【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
三百四十七時限目 未解決な憂鬱を噛む
「夏コミは行くんですよね?」
犬飼先輩を差し置いて? の意味を込めて言ったつもりだったのに、八戸先輩はうんと頷いて、二言目には「当然さ」と断言した。彼女ができても、中身は変わらないらしい。
「前にも言った通り、今回のコトミックス先生は一味も二味も違うらしいから、行かないという選択肢は無いね」
一番線ホームに電車が止まった。大半は都内を目指して電車を乗り継ぐ。改札を抜けてくる人は、ニバス狙いの梅高生と、スーツ姿のサラリーマン、他少々。サラリーマンたちはタクシー乗り場と市営バスの二手に分かれ、梅高生たちはコンビニを目指していった。その中の数人は、八戸先輩の友だちらしく、「よう」とか「おっす」とか、八戸先輩に声をかけていたが、八戸先輩は片手を挙げるだけの挨拶で済ませていた。
「犬飼先輩は、八戸先輩が夏コミに行くのを反対してないんですか?」
質問の意味がわからないはずもないのに、「どうしてだい?」と続きの言葉を催促した。八戸先輩のニヤついた顔が癪に触る。まるで、僕を試しているような、いやらしい笑み。
「どうしてって」
……言われてみれば、どうしてだろう?
夏コミは『同人誌即売会』であり、合コンではない。会場の外では、コスプレイヤーたちがカメラ小僧に囲まれているけれど、八戸先輩がそれらに興味を示すはずがない。八戸先輩が好きなのは、〈コスプレした男の娘〉ではなく、〈ホンモノの男の娘〉だから。
好きなサークルの本を買いにいくだけなのに、どうして犬飼先輩の心配をしてしまうんだ? ……ああ、そうか。『同人誌即売会』を『買い物』として見ていたけど、本の内容は限りなく卑猥。犬飼先輩は、八戸先輩が自分以外──この場合は人と物を含む──に対して、そういう目を向けるのを、許容できるのだろうか。
付き合ったら、そういう本を処分する男性もいるはずだ。彼女が満たしてくれるって理由もあるし、彼女が嫌がる場合だってある。
この二人は、どこまで関係が進んでいるのか。
知りたいような、知りたくないような……。
兎にも角にも、軽薄な行動は慎むべきだ。
「犬飼先輩は、連れていくんですか?」
「いや、連れていかないよ。彼女は免疫がないからね。それに、トラブルが起きた際、自分が彼女を守れる保証も無い。世界中の欲望が集まる場所に〝ついてこい〟というのは酷だよ」
一理あるけど、それは建前に過ぎない。
八戸先輩がどうするかじゃなくて、犬飼先輩がどうして欲しいのかが重要じゃないか。
「いかないで欲しい、と言われたらどうするんですか?」
この質問を待っていたかのように、フッと笑ってから口を開く。
「言わないよ、犬飼は」
「どうして、そう言い切れるんですか」
「そういう契約、だからさ」
契約、と口の中で転がす。
約束よりも拘束力があり、強制力のある言葉だ。主に、利害関係の一致した相手との間で交わさられるのが、契約。付き合い始めて間もない恋人同士が使う言葉ではない。どうにも、八戸・犬飼カップルは、傍から見るより面倒な関係にあるらしい。
でも、と思う。
それくらい強い言葉で結ばれているなら、安心できるかも。
八戸先輩が信用に足る人物かは別として、だが。
「鶴賀君は、そんなに犬飼が心配なのかな?」
そう言われて、はたと我に返った。
八戸先輩と犬飼先輩の二人が、どうするか決めることであって、僕が口を挟むべき問題じゃない。指摘されて気がつくほど、我を忘れてしまっていたのかと思うと、自分が情けなく思えて仕方がなかった。
「すみません、生意気過ぎました」
「いや、いいよ。……興味があったんだろう?」
──似た境遇に身を置く者として、さ?
ニバスに乗り込んだあとも、八戸先輩の言葉が喉をぎゅうっと締め付けて、息をしているのが奇跡とさえ思うほど息苦しかった。
* * *
騒がしい教室、いつも変わらない風景。佐竹たちが教室の後方を陣取り、昨夜に放送されたお笑いスペシャルの話で盛り上がっている。前方を見ると、月ノ宮さんを取り囲む人で溢れ、小規模ながらも発言力のある天野さんグループが中央で井戸端会議をしていた。他にもグループはいくつか点在しているが、朝の時間はグループ同士の交流は無く、それぞれの趣味で賑わいを見せていた。
その光景をぼんやり見つめながら、時計の針が進むのを待っている僕は、手元にある小説を閉じて鞄にしまった。どうにも、バスに乗り込む前に八戸先輩が放った一言が、魚の小骨みたいに引っかかって、とても活字を読む気分ではいられなかった。
──似た境遇に身を置く者として、さ。
余計なお世話だ。とはいえ、これまで『余計なお世話』をしてきた僕が否定するべきじゃない。面倒事に首を突っ込んでは、有耶無耶に誤魔化して、答えを濁してきたツケが回ってきたか。こういうときに、憎まれ口の一つや二つ吐いてくれる手頃な相手がいたら、憂鬱も紛れるものだけど、教室に流星の姿を見つからなかった。「暑いから」とか、そんな理由でサボって、今頃は、人気のない土手で口笛でも吹いてるに違いない。生徒会の見回り班はなにしてるんだ! って憤りも沸かず、ただただ時間だけが呆然と過ぎていった。
昼休み、教室には食べ物の生温い匂いが混じった。
「昼、どうする?」
くるりんと椅子を半回転させて、佐竹が訊ねる。
外は暑いが、教室でお弁当を広げる気にはなれない。
「僕は、いつもの場所で食べるよ」
お昼休みくらい、太陽の日差しを浴びてもいいかなとも思う。ずっとエアコンの効いた室内にいては、眠たくなるばかりだ。日光浴? 光合成? 太陽の光は人間にもいい作用を齎すらしい。朝の光は鬱病にも効果があるとか。足から根っこが生える前に、ひょいっと立ち上がった。
「俺は、学食なんだよなあ」
「そっちのほうが安全かも知れないね」
気温が上がると、食中毒が懸念される。お弁当と一緒に保冷剤も包んであるけど、多少のリスクを回避できるだけで、食中毒が発生しないとは限らない。安全策を取るならば、食堂の食事で済ませたほうがいい。でも、食堂を使いたくない明確な理由があった。
「昨日の話の続きもしたいから、恋莉たちも連れて食堂で食わねえ?」
「放課後でいいじゃん。ダメなの?」
「いや、べつにダメってわけじゃねえけど……」
それじゃあ放課後に、と踵を返したとき、佐竹が僕の右手首を掴んだ。
「待てよ」
手を振り解こうとしたけど、僕の筋力では、佐竹の腕力に敵うはずもなかった。冷えた肌に、佐竹の熱が伝わってくる。抵抗したって無駄だと握られた手首は、どうにも離してくれそうにない。
「お前、朝から変だぞ。なにかあったか?」
「男の子の日なんだよ」
「ああ、そうか」
佐竹は首肯して、手の力を緩めたが、「うん?」と小首を捻り、再びぎゅっと力を込めた。
「男にそんな日はねえよ!?」
……チッ、佐竹なら騙せると思ったのに。
「お前が言うと、妙な説得力があるから紛らわしいんだよ。ガチで」
じいと手首を見つめて訴えてみたが、佐竹は気がつきそうにない。
「いつまで僕の手首を握ってるの?」
「あ、わるい」
不満を言うと、佐竹が僕の手首を離した。
この教室、こんなに冷えてたっけ……?
掴まれた手首には、佐竹の手の跡が白くなって残っていた。
前方の席から「決闘!」と、熱き決闘者たちによる、威勢のいい声が訊こえた。
僕もあんな風に、自分の趣味を満喫できたらどんなに楽しいかわからない。でも、さすがに読書をするとき「読書!」って叫ぶのは奇人変人の類だけだ。てか、字面だけ見ると厨二病だぞこれ。
「悩みがあるなら話せよ。俺だって、少しはお前の役に立ちたいんだ」
そんな真剣に訴えられたら、毒気も無くなってしまうよ。
「ごめん、どうかしてたみたい。気分転換に日光浴でもしてくる」
「お、おう」
心がざわざわ煩い。
どうして──
いまだけは、鶴賀優志でいたくないと思ってしまった。
読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし差し支えなければ、感想などもよろしくお願いします。
これからも、当作品の応援をして頂けたら幸いです。(=ω=)ノ
by 瀬野 或
コメント