【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
四十一時限目 その水着は似合っていた[中]
先程の水着と打って変わり、こちらは随分と大人っぽいデザインだ。
喩えるならば、フラメンコダンサーの衣装みたい。
情熱的な紅色が、エキゾチックな印象を強くしている。
赤が似合うレンちゃんには、こちらのほうが似合っていると思った。
胸元から伸びる紐は背中でクロスして、谷間がより強調されている。
寄せて上げる作りになっているようで、さっきよりも胸が大きく見えた。
ウエストより高い位置で絞られている水着は、体の細さが際立つ。
レンちゃんが少し動く度に、膝下まであるワインレッドのスカートがひらりと揺れた。
──脱着可能みたい?
この姿のまま水に入ったら、くらげみたいになってしまうもんね。
どことなく、メイド服に見えなくもないシルエットだ。
おとなかわいいが持ち味のブランドだからこそ、そういう『遊び』を取り入れたデザインになっているんだろう。
こんな水着を着てビーチサイドを歩いたら、物語の主役になった気分でさぞ気持ちがいいだろうな。
ツバの広い麦わら帽子に、大きめのサングラスを掛けたらお忍びできた女優そのものだ。
砂浜に敷かれた椅子に寝そべるようにして座り、ビーチパラソルの下でトロピカルジュースを飲んでそう。
……ちょっと、偏見が入ってしまった。
「すごく綺麗……」
溜め息が出てしまうくらい、綺麗だ。
楓ちゃんがレンちゃんにご執心になる気持ちも、少しだけ理解できた。
「その水着にしなよ! とってもよくお似合いです!」
「まるでアパレルショップの店員さんみたいな口調になってるわよ?」
そう言って、可笑しそうに目を細めた。
私がショップ店員だったら、もっと押しを強くして言葉巧みに誘導する。
なんだったら、さっきの水着と合わせ購入で、お会計金額から二割引きしちゃう。
「ちょっと予算オーバーだけど、これにしようかしら?」
「うん。レンちゃんには赤が似合うと思うなあ♪」
「暗い色が似合うというのも、それはそれで考えものだけど……。ユウちゃんがそこまで言うならこっちの水着にするわ」
嬉しそうな声音で、満足そうに試着室のカーテンを閉じた。
私も私で、なんだかわからない気持ちになっていた。嬉しいとはまた違う気持ち。レンちゃんに似合う水着が見つかって安心した、ともつかない感情の正体に思い悩んでいると、カーテンを隔てた向こう側から、なにやら訳有りそうな声で「ねえ、ユウちゃん」と声がする。
「うん?」
「水着を買っても、使わなければ意味が無いわよね?」
せっかく見つけた水着をお披露目する機会がなかったら、勿体ないとは思うけど。
「海、行きたいわね」
「そうだね」
ドア代わりのカーテンが、さらりと揺れた。
過去の夏休みに、自分がなにをして過ごしていたのか思い返すと、海に限らず、市民プールも行っていなかった。行く用事もなかった、としたほうが正しいだろう。
私の夏の過ごし方は、初日にある程度の課題を終わらせて、読書やゲームに飽きたら残った課題をやる、を繰り返す日々の連続だ。だれとも遊ぶ予定がないから、七月中には全ての課題が終わる。
夏らしい行事といえば、地元で二日間行われる夏祭りに顔を出すくらいなもので、それも年々規模が縮小傾向にあった。
数十年前までは、近所のスーパーの前に屋台がずらりと並んで、それなりに大々的な規模のお祭りだったと訊いたことがある。現在は、ちょっと離れにある中学校の校庭を間借りして開催される初日と、スーパーの前に最低限の出店しかない二日目、という、とても退屈な祭りになっていた。然し、友だちと『退屈な祭りだな』って文句を言いながら練り歩けば、そこそこ楽しめるだろう。それも『友だちがいれば』の話であって、地元に『友だち』と呼べる人が存在しない私には、文句を言う相手もいないので、退屈以外のなにものでもないお祭りだ。
こうして思い返してみると、折角の夏休みを無駄に浪費しているように思える。
同年代の子たちは、「夏がきた!」って騒ぎ出すけど、私は彼らの片隅で暑苦しいと思うだけだ。海やプールへ行くにしても──一人で行く海はそれはそれで楽しいかもしれないけれど──和気藹々と過ごしている人々の群れを見たら、居た堪れなくって逃げ出しそうだ。
夏休みを前にして暗い感情を抱くのも、私くらいなものだろう。
「……いけるなら、いきたい」
それは、希薄な望みに過ぎなかった。
──だけど、相手がいないからいけない。
ここまで声に出さなかっただけでも、自分を褒めてあげたいくらいだった。
「夏休みになったら、二人で海にいこっか」
「うん、わかっ……」
え? それって、つまりデートのお誘いだよね? と訊き返そうとして口を開いたが、「トイレの前で待ってて?」と阻まれた。再度、訊ねようとしたけれど、タイミング悪く他の客が入ってきて、私は撤退を余儀無くされた。
* * *
水着コーナーを抜けて、多目的トイレ前に到着した。
木製のベンチに腰を下ろす。ベンチの表面を撫でるとツルツルしていた。そういえば、と服に触れると、濡れていた部分がいつの間にか乾いている。百貨店の空気が乾燥している証拠だ。冷たく感じていた空調温度も肌に馴むくらいには、長居していたんだろう。
手持ち無沙汰で座ったまま振り返ってみると、転落防止の強化ガラスがあった。所々に小さな手形が残っている。両親のどちらかを待っている合間に、退屈になった子どもが興味津々な表情でガラスに手をついて下を覗き込むのだろう。微笑ましい光景に頬が綻ぶけれど、それは妄想の中の出来事でしかない。
私が座っているトイレ前のベンチは、婦人服売り場と紳士服売り場の境にある。ベンチから少し離れた場所──トイレの隣の奥まった場所──に階段とエレベーターがあるといっても、田舎にある百貨店だから人通りも少ない。エスカレーターだって隣にあるけど、上り下りする客の姿は数分に片手で数える程度しかなかった。
主婦の大半は下のフロアにある食品目当てで賑わいを見せる。だが、衣料品を求める客はそれの二割程度といったところ。フェアリーキャットコラボ効果で、若い子の姿もちらりほらりと見受けるが、それだって高が知れる人数だ。
クラスにいる女子たちの会話を小耳に挟んでいると、『なにを買ったか』よりも『どこでかったか』に重きを置いている傾向にある。名前が上がるのは、新宿、渋谷、原宿と有名どころが並ぶ。池袋をあまり耳にしないのは『実質埼玉である』とするから? 見栄の張り合いにうんざりしないのだろうかって思うけど、それも彼女たちのステータスなのだ。洋服にそこまで気を遣っておきながら、言葉遣いは乱雑でぐちゃぐちゃに散らかっている。「それは草ンゴ」って言葉が耳に入ってきたときは、思わず自分の耳を疑った。ネットスラングを実際に口にするのは草ンゴ。
百貨店で水着を選んでいる彼女たちは、この店で購入した水着を海やプールでお披露目するだろうけども、「その水着はどこで買ったの?」と訊ねられて、「地元の百貨店にある婦人服売り場」と答えられる人は、そのうちのなんパーセントくらいまで下がるだろうか。
私だったら「ファッションセンター島村です」と、素直に答えちゃうかな。シマムラーは、島村で購入した商品に誇りを持っているのだ。……多分、知らないけど。
そんなことはどうでもよくて、考えなければならない問題は他に山積みである。
改めて、発生した問題に向き合うべく頭を抱えた。
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