【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
四十一時限目 その水着は似合っていた[後]
余計なことを考えてしまうのは悪い癖だ。
この悪癖は、どうにも直りそうにない。
関係ないことを考えているうちに質問されて、適当に答えてしもうのはいけないことだと思う。それは、誠実さの欠片も無い行為だ。今回の件もそういう流れで返事をしたから起きてしまったわけで、これからはもっと慎重に行動しよう、と反省しながら思考を加速させる。
レンちゃんと海に行くのは、決定事項だと割り切るしかない。
私の中では違くても、レンちゃんの中で予定として組み込まれてしまったのだから、覆そうにも覆せないだろう。それに、私は訊いてしまったのだ。カーテンの奥から耳を澄まさなければ訊こえないほどの声で「やった」と囁いた、レンちゃんの可愛らしい声音を。
ファミレスでお昼ご飯を食べて、そのあと、百貨店で水着選び。
この流れは、前もって計画していたように思える。
そうじゃなければ、私を試着ブースまで案内するような大胆な行動はしなかったはずだ。
水着姿を見せたのは、話の流れを掴むためだとすれば合点が行く。
ここまで計算してこの状況を作り上げたのだとすると、恐れ入るなあ……。
レンちゃんも案外、目的のためなら手段を選ばない人なのかも知れない。
私は、その策略にまんまと引っかかってしまったわけだ。
色香に惑わされた、と素直に認めます……。
今更になって水をさすような不粋なことはしないけれど、私はどうしたらいいんだろう?
海に行くのは構わないが、どっちの姿で行けばいいのか。仮にこの姿で行くとなると、それなりの準備が必要になってくる。
──先ず、水着が無い。
男子が女子の水着を予め所持していたら、それはそれで問題でしょう? 特に、私は数ヶ月前まで男子高校生として生活していたのだから尚更だ。
──次に、耐水性のあるウィッグを購入しなければならない。
ちょっとやそっとの衝撃で外れない物となると、かなり値段が張りそうだ。
こういうときこそ『いざ』という場面だ。
それらを購入する資金は、どうにか工面できそうではあるが、問題はここからだ。
──どこで、どうやって購入するか。
最終的にはネットショッピングに頼る羽目になるのは予想できる。でも、水着は実際に着用して、使用感をたしかめておきたい。
──私には、アレがあるのだ。
アレを隠せる水着でなければ、この姿で海水浴は不可能。絶対に無理。しんどい。
どれくらいしんどいかを言い表すならば、SNSのプロフィールをたまたま開いてしまい、此れ見よがしに〈愛方〉と〈華族〉の項目を記入してあるのを見かけてしまったくらいのしんどさ。
いやもう、本当にあれだけはぞっとする。
『黒歴史を作るのは程々にしよう』
って、クソリプを送りそうになるまであるけど、ご本人たちは楽しんでいるんだから外野は黙っているに限る……と、壮大に脱線したとこでレンちゃんが買い物袋を片手にぶら下げてきた。
「お待たせ……どうしたの? 顔色が悪いようだけれど」
「大丈夫。本当に大丈夫だから気にしないで?」
無問題です! って笑ってみせたが、内心は笑っていられる状態ではなかった。
気分を一新したくて、話題を水着に戻そうと言葉を探す。
レンちゃんが購入したのは紅色の二着目だが、本音はどっちだったのだろうか? 一着目をお披露目したときの表情と、二着目に袖を通したときの表情には、明らかな違いあった。
「あの水着でよかったの? 本当は、最初に見せてくれた水着のほうがよかったんじゃ……」
ううん、とレンちゃんは頭を振った。
「私も赤いほうが似合うって思ったし、なにより気に入ったもの」
取り越し苦労だったかな、と我が身を振り返り、要らぬ心配をしていたようだと胸を撫で下ろした。
「そっか。気に入った水着があってよかったね」
横幅が広いビニール袋には、私が後押しをした水着が入っている。それを大切そうに抱えているレンちゃんは、いつもよりも優しげな笑顔を湛えていて、一段と可愛く見えた。
「嬉しい言葉も訊けたから、私は満足よ」
「え……?」
ご満悦な表情を浮かべているレンちゃんを見て、とんでもないような言葉を発していていたかも知れない、と怖くなった。ともあれ、レンちゃんが喜んでいるのだから、それでよしとしようと納得する。
──これからどうしよっか?
──雨は止んだかしら?
──見に行ってみる?
──そうね。
トイレ側にある通路の小窓から外を覗いてみると、先程まで降り続けていた雨はその面影を残して止んでいる。雲の切れ間から夕陽が差しみ、街は幻想的な雰囲気に包まれていた。あと数分もすればこの光景に暗闇が差し込んで、街の姿も夜へと様変わりするだろう。時間が経つのはあっという間だ。
「そろそろ帰ろっか?」
「……そうね」
寂しそうに「そうね」と呟いたレンちゃんの憂いを帯びた瞳が、私の瞼の裏側に焼き付いて胸を締め付ける。
「海、楽しみにしてるわね」
「うん。私も楽しみにして待ってるよ」
言葉とは裏腹に、答えの出ていない問題が喉に引っかかったままになっていた。
* * *
帰り際に垣間見た寂しそうな横顔も、部屋に戻ってから憂鬱に駆られたことも、幕を閉じてしまえばどうということはない。次の幕が上がるまで、窮屈で退屈な屁理屈と、様々な想いが交差する明日を待つ他にないのだ。それまで、戦士がひとときの休息を得たように、ベッドの上で瞑目するだけ。
閑寂な部屋で、心の中に生みだしてしまったもうひとつの感情が今日を振り返りたがる。その感情を押し殺した結果、副作用とも言える痛みに煩悶しそうになって枕に顔を埋めた。あー、とも、うー、ともならない叫びは枕の綿に吸収されて、こちこちと響く時計の秒針だけが寂寞たる夜を物語っていた。
幸いにも、両親はまだ帰宅していなかった。女装バレは恐怖でしかない。普段はあっけらかんな両親も、僕が女装をしていると知ったらどう思うか不安で堪らない。だからこそ、細心の注意をしながら生活しているけど、『本当にバレてないだろうか』と、煩わしい疑問が脳裏をちらつく。物は隠せても、匂いまでは隠しきれない。お香を炊いて工夫してみてはいるけど、それもいつまで通用するか怪しい。
設定した温度になったのか、エアコンの稼働音が静かになった。
はあと息を吐いて、天井を見つめる。
「これが、大人たちが口を揃えて言う〝青春〟なのかな……」
過去を羨望するようにして語る〈青春〉の正体が、往々と悩み続ける日々とするならば、そんな青春時代に戻りたいと請い願うのも不思議だ。いつの日か、僕も大人たちのように、「あの頃はよかった」と、高校時代を振り返るのだろうか?
青春を〈光〉と称するのは、青春を謳歌した者のみに与えられた特権のようなものだ。
それを『当然』かの如く振り翳して、悦に浸る大人にはなりたくないと思いながら、訪れた睡魔に身を委ねた。
読んで頂きまして、誠にありがとうございます。
もし不都合でなければ、感想などもよろしくお願いします。(=ω=)ノ
by 瀬野 或
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