【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

三十九時限目 月ノ宮楓は明るい未来を目指す ②


 我が家に滞在している給仕は高津さんを含めて三人。そのほかにもう一人いるけれど、彼女は近くのアパートから通勤している。高津さん以外は女性で、面白いくらい年齢もバラバラ。女性給仕を取り纏めているのも高津さんで、料理の腕は老舗料理屋の板前さんにも引けを取らない。でも、洋食は苦手のようで、不甲斐無いと零しながら他の給仕に任せている場面を何度か目撃した。でも、最近は洋食の腕も上がりつつあり、お父様も一言二言言いいながらも召し上がっているので、料理のセンスは高津さんが一番かも知れない。

 お父様とお母様、そして、家の世話をして下さる給仕さんたちを含めると、我が家は大所帯と言えなくもない。それゆえに、私は人間関係に悩まされている。

 滞在して勤めて下さっている三人の女性給仕さんとは気さくにお喋りしたりもするけれど、通勤している彼女とは折り合いが悪い。なにを訊ねても素っ気なく返されてしまい、一度だけ高津さんに相談したことがあった。高津さんは「彼女は真面目なだけですよ」と言っていたけれども、彼女は明らかに私を敵視していた。それでも私と彼女の立場は『雇い主の娘』と『女性給仕』で、私がお願いすれば文句を言わずに行動してくれる。彼女が仕事と割り切るならば、私もそう割り切るしかない。だから、なるべく他の給仕さんと同じように接するのを心掛けていた。


 

「出発致します。シートベルトをを忘れないようご注意下さいませ」

「はい。よろしくお願いします」

 私の返事を訊くと、高津さんはエンジンを回した。

 私の住む家は梅ノ原市の郊外にある高級住宅街の中にある。昭和レトロな外観をした洋館が私の家で、お母様の趣味を色濃く写した外観は街並みにそぐわず一際目立つ。タクシーの出入りがほぼ無いのは高額納税者特有のプライドなのか、だれしもお抱えのドライバーいる。近くに頃合いの食品店が無く、店へ向かうにも帰宅するのに急勾配の坂を上らなければならない面倒も相俟って、それならばドライバーを雇おう、と考えるのだ。タクシーが理由も無しにこの土地へ踏み入れようとしないのは、この土地に住む者たちの目が気になるからでしょう。

『彼らは愚か者ゆえに、社会の仕組みを汲み取ろうとしない。使えるものは猿でも使え。馬鹿とハサミはつかいよう、と言うものだ』

 見慣れた街並みを車窓からぼうっと見ながら、お父様の言葉が脳裏を掠めた。

 成功者の言葉は重みが違う。高級住宅街の住人だって成功者と言えるけれど、お父様からすれば格下なのでしょう。お父様は経営に関する書籍も出していて、その本の中でこう語っていた。

『神などいない。いるとしても、それは客ではない。アイデアを生み出す精神にこそ神が宿るのである』

 つまるところ、客が声に出して望む前にニーズを察知して具現化させることこそがサービスである、とお父様は説いているのだ。この言葉を有言実行しているからこそ、月ノ宮グループは超一流企業として名を馳せている。

 お父様らしい一文だ、と思った。

 お父様のような立派な経営者になるのが夢……いいえ、夢ではなく実現させる目標と言うほうが正しい。然し、自分の問題すら解決できない私がお父様のようになれるのか不安はあった。

 欲しいものは、どんな手段を用いてでも手に入れるのが月ノ宮家の鉄則。然れども、欲しいものが〈彼女〉で〈他人の心〉だと、いままでの経験を活かしても上手くいかない。むしろ、どんどん離れてしまっているようにすら思える。

 梅ノ原高等学園高校に入学して、彼女に一目惚れしたその日から、どうすれば彼女と恋仲になれるだろうかと模索する日々。

 そして、最初の計画は失敗の終わった。

 他者を恐喝して得られる愛などなかった。それを理解するのに数ヶ月も使ってしまったのは痛手だけど、授業料だとすれば悪くはない。『失敗は失敗だけれども失敗ではない』という言葉を残したトーマス・エジソンに倣えば、 『これも一つの通過儀礼のようなものだ』と切り替えられた。




 手元にあるスイッチを押して、半分ほど窓を開けた。生温い風が頬を撫でて髪を揺らす。私が窓を開いたのを『換気』と捉えた高津さんが、運転席の窓を一センチほど開けた。

「車内の空気が滞っていたでしょうか?」

 前を向きながら私に訊ねる。

「風に当たりたい気分だったので。エアコンを効かせていたのにすみません」

 すれ違う車から、下品な音楽が洩れていた。

「いえ。老体には少々効き過ぎかと思っていたところでしたから」

 赤信号に変わり、車が静かに止まる。前方を走る車はテイルライトを二回点灯させたので、交通ルールを守るドライバーだと思った。 

「お嬢様、間もなく照史様の店に着きますのでご準備を」

「ありがとうございます、高津さん」

「いえ」

 月ノ宮家から出て行ったお兄様の元へ向かうことを、お父様はよく思っていない。

 高津さんは、私たち家族の事情をだれよりも熟知している。だから、私が「ダンデライオンに行く」と告げると文句こそ言ったりしないけれど、一瞬だけ当惑した表情を浮かべて、なにか言い淀むように眉を顰める。

 高津さん自身、お兄様を毛嫌いしているわけではない。『楓を照史に近づけるな』と、お父様から口煩く言われているのでしょう。

 お父様とお兄様の確執に巻き込まないで頂きたいというのが本音で、私はいまでもお兄様を尊敬しているし、家族として敬愛している。

 信号機が青に変わり、車が流れ始めた。

「お嬢様、これから私めが話すことは、老人の戯言と流してください」

 改まって言われると身構えてしまう。そういう内容なのだろう、と背筋を伸ばして訊く姿勢を作った。

「先日、が、月ノ宮製薬本社で執り行われました」

「はい」

 とある会議とは、次期社長候補を決める会議だ、と察しがついた。

「内容は社内機密事項に触れるため、お嬢様にもお伝えすることはできないのですが、旦那様はお嬢様に大層ご期待されている様子でした」

「そうですか」

 端的に返事を済ませたが、緊張と不安で全身があわつのを感じる。握り締めた両手が汗ばみ、生唾をごくりと呑み込んだ。








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 by 瀬野 或

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