【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

二百五十六時限目 スケープゴート


 温泉のある別棟の内部構造は、話を訊くと左右対称になっているらしい。中心から左側に岩風呂、その反対側に檜風呂の入り口があり、更衣室までの作りはほぼ一緒ということだ。ただ、露天風呂しかない岩風呂に対して、檜風呂は内風呂と露天風呂があり、露天風呂に関して言えば、檜の浴槽だけでなく、釜戸のような五右衛門風呂が三つある──らしい。ふむふむ、確かに岩風呂は風情があっていいけれど、檜風呂との格差はこれ如何に、である。

 だが、決して岩風呂が劣っているとは言えない。

 檜風呂は広い風呂ではなかったらしい。僕らが入った岩風呂は、ゆうゆうかんかんに過ごせるくらい広々としていた。その一方、檜風呂はと言うと、一般的な体格の大人を並べて八人が限度……というくらいの狭さだったようだ。それ故に内風呂と露天風呂、そして五右衛門風呂を設置したのだろう。全てを融合すれば、岩風呂とどっこいどっこいの収容人数を確保できるようになるのかもしれない。

 つまり、広さを誇る岩風呂にも、バラエティに富んだ檜風呂にも利点があると言えるだろう。

 風呂上がりの熱は、長い渡り廊下を歩きながら徐々に冷めた。けれど、体の内側には温泉の熱が残っていて、夜の風が気持ちいいとすら感んじる。

 月ノ宮さんと天野さんは、本館一階の渡り廊下入り口手前にある休憩スペースのような場所で、購入した牛乳を片手に、板を張り合わせただけのベンチに座ってお喋りをしていた。二人共に、部屋に用意してあった旅館浴衣に身を包んでいる。月ノ宮さんは控えめだからいいとして──天野さんがこういう服を着ると、目のやり場に困る。大人顔負けに発育した胸部は、暴力的と言っても過言じゃない──なんて思っていたら、月ノ宮さんに睨まれてしまった。

 彼女たちと合流し、温泉談議に冗談を交えながら語り始めて今に至るわけなのだが、僕も佐竹も『例の話』に矛先が向かないか気が気ではなかった。然し、天野さんは忘れてはくれなかったようだ──。

「ところで佐竹、お札の件はどうだったのかしら……ちゃんと調べたわよね?」

 ほら来たぞ、と佐竹を見ると眼が合った。その眼は「おい、どうやってしらばっくれればいい!?」と、僕に助けを求めているようにも感じる。

 しらを切ったり、ブラフやはったりをかます役目は僕だもんな。佐竹には荷が重いだろう。代わってあげたいのは山々なんだけど、ここは佐竹のためにも行く末を見守ることにした。あー、かわりたいなー。ブラフやはったりをきめてやりたいなー。

「佐竹、訊いてるの?」

「訊いてるっての」

 今、佐竹の頭の中ではSOSを受信しなかった僕に対しての憤りと、どうやってこの場を切り抜けるか、ワンチャンガチで普通にどうにもならねぇぞマジでとか、様々な観点から思考を巡らせているに違いない。

 ──ありのままを話すべきか?

 ──そんなことをすればパニックになるぞ。

 ──じゃあ、他の選択肢は?

 ──こういうとき、優志ならどうする?

 佐竹が考えることなんて、ざっとこんなもんだろう。

 でも、こういうときに一番やっちゃいけないことを佐竹はしてしまっている。それに気がつくか気がつかないかで、相手の受け取りかたも大きく変化するんだよ、佐竹。

「黙ってるってことは、もしかして……」

 ほら、こういうことになる。

「佐竹さ、ちょっと趣味が悪いよ」

「え?」

 佐竹! もういい、戻れ! と、僕は助け船を出すことにした。

「いやあ、僕は止めたんだけどさ。佐竹はどうしても天野さんを驚かせたいって訊かなくてね──不安にさせてごめんね」

「……どういうこと?」

 天野さんの表情に怒りが現れ始めた。

「どっきりを仕掛けたかったみたいだよ?」

 もちろん、嘘である。

「あまりにも天野さんが怖がってるから、ちょっと悪戯してやろう……みたいな気持ちがあったんじゃない? 知らないけど」

 当然ながら、佐竹はそんな洒落にもならないような冗談を言ったりはしない。やって良い事と悪い事の分別はできる男だ。

「……佐竹、一発で許してあげるから殴らせなさい」

「マジかよ……」

 そして、彼は冤罪ながら、天野さんに腹を思いっきり殴られたのであった。

「マジで殴りやがって……クソ、肋骨あばらが何本か逝ってんじゃねぇか?」

 漫画だと肋骨が何本か折れたり、銃弾で肩を撃ち抜かれても軽傷で済むけれど、実際には重症レベルだ。まあ、バトル漫画はファンタジーであるから、そこにリアルを求めても意味が無い。

「あーあ、なんだか気が抜けたわ。そろそろ夕飯が運ばれてくるだろうし、部屋に戻りましょう?」

 天野さんは踵を返して、自室へと向かっていく。その後ろを月ノ宮さんが続くのだが、月ノ宮さんは階段手前で僕のほうを振り返って、口を数回ぱくぱくと開いた。そして、僕がそれを見届けたのを確認して、階段をゆっくりと上っていった。

「なんだありゃあ……つうか、優志。お前なあ!?」

「まあまあ、そう怒らないでよ。話を反らせてあげたんだからいいでしょ?」

 コーラで許してやる、と佐竹は言う。全く、どこまでも現金なヤツだけれど、変なことを要求されないだけマシかとも思う。こういうとき、どさくさ紛れにらちな要求をしてくるヤツもいるだろう。そうしなかった佐竹は、ある意味、純粋な男なのかも知れない。けれど、物を要求してくる時点で限りなく純粋とは言えない……てか、奢らないけど。

「なあ、優志」

 佐竹はベンチでだらりと寛いだ姿勢で、眼だけを僕に向ける。

「夕飯が部屋に運ばれてくるだろ? そのときにお札のことを伝えるのはどうだ?」

 それはまあ、そうなのだけれど──。

「パニックになって、天野さんたちにバレるよ?」

 それでもいいなら、と付け加えると、佐竹は「いやダメだ」と頭を振った。

「でも、他に解決方法あるか?」

 なんまんだぶなんまんだぶって唱えてりゃいいのか? という佐竹の手は、忍者どろんになっていた。

 飲み会の席で使われる「これにて私はさせて頂きます」は、このどろんが由来だ。

 忍者が姿を消すのを見立てたオヤジギャグとでもいうのだろうけれど、それをドヤ顔で「面白いだろう?」みたいにしているのが腹立たしいんだよ──と、以前に父さんが言っていたのを思い出した。そのときは別に「ふうん」くらいにしか思わなかったけど、なるほど確かに、佐竹の仕草を見ていると、こう、突き立てた指をへし折りたくなる衝動に駆られる。

 解決方法か、と僕は考える。

 そういえば、月ノ宮さんは階段を上る前に、僕に何かを伝えようとしていたような気がする。アイシテルのサインではないことは明白だけれど、口を動かした回数は『アイシテル』の文字数と同じ五回だ。つまり、月ノ宮さんは五文字の言葉を僕に伝えようとした……?

 マタアトデ──。

 あとっていつだ? 合図なのだから、曖昧過ぎる言葉は選ばないだろう。

 テングダケ──。

 生殖していたらまずいけれど、今は関係無い。

 パルプンテ──。

 何が起きるのかわからないだけに、一番怖い魔法かもしれないけれど、月ノ宮さんがドラクエをプレイしているとは考え難い。

 読唇術を習得していれば、ここまで頭を捻ることもなかっただろうに……。

「なに黙って考えてんだ、俺にもわかるように説明しろよ」

「月ノ宮さんの口パクの意味だよ」

 あー、あれか。なんだろうなーと、佐竹は再びリラックスモードに突入した。この男、考えるとか言っておきながら、もう既にお手上げじゃないか。

 と、思っていると──

「実はあっちの部屋にもあったりしてな、お札」

「いや、それはないでしょ。月ノ宮さんが調べたんだから──」

 そう言い切っていいのだろうか? 僕らの部屋に貼ってあったけれど、その一枚だけとは限らないんじゃないか……?

「そうじゃなきゃ、普通に、もんなぁ……」 

 あ──。

「佐竹、もしかすると、もしかするかもしれない」

「は? もしかってなんだよ」

 さきほど吐いた僕の嘘を、頭脳明晰な彼女が見破れないはずがない。それなのに、月ノ宮さんは黙って、事の成り行き見定めながら員に備わるのみだった。

 僕の嘘を「それは違うわ!」と看破してしまえば、天野さんがパニックになるから──。

 ここ最近の月ノ宮さんは、天野さんとの仲を深めようと躍起になている。失恋した反動、とでも言うのか、彼女の行動原理は天野さんを起点としているようにも思える。友人として、そして、いずれは恋人になるため──健気だと思う。そんな彼女が、天野さんを不安にさせるような行動を取るだろうか? そんなことは絶対にしないと僕は自信を持って言い切れる。

 そうだ。

 天野さんたちが選んだ部屋のチェックは、月ノ宮さんが行ったと言っていた。もし仮に、月ノ宮さんがお札を発見していたとして、それを天野さんは確認するだろうか?

 しない、だろう。

 幽霊やおばけの話を極度に嫌がっていた天野さんが、仮に、月ノ宮さんがお札を発見したとしても確認まではしないはずだ。見て確認して下さいと月ノ宮さんが迫っても、嫌だ無理だと全力で逃げるのは想像に容易い。

 月ノ宮さんはそう確信していて、本当はあるはずのお札を無い物に仕立てあげたんだ。そこに、暢気に構えている佐竹がいたからスケープゴートにした──いや、スケープゴートにされたのは僕だ。

 お札は僕らの部屋と、彼女たちの部屋にもあると推測を立てる。そこから考えて、月ノ宮さんが口パクで送ったサインの意味は……。

 ──。









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