【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

三百二十三時限目 オレンジジュースの差分


「こんな時間に呼び出したんだから、端的に済ませてよねー」

 真っ白なお皿の上には、ドーナツを掴んだ紙ナプキンがくしゃくしゃに丸めて置いてあった。たしか、ナプキンを丁寧に畳んで帰るのは、『美味しくなかった』という表現だって、テレビかなにかで見訊きした記憶がある。

 七ヶ扇さんがその食事マナーに倣ったかはさて置き、僕も帰宅が遅くなるのは避けたかった。とはいえ、家に到着するのは十九時を過ぎるかも知れない。僕はいい。だけど、七ヶ扇さんを夜遅くまで拘束するわけにはいかない。タイムリミットは三〇分。一八〇〇秒間に、どこまで核心に迫れるかだが、電話口で『恋愛相談』と言ってしまった手前、生徒会に関する情報を引き出すのは至難の業である。

 どう、切り出せばいいか──。

なんでしょ? 相談する相手を間違えてるとしか思えないけど。……恋愛経験豊富に見える?」

「生徒の悩みを解決するのが生徒会の役目でしょ?」

「違う。生徒会は学校の風紀を守る組織であって、お悩み相談室じゃない」

 内心では、そうでしょうねと同意しながら、いまは世間知らずを演じることにした。

「そうなの? 生徒会って〝ザ・正義の味方〟ってイメージだけど」

「漫画やアニメに影響されるのは勝手だけど、現実は残酷なのよー」

 七ヶ扇さんは退屈そうにしながら、「それに」と続ける。

「鶴賀くんとあたしって、赤裸々に悩みを語るような深い仲でもないでしょ。それとも、アンタも関根さんみたいなタイプ?」

 ──まさか。

 ──でしょうね。

「だいたい、不自然過ぎるのよ。生徒会の内情を知りたいのなら、もっと上手く立ち回ることねー」

 僕の魂胆はお見通しらしい。

 それもそうだ。ほぼ初対面の相手に『恋愛相談』なんて、プライベート過ぎる悩みを打ち明けるほど、警戒心が無い人間はそういない。『初めて会ったのに、ずっと昔から知ってるような気がする』っていうのも気のせいに過ぎない。時間は常に、冷酷なくらい正確に、過去と現在を数字で表すのだから。

「なら、どうして会ってくれたの?」

 僕の魂胆を察していたならば、電話したときに突っねてしまえばいい。そうすれば、オレンジジュースを奢ることもなかったし、今頃は電車の中で最寄りの駅まで到着するのを待っていたはずだ。

「これ以上、いまの生徒会について詮索されるのは迷惑なの。鶴賀くんは直接言わないと納得しない性格っぽいから、わざわざオレンジジュースまでご馳走してるのよ」

「手切れ金が三〇〇円ってのは、安過ぎやしませんかね?」

「受け取った時点で、文句を言うのは筋が通らないわ」

 それもそうだ、と思ってつい笑ってしまった。

「なにが可笑しいのよ」

「僕らしくないことをしてるなって思ったら、ついね」

 冷静に考えれば、七ヶ扇さんに会わずとも、情報を得ようと思えばいくらでも得られたのだ。ただ、七ヶ扇さんから訊き出せれば、かなりの近道になるってだけ。

「要するに、話すことはなにもないってわけだ」

「そういうことー」

 そうはいっても、七ヶ扇さんはこの場に足を運んでしまった。

 僕の応答に応えてしまった。

 オレンジジュースを奢ってしまった。

 これらの事実が、『話したいことがある』と証明してしまっている。

 とどのつまり、呼び出したのは僕だけれど、行き止まりへ進む道を選んでしまったのは他でもなく、七ヶ扇さん自身だ。行き止まりで行き詰まって、猫の手すら借りられず、縋る藁さえ流れてこない激流に呑み込まれて、救難信号を送った相手にメーデーを叫んでいる状態。

「だれかを悪者にするのって、気楽でいいよね」

「突然、なに?」

「だれかを悪としていれば、自分が正義だって位置付けできるでしょ? それが仮初めの正義であっても、自分を納得させる材料にはなる」

「……なにが言いたいわけ?」

 この世界には、正義と悪が存在する。

 正義はいつだって自分にあり、悪は大抵が他人だ。自分の意見に賛同しない者や、自分と考え方が違う者は、いかなる場合においても悪である。だから、問答無用で弾圧して排除する。自分が身を置く世界だけ、平和な世界になるからだ。都合のいい人間、都合のいい解釈、都合のいい道具。それらで身を固めれば、それなりに幸せでいられる。でも、所詮はご都合主義によるエゴに過ぎない。いつの時代でも必ずクーデターは起こり、国が滅んで、民主主義がときの声を上げるのだ。

「八戸先輩を悪役にしいていれば、傷の痛みを誤魔化せるもんね」

「不愉快だから帰る」

 七ヶ扇さんは我慢ならないと立ち上がったが、簡単に帰してはやらない。だって、僕は七ヶ扇さんの『悪者』だ。悪者は悪者らしく、徹底的に悪趣味を果たさなければならない。怪人が人間を襲うように。怪獣が町を破壊するように。悪者はいつだって、正義のヒーローに歯向かうのだ。

「そうやって逃げ続けて、七ヶ扇さんにはなにが残ったの?」

 七ヶ扇さんは、一歩進めようとした足を止めた。

「アンタに、あたしのなにがわかるのよ」

「他人が自分を理解していると思わないほうが懸命だよ」

 理解とは程遠い場所にいる存在、それが他人の正体だ。

「理解して欲しいのなら、それなりの行動を示す必要があるって思わない?」

「アンタに理解して欲しいなんて、微塵も思わないけど」

「だったらなぜ、〝あたしのなにがわかるの〟って言葉を使ったの? 理解して欲しくないなら、この台詞を吐く理由がない」

「それは……」

 反論しようと言葉を探しているけれど、僕は『間違っていることの証明』ができる。だが、七ヶ扇さんにはそれができない。なぜなら、彼女もまた間違っているからだ。お互いの間違いをぶつけ合うときに重要なのは、あたかも『それが真実である』と論うこと。もっとも、愚かな行為であることは明白で、ほかに力を注ぐほうが正しい。

 だからこそ、僕も彼女も間違っているのだ。

「……それにしても、さ」

「まだなにかあるわけ?」

「オレンジジュースって、たまに飲むと美味しいよね」

 藪から棒に言い出したのがオレンジジュースの品評だったから、七ヶ扇さんは殊更に首を傾げて「は?」っと眉を顰めた。

「このオレンジジュースは約三〇〇円。でも、スーパーに行けば一リットル一三〇円前後で買えてしまうんだよ。なかなかに不条理だって思わない?」

「意味がわからないんだけど」

「つまり、これは不条理だ」

 そして、この不条理は三〇〇円で支払われたものであり、本来ならば一三〇円程度の不条理である。

「七ヶ扇さんは、僕からなにも徴収してないよね」

「絶賛後悔中だけどね」

「だったら、差分くらいの道理は返させてよ」

 七ヶ扇さんが僕に対して行ったように、「座って」という意味を込めて、向かいの席を手差しする。

 七ヶ扇さんは漠然としないまま、ご機嫌斜め過ぎて機嫌が垂直になるくらいの憤懣遣る方無しを、これでもかっていわんばかりに湛えながら着席した。

「で、本題なんだけど」

「生徒会については、絶対に喋らないから」

 そっちじゃない、という意味を込めて頭を振る。

「恋愛相談だよ」

「この期に及んで、まだそれ?」

「僕じゃなくて七ヶ扇さんの、さ」

 ──生徒会の話じゃないでしょ?

 ──まあ、そうだけど……。

「八戸先輩と、なにがあったのか訊かせてよ」

 そう言うと、七ヶ扇さんは「はあー……」って深い溜め息を吐き出した。

「それが、さっき言ってたってわけ?」

 僕は、その問いに黙って首肯した。

「鶴賀くんって、絶対に損な立ち回りさせられるでしょ?」

「自分でも嫌になるくらいね。でも、案外気に入ってたりもするんだから不思議なもんだよ」

「アンタも変態ってわけだ」

 くすっと破顔して、刺々しかった空気が弛緩したのを感じる。

「でも、これだけじゃ差分は足りないから、ハニーチュロとカフェオレのお代わりを貰ってきて」

 ──夕飯前に二つも食べると太るって言ってなかった?

 ──だれかさんのせいで、糖分が欲しくなったのよ。

「はいはい、承りました」

 使用済みのトレーを手に取り立ち上がると、七ヶ扇さんが「ありがと」と言った。感謝されるようなことはなにもしていない。そればかりか、恨まれてもおかしくない状況だった。

 七ヶ扇さんの謝意には触れず、返却口へと向かった。 








【感謝】

 この度は『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』にお目通し頂きまして、誠にありがとうございます。皆様がいつも読んで下さるおかげで最新話をお届けできています。まだまだ未熟な私ですが、これからもご贔屓にして頂けたら幸いです。

【お願い】

 作品を読んで、少しでも『面白い!』と思って頂けましたら、お手数では御座いますが『♡』を押して頂けますと嬉しい限りです。また、『続きが読みたい!』と思って頂けたましたら、『☆』を押して下さいますとモチベーションにも繋がりますので、重ねてお願い申し上げます。感想は一言でも構いません。『面白かったよ!』だけでもお聞かせ下さい! お願いします!(=人=)ヘコヘコ

【話数について】

 当作品は『小説家になろう』と同時進行で投稿しておりますが、『小説家になろう』と『ノベルバ』では、話数が異なっています。その理由は、ノベルバに『章』という概念が無く、無理矢理作品に反映させているため、その分、余計に話数が増えているのです。なので、『小説家になろう』でも、『ノベルバ』でも、進行状況は変わりません。読みやすい方、使いやすい方をお選び下さい♪

【作品の投稿について】

 当作品は『毎日投稿』では御座いません。毎日投稿を心掛けてはいますが、作業が煮詰まってしまったり、リアルが現実的に、本当に多忙な場合、投稿を見送らせて頂くことも御座います。その際は、次の投稿までお待ち下さると嬉しい限りです。予め、ご了承ください。

 これからも──

 女装男子のインビジブルな恋愛事情。

 を、よろしくお願い申し上げます。(=ω=)ノ

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