【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
二百七十六時限目 時間は常に進むべき方向を違わない
ダンデライオンで昼食のサンドイッチを頬張る。
サーモンとモッツァレラチーズを最初に合わせた人は偉大だ。単体でも美味しいのに、この二つが合わさることで更なる旨味の境地へと導いてくれる。アクセントになるのはカットされたピクルス。酸味が心地いい。
ダンデライオンに訪れた際には、ぜひこのサンドイッチを食べて頂きたいが、柴犬が食べているドライカレーのピタサンドもまた美味い。
二度、三度足を運んで、どの料理が自分の合うのか模索するのも、この店の醍醐味と言えるだろう。
「ピタサンドなんて初めて食べたわ……。これだけじゃ腹いっぱいにならないと思ってたけど、結構ボリュームあるな」
照史さんがサンドイッチの作り方を学んだ店は、『お腹いっぱい食べて満足して貰う』がモットーらしく、照史さんもその方針に従っているらしい。なので、ダンデライオンで提供される料理の数々はボリューム満点だ。特に、僕が食べているサンドイッチは、カンパーニュの中腹、一番大きいところを二枚使用している。そして、付け合わせにポテト、サラダ、スープまで付いてくるのだから、値段がちょっと高くても文句は無い。
柴犬はピタサンドを食べきり「美味かった……」と、感嘆の息を零しながら、水を一口飲んだ。
「なんと言うか、アレだ。誰にも教えたくない店ってあるだろ? この店はそんな感じ」
「隠れ家みたいでいいよね」
「相談にも向いてそうだ」
今回、この店を選んだのはそういう意味もあったのだろう。
空き皿がテーブルに並び始めた頃合いを見計らって、照史さんが笑みを浮かべながらお皿を下げにきた。僕らの会話を盗み訊きしていたに違いない。照史さんはそういう嫌いがあるからなぁ……この店のマスターだから、訊かずにしていても耳に入ってしまうのだろうけど。
「美味しかったかい?」
照史さんは柴犬に訊ねる。
「めちゃくちゃ美味かったです」
「それはよかった」
興奮気味に返された言葉に満足したのか、照史さんは殊更笑顔になった。客から直接「美味しかった」と感想を貰えるのは、料理人冥利に尽きる。
「これからも贔屓にして貰えたら嬉しいな」
「絶対にまた来ます」
ダンデライオンに新たな常連が加わった瞬間だった。
「そろそろ話の続きをしないか」
それもそうだ、と手に持っていたカフェラテを受け皿に置いた。ここに来た目的は、柴犬と仲よく昼食にするではなく、さっき訊いた相談内容についてだ。
然し、いじめ問題か──。
中学時代にオラついていた自分が、今度は逆の立場に立たされるなんて、こんな因果応報は類を見ない。内心では『ざまあみろ』と思いつつも、柴犬は柴犬なりにけじめを付けようとしているのかも知れない。その一歩として僕との接触を選んだとあらば、応えないわけにもいかないだろう。
被害を被っているのは柴犬だけじゃないのだから。
「俺は何をしたらいい。情けない話だが、こういうときに頼りになるのはお前しかいないんだ」
「言っておくけど、僕が柴犬の問題を解決できるとは限らないよ? そりゃどうにかして春原さんだけでも助けたいとは思うけどさ」
──お前、もしかして凛花に気があるのか?
──他人の恋人に手を出すほど落ちぶれてないから。
「だよな。それに、お前の周りには可愛い女子が二人もいるし」
「帰っていいかな」
冗談だろうが──柴犬はあたふたしながら後頭部は掻く。
「確認なんだけど、僕は二人を助ける算段を立てればいいの? それとも」
「いや」
僕の言葉を遮るように柴犬が被せた。
「俺のことは自分でなんとかする。お前は凛花が傷つくような状況を回避する案を頼む」
へえ……。
「つまり、自分はどうなってもいいってこと?」
「俺が標的になるのはわかる。でも、凛花もついでになんて、どう考えても筋が通らないだろ。だから──」
「覚悟はできてるってことだね」
静かに頷いた柴犬の表情は、ちょっとだけ大人の男に見えた。
人は恋をすると変わるというが、ここまで変わるヤツもそういない。まあ、柴犬は元が元だっただけに、そう感じる要因が多いのかもしれないが、それにしたっていい面構えになったじゃあないか……僕は親戚のおじさんかよ。
「僕が柴犬と同じ高校だったら状況も掴めやすいんだけど、現状ではなんとも言えない。多分、明日から本格的に嫌がらせが始まる」
「おう」
「だから、柴犬はできる限り春原さんと距離を取りつつ、危険だと感じたら助けてあげて」
距離ってどれくらいだ? と、真面目に訊ねられてしまった。
「逆に訊くけど、僕が〝半径一キロ〟って言ったら柴犬はそうするわけ?」
「あ、いや……そうだよな」
冷静を装ってはいるけれど、こういうときにボロが出てしまうのが柴田健という男であり、だから『子犬』と陰で呼ばれるのだ。
「明日、柴犬がやることは一つ。恋人である春原さんに迷惑をかけないように行動すること。それができないと話にならないから肝に命じておいてね」
「わかった。……お前、案外いいヤツなんだな」
「そりゃどうも」
今日の話し合いはここまでとなり、柴犬は僕の分も支払ってくれた。
依頼料、ということらしい。
高校二年生が支払うにしては大金だというのに、随分と羽振りがいいじゃないかと訊ねたら、「一年の頃にバイトで貯めた金だ」とのこと。
現在そのバイトは辞めて、いいバイトがないかと探してるようだ──交際費を稼ぎたいのだろう。
「柴犬のやる気次第ではあるけど、いい店を知ってるよ」
「本当か? 時給いいのか?」
「うん、多分ね」
この件が収まったら紹介してくれ、柴犬はそう言って笑った。
柴犬に飲食店は合うだろうか……まあ、そこはあの店長なら上手くこき使うんだろう。
柴犬、初日で根を上げるんじゃなかろうか?
それもちょっと見てみたい気がしなくもない。
ダンデライオンで彼と会ってから、ようやく見せた隙のある笑顔は、心做しか僕に話して楽になった部分もあったに違いない。
心の余裕は大切だけれど、余裕はときに大きな油断を生むものだ。
僕は帰り際に、柴犬の背中を平手打ちした。
「いってぇ!? なにすんだよ!」
「張本さんみたいに喝を入れたんだよ──しっかりやってよね」
僕の頭の中に宿る張本さんが、「これは喝ですよ。喝!」と唸りを上げた。
「また明日連絡する」
「なるべくいい報告を期待してるよ」
いい報告ができるといいけどな、と呟いた柴犬は駅構内へ通じる階段に片足を掛ける。
「鶴賀……ありがとな」
こちらこそありがとうだ。
どんな形にせよ、昼食を奢って貰ったのだから。
そして、その分くらい知恵を貸すのはわけ無い。
「柄にも無いことを呟くと死亡フラグになるからやめてもらっていい?」
「お前ってヤツは、本当に可愛げも無いのな」
──見かけ倒しって言葉知ってるか?
──柴犬だって相当だよ。
こんな軽口を叩けるようになったのは、僕も、柴犬も、中学から幾分は成長した証拠だろう。そのことにき気がついたのは、柴犬が先かも知れない。
「優志でいいよ」
「あ?」
「呼び方」
「そうか……じゃあ俺は」
「柴犬、でしょ?」
その呼び方、ムカつくんだよな──。
「もう慣れたけど」
ホームに下りると、駅の外に咲いている桜の花弁を一陣の風が運んだ。
「ねえ、柴犬」
「なんだ」
「春って英語で言うとスプリングでしょ。どうして〝スプリング〟なのか知ってる?」
さあな、と肩を竦める。
「気候が穏やかになり、冬の寒さで悴んだ心が解放されて喜ぶ様を〝心が弾む〟と例えて、そこから〝弾む〟を取り、春を〝スプリング〟と称したんだってさ」
「それは知らなかった……博識だな」
「まあ、いま考えたんだけど」
妙に説得力があったから信じたじゃねえか、と柴犬に横腹を突かれた。
「嘘だとしても、信じたくなる嘘だ」
風で飛ばされてきた桜の花弁が、ふんわりと揺らぎながら柴犬の肩に落ちた。それを片手の指で挟むようにして取り、両手の指先で端と端を摘んで唇に付ける。ふうっと息を吐くと、唇と花弁が小刻みに振動して、濁音混じりの音が鳴った。
「上手いじゃん」
「昔は音階も出せたんだぜ?」
「へえ」
電車の到着を知らせるアナウンスが流れた──。
僕が拒絶しなかったら。
柴犬が虎の威を借りなかったら。
僕らはもっと違った中学時代を過ごせていたのかも知れない。
でも、それは無駄な『もしも』だ。
時間は未来へと針を進めるけれど、過去に針を戻すことは絶対に無い。常に一定の間隔でこつこつと音を立てながら、是も非も無く、善悪も介さず廻る。
仮に善悪が介入するのであれば、それは人間の愚かな過ちからだろう。
そして。
明日から、悪極まりない時間が訪れる──。
【感謝】
この度は『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』にお目通し頂きまして、誠にありがとうございます。皆様がいつも読んで下さるおかげで最新話をお届けできています。まだまだ未熟な私ですが、これからもご贔屓にして頂けたら幸いです。
【お願い】
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【話数について】
当作品は『小説家になろう』と同時進行で投稿しておりますが、『小説家になろう』と『ノベルバ』では、話数が異なっています。その理由は、ノベルバに『章』という概念が無く、無理矢理作品に反映させているため、その分、余計に話数が増えているのです。なので、『小説家になろう』でも、『ノベルバ』でも、進行状況は変わりません。読みやすい方、使いやすい方をお選び下さい♪
【作品の投稿について】
当作品は『毎日投稿』では御座いません。毎日投稿を心掛けてはいますが、作業が煮詰まってしまったり、リアルが現実的に、本当に多忙な場合、投稿を見送らせて頂くことも御座います。その際は、次の投稿までお待ち下さると嬉しい限りです。予め、ご了承ください。
これからも──
女装男子のインビジブルな恋愛事情。
を、よろしくお願い申し上げます。(=ω=)ノ
by 瀬野 或
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