【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

三百五十一時限目 おかっぱの提案[前]


 ──愚弟が欲しければ、全力で奪いにきなさい?

 たったこれだけの一行が、僕を焦らせた。

 琴美さんは、僕の行動パターンを読んで、察していた。察した上で、佐竹を拘束したに違いない。だけど、なんのために? ……いいや、佐竹琴美の行動全てに意味があるとは限らないじゃないか。あの人は、成果は後からついてくるものだと考えている節がある。だからこそ、無意味だとわかっていても躊躇いなく実行する。未来への布石に変えてしまう。僕に女装を伝授したのだって、琴美さんの気まぐれだ。然し、『これは面白いことになるかも知れない』とも思ったはず。現に、琴美さんは僕を使って何度も遊んでいる。今回の件だって、僕がどういう行動を取るのか、高みの見物と決め込んでいるに違いない。

 目上の女性に対して使う言葉ではないが、喰えないだ、と思った。

 相手の挑発に乗るのは釈然としないけれども、

 ──わかりました。

 とだけ返して、メッセージアプリを閉じた。




 * * *




「相手の弱点を探るには、どうすればいいかって?」

 梅ノ原駅から梅高へ向かうバスは二便しかないので、バス内はいつも混雑している。座席に座れず、通路に立つこともあるが、僕はイチバスの到着を待つことができるので、大抵は座ることができた。僕は、二人用の座席の半分を八戸先輩に提供する交換条件として、八戸先輩の小賢しい悪知恵を借りようと質問をした。

「はい。隙が無い相手の弱点を探る方法を知りたいんです。八戸先輩はこういう下衆っぽいこと、得意ですよね」

「褒めているのか、貶しているのか、どっちなんだい……?」

「半々ですね」

 正直で結構、と微苦笑を浮かべる。

「自分はね、鶴賀君。キミが言うほど〝下衆い人間〟ではないと思うんだ。単に、自分が有利になるような状況を精査して、実行しているだけだよ」

「そのためなら他人を犠牲にすることも厭わないって、最高にサイコパスな思考じゃないですか」

 人間社会はそういうものだ、と八戸先輩は言う。

「常に弱肉強食。強い者が弱い者を餌にして成り上がるという構図ができてしまっている以上、それに逆らうべきではない、というのが自論でね」

 相変わらずの演技かかった口調。相談する相手を間違えたかも知れないと思い始めた頃、八戸先輩が意味深な表情で「鶴賀君」と僕の名を呼んだ。

「キミは、どちら側になりたいのかな」

 言われて、僕は口を閉ざした。

 中学時代の僕は、限りなく弱者の部類だっただろう。それでいいと思っていたし、そのほうが気楽だとも思っていた。才能溢れんばかりのクラスメイトたちの邪魔はしない。無闇矢鱈に相手のパーソナルスペースに踏み込むのは危険だと、だれとも関わらないように息を潜めて行動していた僕が、佐竹たちと出会って状況が一変した。他人が抱える問題に首を突っ込み、解決策とは呼べない答えを提示して、一働きしたかのような高揚さえ感じる。八戸先輩を『下衆』と呼んでいる僕だって、それ相応に下衆い人間だ。

 そうは言っても、だ。

 弱者と強者の線引きは、自分が決めることなのだろうか。勝者であり続けたいならば、常に勝者として振る舞うべきではあるものの、弱者だからと言って、弱者として振る舞う必要はない。ハングリー精神、誇り、ど根性、若い頃は買ってでも苦労しろ。大嫌いな言葉だが、貫き通せば強者にもなり得るはず。でも、脳筋であれとは思わない。日々変化し続ける時代の流れに適応してこそ、強者への切符を得る資格が与えられるのだ。その切符を発行するのは、自分でなければ意味がない。他人から手渡されるのは、『強者の面を被ったなにか』でしかないからだ。

 だから、僕は──

「どちらにもなりたくないです」

 と、答えた。

「なるほど。その心は?」

「どちらにも旨味があるじゃないですか。だったら、どちらかを選ぶよりも、両方の甘い汁を啜って生きていくほうが利口でしょう」

「鶴賀君も、なかなかサイコパスな思考の持ち主じゃないか」

「いえいえ、八戸先輩には及びませんよ」

 お代官様と越後屋の会話みたいに、腹黒く笑う。

「相手の弱点を知るにはどうすればいい、だったかな」

 八戸先輩は襟を正した。

 僕は、頷きだけで返す。

「手っ取り早い方法があるには、ある」

「どんな方法ですか?」

 訊ねると、八戸先輩は不敵に笑った。

「その方法は、鶴賀君が身をもって体験しているはずさ」




 教室にはだれもいなかった。

 閑散とした教室には熱が閉じ込められて、一歩踏み込むのをやめたくなる。だが、このまま廊下にいるわけにもいかないと、教室に踏み込んだ。窓から差し込む斜陽と、廊下側へと伸びる影。光と闇のコントラストは、どこか儚げだ。感傷に浸りたい気持ちを堪えて、窓という窓を全て開け放つと、だれかの話し声が訊こえた。声の主は、下の階にいる一年生だろう。朝イチで数学とかないわあ……って友人と談笑する彼の声は、すっかり梅高色に染まっていた。

 昇降口方面からは、タイルを滑るローラーの音。趣味でスケボーをやっている者たちは、本日も盛大に転ぶだろう。彼ら個人に対して恨みはないが、すっ転んで捻挫でもしてしまえばいいと思う。邪魔なんだよ、本当に。どうして僕らが非公認部活に遠慮して、隅を歩かなければならないんだ? 怪我の一つでもすれば考えを改めるかも知れないので、のろまーす。

 空気の入れ替えもできた頃合いだろう、と窓を閉めて、黒板横の壁にあるエアコンのスイッチを入れた。設定温度は一番低くして、風量を強で付ける。そうでもしないと、教室は涼しくならないのだ。このままにしておけば、教室にやってきただれかさんが「寒くなーい?」と同意を求めながら適当に設定を弄るだろう。それか、月ノ宮さんがだれにも気づかれずにサイレント調整するはずだ。設定を調整するときのおそろしく早い指の動き、僕でなきゃ見逃しちゃうね。

 席に座って音楽を訊きながら本を読んでいること数十分、ガラガラっと物音は立てながらドアが開く。目だけを動かしてだれが入ってきたか確認すると、流星だった。

「返信すんの忘れてた」

 片方の耳に付けていたイヤホンを勝手に取って、流星が言う。その動きは正しく、身勝手の極意。限りなく神の領域に踏み込んだ者にしかできない動きで、何様だよ、と内心腹を立てたが、相手が流星だったらしょうがない。雨地流星は、いつだって身勝手なのだから。

「こういうときって、〝ごめーん、電源切れてたー〟とか〝通知来なくて気がつかなかったー〟とか〝ソシャゲの周回で忙しかったー〟ってのが常套句じゃないの?」

「最後のやつだけ異例過ぎるだろ」

「まあまあ。そう言わさんなって、アマっち」

「そのあだ名で呼ぶな殺すぞ」

 いつものやつが訊けて、僕、満足!

「……で、結局のところ、要件はなんだったのさ」

「これを見ろ」

 流星は携帯端末をポケットから取り出して、さささっと指で操作。そして、メッセージアプリの画面を僕に向けて見せた。トーク画面の名前には『おかっぱ』となっている。

「いや、だれ?」

「月ノ宮楓に決まってるだろ」

 メッセージアプリでは、相手の名前を変更できる。流星は月ノ宮さんの名前を〈おかっぱ〉に変更したようだ。まあ、特徴を捉えたあだ名だけど、それを月ノ宮さんに伝えたら、『そのあだ名で呼んだら殺しますよ?』って皮肉で返しそうで、ちょっと面白そうだ。








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 by 瀬野 或

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