【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
三百五十四時限目 もう一人の協力者[中]
食堂前の階段に座るまで、僕と八戸先輩は会話を挟まなかった。
「見苦しいところを見せてしまったね」
「いえ」
と、首を振った。
「デリケートな問題をネタにして嘲笑うのは、ちょっと」
「彼は本郷武。学校ではあまりいい評判を訊かないけど、根っからの悪人というわけではない。素行の悪さが目立つから、俄かに信じ難いだろうけどね」
これは余談だけど、と続ける。
「梅高に入学して、真っ先に声を掛けてくれたのが武だったんだ」
「カツアゲでもされたんですか?」
「いいや。入学当初は爽やかな少年だったよ」
へえ、と声が出た。
「でも、とある事件をきっかけに、彼は変わってしまったんだ」
「もしかして、その話、長くなりますか?」
朝の時間が終わってしまいそうだと危惧した僕は、「その話は別の機会で」と断りを入れた。
「相変わらず、つれないなあ」
苦笑いする八戸先輩に、さっきまでの刺々しい雰囲気は無い。でも、一抹の寂しさのような感情が、言葉に含まれているような気がしてならなかった。
「まあいいさ。……それで、自分を朝一に呼び出した理由は? ここまで勿体ぶって話さなかったから、あまりいい話ではなさそうだけど」
「どうでしょう? 半々ですね」
「はんはん?」
困惑の態でオウム返しする。
「八戸先輩にとって、いい話でもあり、七面倒な話でもある……と、いう具合です」
「ふむ。訊こうか」
膝に両肘をつき、訊く姿勢を見せた。
八戸先輩の右手には、紙パックのオレンジジュースが握られている。座る前、近くの自販機で購入した物だ。僕はブラックコーヒーをご馳走してもらったけど、これがまた酷い味で、僕もオレンジジュースにすればよかった、と一口飲んで後悔している。
「お願いがあるんです」
「わかった。引き受けるよ」
はい?
「まだ内容を言ってませんけど……」
「生徒会の一件で迷惑を掛けてしまったからね。内容はどうであれ、引き受けないわけにもいかないさ」
それで、自分はなにをすればいい? と言って、紙パックに挿してあるストローを咥えた。
「ありがとうございます」
謝意を述べて、本題に入った。
* * *
終業式、そして、一学期最後のホームルームが終わると、教室がわっと騒がしくなった。出された課題の量を嘆く者、夏休みをどう過ごすのか仲間たちと話す者、デュエルスタンバイしている者の雄叫びが混ざり合う様は、地獄絵図かのように混沌を極めている。
僕は、自分の席から立ち上がって、佐竹の横に立ち塞がった。
「予定通り、いつもの場所で」
「……ああ、わかってる」
天野さん、月ノ宮さん、そして八戸先輩にも同様に伝えておいた。八戸先輩は時間通りに行動できるかわからないと言っていたけれど、多分大丈夫とも言っていた。おそらく、生徒会に顔を出さなければならないのだろう。「演劇部は大丈夫ですか?」と訊ねたら、「もう退部したから心配はない」らしい。
三年生が部活を許されるのは、今日が最後。生徒会の活動はどうなるのかまで僕は把握していない。八戸先輩は、自分の持ち場を七ヶ扇さんに明け渡している。引き継ぎ諸々、さほど時間は掛からないはずだ。
佐竹に確認を取った後、天野さんグループの近くを通り、チラッと目配せをする。天野さんは関根さんと話していたが、僕の姿を見るなり、顎を引く程度に頷いた。背後で、関根さんの「なになに?」と疑問の声が訊こえた。
黒板側のドアから出る前に、教室を振り返る真似をしながら月ノ宮さんの姿を目で追った。例の如く、ファンクラブの面々に取り囲まれて息苦しそうだ。はたと目が合う。月ノ宮さんは、「夏休みの予定は?」「お昼、一緒に食べない?」「キミを失ったこの世界で、僕はなにを求め彷徨うのだろう」と質問責めを受けながらも、僕の姿を目の端で追っていたようだ。そのスキルは天野さんをストーキングしているうちに習得したんですかね? などと思っていたら、僕を見る目が鋭くなった。もしや、読心術すらも会得した? コイツ、戦いの中で成長してやがる……!
午前授業ダイアでは、食堂が開かない。暇を持て余した同級生たちが数人、廊下にまで溢れていた。その中で、生徒会室を目指して歩く天然パーマの女子と、恰幅のいい男子と、ギャルを極めしギャルの姿を見つけたけど、僕は声を掛けなかった。別に、彼らに用事は無い。これからの生徒会が、彼ら主導のもとで活動することになろうとも、僕には関係の無いことだ。新体制が本格的に始動するのは、来年から。今年いっぱいは、名目上、島津先輩と犬飼先輩のツートップが生徒会を纏めることになっている。個性的な面々が揃っているだけに、役員決めは一悶着ありそうだ。
イチバスが来るまでは一時間ほどの余暇がある。
教室はエアコンが効いていて快適ではあるが、浮かれ気分のクラス連中は見るに耐えない。特に、宇治原君のイキり具合は目に余る。彼のせいでエアコンの設定温度よりも、教室が寒くなっているように感じた。
廊下の窓は開け放たれているが、涼しい風は入ってこない。人口密度が高いせいか、余計にじっとりとした空気が肌にへばりついて気持ちが悪くなってきた。
非常階段から下りて、一年の教室前を通り昇降口に到着した僕は、自分の下駄箱の中を覗き込んだ。さすがに、もう手紙が入ることはないだろうけど、水瀬先輩の件以来、ちょっとしたトラウマになりかけているのだ。
平穏無難な学校生活を送りたいだけなのに、どうしてこうなった?
と、ラノベの主人公気取りで靴を履き替え、外に出た。
「冷夏とはいったい……」
夏に入るまでは、『今年の夏は例年よりも気温が下回る可能性があります』とかなんとか、お天気お姉さんが言っていた気がするのだけれども、体感温度は例年以上に暑い気がしてならない。
梅高は太陽に近しいので、尚更にそう感じるのかも知れないが、今年の夏は本当に冷夏と呼んでいいものだろうか? 甚だ疑問が残る。
「あ、お前は……」
しまった、と思ったときにはもう手遅れだった。
正面玄関前は彼らのテリトリーである。
金色のトゲトゲ短髪、強面で、烏のボードを持つ男。
名前は──
「郷田先輩……?」
「武違いだバカヤロウ」
本郷だ、と彼は名乗る。
郷と武までは合っていたからニアピンですね、なんて言ったら腹パンされそうだ。ガキ大将は直ぐに手が出るからいけない。『お前の物は俺の物。俺の物は俺の物。お前の抱える苦しみや悲しみ、そして、痛みさえも全て俺様の物だ』だったら、さぞ人気が出ただろうに。然し、イケメンに限る。
「朝は悪かったな」
「あ、いえ」
あんなに威圧的な態度だったのに、朝とはまるで別人だった。
「お前、名前は?」
「鶴賀優志です。二年です」
「やっぱ男か。女が男の制服着てるのかと思ったわ」
「よく言われます」
うちの学校、なんでか知らねえけどそういうの多いからな、と本郷先輩は呟いた。
「ま、用はそれだけだ。じゃあな」
「あ、はい。お疲れ様です」
たしかに、本郷先輩は根っからの悪人ではないようだ。
僕と話を終えて、仲間たちの元へ戻った本郷先輩は、朝に感じたツンケンしたイメージとは全く異なった和やかな顔で、三人だけになったスケボー部員たちと談笑している。近寄り難い風貌は変わらずだけど、なぜか目に入ってしまうのは、本郷先輩がシュッとした顔立ちのスポーツ系イケメンだからというわけでもない。きっと、〈他人を惹き付けるなにか〉があるからだ。
本郷先輩が自分の魅力を正しく使っていたら、今頃は八戸先輩と一緒に僕の抱えている問題に手を貸してくれていたのかもわからない。
そういう世界線があってもいいじゃないか、と思いながら、足は自然といつもの場所へ向かっていた。
読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし差し支えなければ、感想などもよろしくお願いします。
これからも、当作品の応援をして頂けたら幸いです。(=ω=)ノ
by 瀬野 或
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