【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

???時限目 無題


 ヒト科に属する生物であり、極めて特殊な境遇でなければ、腕が二本以上ある構造は無し。

 腕が二本しか無いのであれば、片方に必要な物を持ち、もう片方の手は、待ち受けるドアを開くための空手でなければいけない。

 二兎を追う者は一兎をも得ずでは損失を被るのみならず、利益が全ての世界において、それは悪手とも言うべき愚行の他なし。

 よって、人間は常に二者択一を迫られる。

〈右手に持つは、欲望〉

 渇望してやまない、この世界で最も尊い存在からの贈り物。

〈左手に持つは、常識〉

 この世界で最も重要視されて、逸脱を許されない鉄の掟。

 取捨選択を迫られた際に〈堅実〉を選べば、それなりの報酬は手に入る。が、想定内の利益しか成らず。然れど、〈ほうじゅう〉すれば利益どころの騒ぎではない。

『白と黒の瀬戸際を攻めてこそ、勝負事ビジネスは面白い』

 と、いうのがお父様の持論で、月ノ宮グループは薬品のみならず、カルチャー部門にも幅広く手を広げている。

 勿論、お父様自身もメディアに顔を出して、討論大会のような番組に出演していた。

 ご多忙な日々で寧日も無く、そろそろメディアへの露出は控えて頂きたいのですが、今日はラジオ番組の収録があると都内へ向かって、帰りは深夜になるのでしょう。

 そうして身を削りながら、月ノ宮製薬を大企業に仕立てあげたお父様を、私は尊敬して止まない。

 いつか、私もお父様の会社を継げる存在になれるように準備を進めている。

 私に足りない物は数多にあれど、人脈を生かしきれていないのが一番の痛手。

 駒を二つ用意しても、その駒は一癖も二癖もあり、想像の斜め上な行動をする上に、隙あらば寝首を切らんと爪を研いでいる。

 歯向かうのならば、容赦なく切り捨てる覚悟ではあるにはあるのですが……これが、そうもいかない。

『欲しい物は、どんな手段をもちいてでも手に入れる』 

 これが、月ノ宮家の鉄則。

 愛する人を手に入れるならば、悪魔と呼ばれても構わない。

 だからこそ〈彼〉を取り込む計画を立てた。
 
 私が最短距離で〈彼女〉に近づくなら、彼の協力は必須条件。まあ、〈オマケ〉のような駒もついてきましたが、その駒は〈彼〉にお熱のようで御し易く、上手く立ち回ればその二人がくっ付いて、私は〈彼女〉を手中に納められる……はずだった。

 どうにも、歯車が噛み合ってくれない。

 手頃な駒だと思っていた〈二つ〉のうちの〈一つ〉が、想像以上に灰汁が強い性格で……弱音を吐きたくはないですが、本当に〈彼〉を手駒に置いていいものか? と、夜な夜な頭を抱えて眠りにつくのが最近の日課になりつつあった。

 欲望を捨て去れば、噛み合わない歯車も大輪を回して、順調に運ぶのかも知れない。されど、欲望を捨ててしまえば、私は死んでも死に切れないほど後悔する。

 但し……。

 欲望を選んでしまうと、世界の理から外れた異端者となる。

 諦めるという選択は、毛頭無い。

 容易く降伏しては、月ノ宮の名が廃る。

『ただの水道の水で利益を出すにはどうする』

 以前、お父様から、このような問題を突きつけられた。

 普通に考えれば、水道水なんてだれでも入手可能で、無料──厳密に言えば、それらには税金が使用されていて無料とは呼べない──で入手可能な代物に、現金を投じる者はいない。

 だが、その水を『特別なモノ』と消費者に思い込ませることができれば、仕入れ〇円にも満たない商品がヒットする可能性はある。

 健康にいい。

 運気が上がる。

 美容効果がある。

 ダイエットに最適。

 野良猫避けになる。

 ここでしか手に入らない……、など。

 それなりの地位にいる者たちに拡散してもらえば、無知な方々は喜んで購入するでしょう。

 水道の水を飲んでも無害ですし、商品説明欄に『効果には個人差があります』と小さく記載しておけば問題無しですが……、詐欺紛いな行為であり、信用がガタ落ちするので、こんな愚かな行為に手を染めるはずもない。

 とどのつまり、『価値』をつけられれば、取捨選択で切り捨てた選択肢も『捨てた価値があった』と結論付けられる。 

 なんていうのは『言い訳』ですね……。

 因みに、先程の問いをお父様に投げ掛けたら──

『私が、それを必要とする者に、安価で提供するだけだ。たったそれだけで、想定した以上の利益を生む。付加価値は、社会的信用に依存するものだ』

 と、権力で全てを制す『月ノ宮家当主』らしいお答えで感服したにしろ、それが正解ともはた言い難しで、私がお父様のようにふるうには、なにもかも足りなさ過ぎた。

『目標は高く、怠けることなかれ』 

 お母様が連日のように仰る言葉を胸に秘め、私は戦場へと赴く──。


 

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