め括っていた。この発言は、『弟が嘘を吐いている』と見越しての言葉だとは思える。

「本当は花火大会なんて興味なかった、とか言わないよね?」

「言わねえよ」

 たこ焼きとか食いてえしな、と続けた。

「それ、花火大会じゃなくても食べられるじゃん……。そういうのを〝花より団子〟って言うんだよ」

 まあな、佐竹は呟く。

「そうじゃなくて、俺が吐いた嘘はって部分だ。俺は、お前と二人で花火が見たいんだよ。つか、それくらい察しろ……」

「つまり、僕と花火デートがしたかった、そう言いたいの?」 

 佐竹は不貞腐れたように目を閉じて、

「ああ、そうだよ」

 男二人で花火を見るなんてとは思うけど、まだ僕のことを諦めてはいなかったんだって安心した狡い自分に反吐が出る。こうして素直に気持ちをぶつけられると、なにも返すことができない自分を痛感するんだ。

 電車よ、早く到着してくれと祈るような気持ちで待っていると、構内に設置してあるスピーカーから、『お客様にご案内申し上げます』と、電車の遅延を伝える駅員の声が訊こえてきた。どうやら、二〇分ほどの遅れが発生しているらしい。ここから更に二〇分も待つなんて。待ち時間が永遠にすら感じた。

「遅れるってさ」

「復唱しなくても訊こえてるよ」

 佐竹はセンチメンタルな気分で、僕はナーバスな気分だ。

「なあ、優志」

 スッと、左肩の重みが軽くなった。

「甚兵衛と浴衣、どっちが着たい?」

 佐竹は、僕が困惑しているのを察して、違う観点から花火大会の話題を進めることにしたらしい。本当は、もっと僕の内情を追求したかったはずだ。こういう気遣いは有難いけど、この場に琴美さんがいたら、佐竹に向かって『愚弟』と罵ったに違いない。

「甚兵衛と浴衣、かあ……」

 そもそもこんな話にならなければ、僕は自宅から私服で花火大会の会場へ向かうつもりだった。だが、夏コミ会場から直接花火会場へ向かうとなると、優梨の姿のまま移動しなければならない。僕の場合、優梨の服は〈衣装〉という扱いだ。優梨の姿で優志の普段着を着るのもおかしくはないけど、せっかく女装するんだから可愛い服を……って、なにを考えてるんだ僕は。

 だけど、でも……。

「せっかくだったら、浴衣、かな」

「意外だな。優志はてっきり甚兵衛を選ぶと思った。暑いから嫌だって文句言いそうだしな。マジで」

 あ、そうか。

 浴衣は別に、女性だけが着る服ではない。男性用の浴衣だってあるじゃないか。どうして僕は、浴衣を『女性だけの衣装』って勘違いしてたんだろう。こんなことをネットで呟こうものなら『女性差別だ』って、大炎上スマッシュブラザーズ待ったナシ案件である。

「どうして浴衣なんだ?」

「いや、会場から直接向かうから、化粧を落とす時間なんて無いだろうし、そのままの格好だったら浴衣かなって思っただけ」

「現実がリアル過ぎるだろ……」

 現実がリアル……、僕の頭の中にある『佐竹語録辞典』に、新たな言葉が追加された。この言葉は、とある男性芸能人がよく使う、『リアルガチ』『切れたナイフ』『鼻水は心のダイアモンド』に精通する部分があります! などなど、サタッケ細胞の有無を問う審議会で発言する女性研究員の真似をしながら受け流した。

「しかし、アレだな」

「アレって、どれ?」

「いや、姉貴にして、本当によかったのかってさ」

 そうするしか方法がなかった、としか言えない。

「多分、姉貴はガチでやるぞ」

「身を斬る覚悟で挑んだんだから、その代償は覚悟してるよ」

 佐竹は「いや」と口にした。

「優志が思っている以上のことをやってくるはずだから、清水寺から飛び降りるくらいの覚悟はしておいたほうがいい」

「佐竹ってさ、たまに語彙力が平均レベルまで引き上がるけど、それってバグ?」

「バグじゃねえよ!?」

 どう考えてもバグなんだよなあ……。そうじゃなければ、佐竹の口から『清水寺から飛び降りる』なんて言葉が出てくるはずがない。いや、もしかすると普段からバグっていて、たまに発揮する語彙力は、そのバグが一時的に解消するからかも知れない。

 とか思いつつも、僕は佐竹の『見えない努力』を評価している。昨年から始めた勉強が身を結んでいると思うと、感慨深いものが込み上げてくるものだ。なんて、だれ目線で上から物を言ってるのだろうか。

「さっきの質問だけどさ。佐竹はどっちを僕に着てほしい?」

「そうだなあ。……別に、どっちでもいいけど」

 そこで区切り、佐竹は「うーん」と悩むそぶりを匂わせた。

「どうせなら、華やかな浴衣が似合うんじゃねえかなって思う」

 それは──

「僕に対して? それとも、優梨に対して?」

「どっちもだよ」

 佐竹が言った直後、『電車の到着が遅れて申し訳御座いませんでした。間もなく上り電車が参ります』と駅員のアナウンスが入る。僕が乗る下り電車は、まだ到着しない。

「電車が来るってさ」

「訊こえてるっての」

 僕が言って、佐竹が返す。

 電車が目視できる距離まで近づいて、佐竹は立ち上がった。

 彼のセンチメンタルは、もう、面影を見せない。

「じゃ、行くわ」

「うん、また」

 僕は振り返らずに、座ったまま片手を振った。

 電車のブレーキ音。空気が抜けて、扉が開く。電車が遅れた分、いつもよりも多く足音が訊こえた。小言を言う人はいない。ただ黙々と改札に向かう階段へと流れていく人々を横目に入れながら、佐竹は電車に乗り込んだかなって、そこでようやく振り向いた。

 目の前の車両に、佐竹の姿はなかった。わざわざ別の車両に移ったらしい。なんだか、ちょっとモヤっとした。でも、僕だって佐竹の見送りを拒んだのだから、佐竹だってモヤってしたんだろう。当てつけ、そう思えば納得もできる。

 発進を告げる陽気なアナウンスが流れて、上り電車は徐々に速度を上げていった。次の車両、その次と見送り、佐竹の姿があったのは、僕が座っている場所から四両くらい離れた車両。佐竹は扉の前にいて、なにかを伝えようと口を動かしながら僕を指さしていた。いや、正確には、佐竹がさっきまで座っていたベンチを指していた。

 なんだろう? 思いながら、佐竹を乗せた電車を見送った後に覗きこんで見ると、そこには一粒の飴玉が置いてあった。白い小包みに、ギザギザ部分は青、中央には明朝体フォントで『塩レモン味』と書いてある。スーパーマーケットの熱中症対策コーナーに置いてあるような飴だ。

「直接渡してくれればいいのに」

 飴の小袋を破り、口の中へ。ちょっぴり塩が効いた酸っぱいレモン味が口の中に広がる。

「すっぱ」

 口の中で飴玉を転がしていると、上り電車と二分くらいの差で、下り電車が汽笛を鳴らしながら到着。電車が遅延した理由を知ったのは、いつもより人口密度が増した車内に入って直ぐだった。ドア付近に座るフリーター風の男二人の会話を小耳に挟んだ。彼ら曰く、酔っ払いが線路に入って暴れていたらしい。

 昼間から酒とは、とか思いながら空いている席に座り、背中に伝う熱を感じながら、「まあ、飲みたくなる気分はわからなくもないな」と、口では語らず心の中だけでぼやいた。








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 by 瀬野 或

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