【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

三百五十四時限目 もう一人の協力者[後]


 校庭隅にあるベンチに先客がいた。僕が「流星」って彼の名を呼ぶと、「おう」みたいに顎を引いたが、挨拶はそれで終わり。僕と目を合わせたのは一瞬で、また興味無さそうに遠山の杉の木を眺める。

 深々と緑を付けた枝は、秋頃になると花粉を撒き散らす凶器となって花粉症の人々を襲い始める。だが、僕はまだ花粉症を発症していない。目が痒くても、体が怠くなっても、それは単なる体調不良だと思えば、花粉なんて怖くないのだ。なん足る脳筋的思考。風邪を引くのは気合が足りないからだ、的なソレと遜色無い。

 体調が悪いなら自宅で養生するのが一番だというのに、社会人は風邪でも職場に向かう。風邪で休もうものなら責任感が無いというレッテルを貼られるからだ。でも、僕は思う。社員の体調を管理するのも会社の責任なのではないか? そして、社員一人を休ませることもできない職場環境こそ問題ではないのか? 日本人は、休むことを悪と捉えている風潮がある。その風潮こそが悪だと、なぜ気がつかないのだろうかと、社会経験も少ない僕が声に出したところで大人たちには通用しないのだから、やっぱり働いたら負けで、労働を強制される現代においては、須らく全員が敗者である……等々、風も吹かず、一ミリ足りとも揺れない杉の木を流星と見ながら思っていた。

「暑くないの?」

 ぼうっとしていても、暑さが紛れるわけでもなし。流星は首元のボタンを開けて、ワイシャツも制服のズボンから出した状態でいる。額には薄っすらと汗をかき、とても涼しそうには見えない。いくらこの場所は桜の木下で陰になっていようとも、太陽の熱は気持ち程度しか防げないのだ。

「夏だから暑いに決まってるだろ。こんなところで毎日弁当食うやつとか正気の沙汰じゃないな」

「たしかに」

 でも、デメリットばかりではない。賑々しい教室で食事をするより、静かな場所で食べたほうが美味しいに決まっている。野球部やサッカー部が昼練を始める前までの話ではあるが、彼らの練習を見ながら食べるお弁当というのも、また乙な味だ。取り分け、スポーツ観戦が好きという趣味は無いけれど、寒々しいギャグよりも、白球を打つ音をBGMにしていたほうがマシなだけ。だれに対しての『ネタ』なのかわからないネタを披露されて愛想笑いする周囲の不憫さは、見ていて居た堪れない気持ちになるからなあ。

「座れよ」

 指示されて、ベンチの隅っこに座る。

「もっと隅に座れよ。……ああ、そこでいい」

 そう言って、流星はベンチに寝そべった。駐車場で日向ぼっこする猫のように、ふわあっと大きな欠伸をして滲んだ涙を、シャツの袖口で拭いた。

「あの、窮屈なんですけど」

「オレが先にきていたんだから文句言うな」

 はいはい、わかりましたよって思いながら、寝そべっている流星を見る。寝そべった姿勢だと、サラシの下に隠した女性の部分がシャツにくっきりと浮かび上がっていた。鳩胸と言えばまだ誤魔化せるくらいの大きさではある。だとしても、彼の真実を知っているだけに目のやり場に困った。

「いい天気だね」

 なんて、白々しく空を見上げる。

「天気の話なんて興味無い」

 全く、僕も同意見だ。天気の話題が出たら、「あ、この人は気まずいんだな」と思う。だから、申し訳程度に朝に見た天気予報の情報を開示してみたりするけど、相手だってそんな情報は知っているのは明白だ。その後に続く沈黙の苦痛は、なんとも計り知れない。

 流星は足を組んで、すっと目を閉じた。

 長いまつに薄い唇、島津先輩と似てボーイッシュな顔立ちは、化粧をすると美人になる。然し、流星のようになりたい、とは思わなかった。

 流星は、物心つく以前から自分の性別に疑問を感じていたらしい。それを、「不幸だ」と言っていいのか判断するのはとても難しい問題だ。彼がそのまま男性として生まれていたら、こうして僕の隣に寝そべっていなかったかも知れないし、月ノ宮さんが適材だと選んだ人物も、流星じゃなくて本郷先輩だった可能性もある。

 まあ、そんな可能性は極めて低いけれど。

 水色の水彩絵の具を塗りたくったような青空には、一線の飛行機雲が横切っていた。乾いた土と、濃い緑の匂い。これぞ夏って感じ。運動部がグラウンドを使用していないので、遠くから訊こえる喧騒が余計に静けさを引き立てる。

 もし、流星がいなかったら、僕がベンチに寝転がっていただろう。暑いけど、そうしたい衝動に駆られるような昼時だった。

「夏、予定あるのか」

 ──ああ、あるよ。

「花火を見にいく。佐竹たちとね」

 流星は、なにかを察したように一笑する。

「そうか。楽しんでくればいい」

 なにをとは言及せず、そこで会話を終わらせた流星は、どこか満足そうに見えた。 




 * * *




 三人並んで座るのは暑苦しいだろうと、八戸先輩はカウンターから椅子を借りてきて座った。誕生日席、または議長席と呼ばれる場所だけれど、本日の席は祝い事ではない。

 僕と天野さんは、八戸先輩と顔見知りだけど、他の二人はどうだろうか。月ノ宮さんは、八戸先輩と一言二言話したことがあるとかないとか訊いた気がする。生徒会へ勧誘されたとか、そんな話だったかなと記憶を辿ってみたが、特に興味ない話だったので記憶に残っていなかった。

「一応、初見の人もいるだろうから紹介するね」

 視線が向くと、八戸先輩は行儀よく座り直した。

「この人は、生徒会で書記を務めていた八戸望先輩」

 ドが付くくらいの変態だから、あまり関わらないことをオススメするよって付け加えると、八戸先輩は膝に置いていた手をガクッとさせて、あははと苦笑い。

「よろしく……と、言っていいのかわからない紹介だったけど、よろしく頼むよ」

 自己紹介を軽く済ませると、僕の隣に座っている佐竹を見て、興味津々に「キミが」と口にした。

「あ、はい。琴美……、コトミックスは、俺の姉ッス」

「そうだよね! いやあ、似ている。目がそっくりだ」

 うんうん、って首を縦に振る八戸先輩とは対極的に、佐竹は微妙な顔をしながら「あんまり言われたことねえッスけど……。似てないとはよく言われます。普通に」。

 佐竹はどういう顔をすればいいのかわからなそうに頬を痙攣らせながら、「よろしくッス」と会釈した。八戸先輩も同じように返して、視線を天野さんに移す。僕は、目が合った瞬間の「げ」みたい顔を見逃さなかった。

「生徒会の一件以来だね、天野君。その節はどうもありがとう」

「あ、いえ。私はその場にいただけで、なにもしていませんから」

「そんなことはない。協力してくれて感謝しているよ」

「あの」

 遠慮がちに、天野さんは訊ねた。

「犬飼先輩とは、その後、上手くいってますか?」

 良好だよ、とサムズアップ。

 どんなテンションなんだ、この人。

 最後に、月ノ宮さんと目を合わせた。

「月ノ宮君も、変わりなさそうだね」

「はい。お久しぶりです。その節は、生徒会加入を断ってしまいまして申し訳御座いませんでした」

 深々と頭を下げる。

 八戸先輩は「気にしなくていいさ」と気さくな笑顔をしたが、月ノ宮さんが頭を戻すと表情を変えて、真剣な眼差しで僕を見る。視線が「もういいだろう」と訴えているようだった。








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 by 瀬野 或

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