【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
三百五十時限目 ブラックホールの吸引力[前]
あの日を境に、佐竹の様子がおかしくなった。
自分だけ花火大会にいけないことが、それほどの憂苦になっているとは考え難いけれど、僕らに引け目のようなものを感じているのはたしかだ。距離がある。そう、感じる。授業中も、休み時間も、宇治原君たちと雑談しているときだって、だれにも気づかれないようにしながら溜め息を吐いている場面を何度も見た。
琴美さんとの打ち合わせで疲れているのだろうか? いや、それはないだろう。いくら重役を任されているからといっても、佐竹にできることなんて限られているはずだ。琴美さんだって、佐竹にそこまでの期待をしているとは考え難い。だったらなぜ、どうして、佐竹はこんなにも精神的に疲弊しているのだろうか。疲弊とも違う、強いて言うなら『自己嫌悪』か? 佐竹らしくもない。
嫌なことがあっても寝れば忘れて、翌日はけろりとした顔で登校する佐竹が、仮面のような薄っぺらい微笑みを浮かべながら、「なんともない」みたいにしているのは、反吐が出るほど気持ち悪い。授業を訊く傍ら、丸くなっている背中目掛けて、シャーペンを突き刺してやりたい気持ちを我慢した僕に、お礼を言って欲しいくらいだ。
花火大会にいけないことが憂鬱を積もらせるほどの苦慮になっているのだとすれば、『アナタは江戸っ子ですか?』と思えてならない。花火と喧嘩は江戸の華って言うくらいだしなあ。男だったら一つにかけろ、かけてもつれた謎をとけってもんだ。とはいえ、恋のイロハについては、僕も見当つかぬと苦笑い。
花火か……、そこまで見たいものか?
神田川や隅田川で開催される花火大会は、現地で見るよりも中継で見たほうがいいまである。わざわざ人がごった返す場所で空を見上げても息苦しいだけだろ? そういう意味では〈一体感〉があるし、〈臨場感〉もあるけど、それより、揉みくちゃにされた〈疲労感〉のほうが大きい。足を踏まれたり、脇腹にエルボーされたり、酔っ払いに絡まれたりする場所へ好き好んで赴くとは頭が下がるね。
だが然し、梅ノ原花火大会は、東京で行われる花火大会よりも集客は無い。隣近所の市町村から駆けつける人も少なく、花火大会の日に合わせて帰省した息子家族と見るくらいだと思う。打ち上げる花火の数だってそこまで多くなく、人混みが苦手な僕でも余裕顔で見物できるほどには隙があると睨んでいた。
それはまあ追い追い考えればいい話で、いまは、現状をどう打破するのかが問題だった。
「なんなのよ、あれ。せっかく誘ってあげたのに」
梅おにぎりに八つ当たりするように齧っている天野さんは、憤懣遣る方無しだと言いたげに愚痴を零した。佐竹を元気付けるべくお昼を一緒にと誘ったのにも拘らず、天野さんの親切心を拒絶した佐竹は、今頃、食堂で仲間たちと優雅な食事にありついていることだろう。もう少しくらい空気を読んでくれよ、佐竹。天野さんは怒ると怖いって知ってるだろう? おかげで、僕は隣で冷や汗なのか、それとも太陽の日差しの汗だかわからない汗を額から流していた。
「恋莉さんのお誘いを無下にするなんて、佐竹さんの常識の無さは目に余りますね」
天野さんの左隣で、月ノ宮さんは漆塗りのお弁当箱を膝にちょこんと乗せている。なにが入ってるのかなって覗くと、エビチリが目に留まった。エビチリは僕の専売特許なのに! ……というか、月ノ宮さんの常識が世間一般と懸け離れ過ぎていることを、そろそろ自覚してくれないだろうか。ツッコミ担当の佐竹がいないから、月ノ宮さんの非常識発言に歯止めがない。
「それ、どこの国の常識ですかね……?」
ツッコミのつもりで言ってみたものの、金属バットが白球を打ち抜く音に遮られてしまった。ナイスバッティングだよ、まったく。その調子で甲子園に行ってくれ。ああ、予選一回戦で埼玉の強豪高校と当たって敗退だっけ。運が無いなあ、うちの野球部は。
「然し、このままではいけませんね。なにかしら手を打たなければ」
なにかしら、か。
月ノ宮さんをちらりと見やる。
僕の視線に気がついて、「エビチリ食べますか」。
「気持ちだけ受け取っておくよ」
「そうですか。高津さんが作ったエビチリはなかなかですよ?」
見せびらかすように、パクッと一口。頬が蕩ける〜♪ みたいな表情がイラってきた。僕の弁当にエビチリが入ってないのを知った上での行動だろう。さすがは楓お嬢様、煽りも一級品ときている。
「そうだけど、あんな態度をされたら〝どうにかしよう〟って気持ちも無くなるわ」
「その通りです!」
今し方「なんとかしなくては」と言っていた人と同一人物とは思えない台詞に、天野さんも微妙な表情をしている。
──なにかしら手を打たなければ。
月ノ宮さんは月ノ宮さんなりに、佐竹の事情を考えているのかも知れない。商売に関しての知識が豊富な彼女なら、佐竹の労働環境改善の手助けもできるだろう。腹黒さだけを言うならば、琴美さんと一対一でやり合えるはずだ。
詰まるところ、佐竹琴美攻略に月ノ宮楓の存在は、必要不可欠と言える。
「優志さん、近況はどうですか?」
虚を衝かれて、箸を落としそうになった。
「どう、とは?」
「優志さんのことですから、なにか策を考えているかと思いまして」
僕は『お悩み相談係』じゃないんだけどなあ……。
「進捗、よくありません」
「締め切りに追われている作家のような言い回しですね」
月ノ宮さんみたいに腹黒で、頭の中でポンポンウェイポンポンっとアイデアが浮かんできたら、こんなに苦労しないんだよ。メリーゴーランド乗りたいなあ。たぶん、こんなんじゃダメでしょ?
「月ノ宮さんはどうなの?」
「私ですか?」
さっきの仕返しとばかりに、月ノ宮楓が他にいるかい? って意味を込めて嫌味たらしく目に力を入れた。
「そうですねえ……」
完全にスルーされると、ちょっと凹むんですが。僕って、そんなに目力が無い? ああ、存在感すら無いですもんね失礼しましたっと。
「私にできることは、そう多くありません」
「僕だってそうだよ」
だからこそ、手札を増やす必要があるんだ。手元にある限られた手札では、琴美さんに太刀打ちできそうにない。もっと、こう、『ひこうタイプにはかみなり』『いしタイプにはみず』『むしタイプにはひ』、みたいに、状況に応じて手札を切れるようにしておくのが理想だ。
「そうでしょうか?」
言って、箸を置いた。
「殿方同士ですから、腹を割って話すとかありませんか?」
──そういう関係に見える?
──いえ、見えませんね。
ばっちこーい! と静寂を破るような外野手の声。
「佐竹と優志君って、傍から見てても不思議な関係よね」
唐突に、天野さんがぼそりと言う。
「友だちより近くて、親友より遠いような。付かず離れずの絶妙な距離感で接している気がします」
「佐竹が太陽で、優志君が月って感じ」
僕と佐竹はどの惑星を周回してるのだろうか?
陰陽道での太陽と月の役割は、陰と陽を表しているらしい。僕が陰の者だって暗喩しているのだとするなら、こればかりは否定し難い。遠距離武器が好きだし、角待ちからの奇襲も好きだ。卑怯で卑屈、いやらしい戦法でも、勝てば官軍、負ければ賊軍。勝てなきゃ意味がない。負ければ装備やアイテムを落として、相手を強くしてしまうのだから。……なんの話だっけ?
「優志さんは月というより、ブラックホールでは?」
「吸引力が衰えない唯一のやつなら、家電量販店にあるよ」
「いつ掃除機の話をしましたか……。そうではなくて、優志さんは、ありとあらゆる揉め事を引き寄せるではありませんか。そういう意味でブラックホールと譬えたまでです」
たしかに、と頷いた。
だけど、今回は自ら首を突っ込んでいる。
いつもと状況が違うから、殊更に戸惑うのだろうか?
読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし差し支えなければ、感想などもよろしくお願いします。
これからも、当作品の応援をして頂けたら幸いです。(=ω=)ノ
by 瀬野 或
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