【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
二百五十時限目 疑心暗鬼も程々に
それに、だ。
わざわざ鍵を壊したり、ピッキング道具で鍵をこじ開ける旅客なんかいないだろう──犯罪行為を目的としてこの宿を選んだのならば、そういう理由もあるのかもしない──けれども、果たして本当にそれだけの理由だろうか? 黒い噂が立っているこの旅館だからこそ、『不穏な要素を可能な限り排除している』としたほうが辻褄は合う。
しかしいっかなこれまたどうして、踊り場の先が見えないのが不気味だ。
階段を少しばかり進んだ途中にある折り返し地点、踊り場の先に白いワンピースの髪の長い女が『ドンッ!』と待ち構えている可能性だって無きにしも非ず。
──そう言えば、と僕は思い出した。
この旅館を調べたときに、どこそこに幽霊が出現するのか明確に記してあるコメントが一切無かったのだ。『〇〇号室に幽霊が出る』みたいなコメントがあるのが普通なのに、そのコメントはいくら探しても見当たらなかったのだ。
これは名無しさんのせめてもの配慮か? でもなぁ……幽霊が出ると書いてしまう辺り、配慮が全然足りてないんだよなぁ。
幽霊が出現するという場所にはオカルト好きが集まりそうなものだけれど、どうにも集客はよろしくない。シーズン外ということもあって彼らも集まらないのだとするならば、オカルトマニアでも多少なりは観光したい、そんな気持ちがあると窺える。
幽霊探しのついでに観光か。
これまた偉く暢気だとしか思えないけどね。
幽霊探しをしながら紅葉も見て、華厳の滝で心霊写真が撮れないかとシャッターを切るまで想像すると、それはもう単なるプチ旅行であり、廃墟マニアのほうがまだガチ感がある。
廃墟マニアも廃墟マニアでガチ過ぎるんだよなぁ。だって、廃墟のほとんどは進入禁止だよね? 警察から了承を得て撮影に望んでいる者は少ないと思うんだよ。ほら、それはインスタがいい例で──いや、悪い例ではあるんだけど。
こういうとき、日本語はとても難しいと思う。
かく言う僕はオカルトマニアじゃないし、無論、インスタになんて興味も無いけど、廃墟はちょっとだけ興味がある。然しそれは常識の範疇までで、休みを取って廃墟を撮影するべく足を運ぼうとは思はない。
今回は偶々だ。
選んだ旅館に偶々幽霊が出るという噂があった、それだけの話。
僕は幽霊が存在したら面白いと思うし、その存在自体を否定するつもりは無いけど、それらを第三者的な立ち位置から、
「へぇー、そうなんだー」
と、傍観するくらいが丁度いい。
それは、ホラー番組を視聴しているときの適当さ加減にも似ている。
あれらを真剣に見るのは阿呆らしいと思うし、テレビで放送するものは限りなく偽物だから、背筋がゾクッとなる感覚だけを楽しめばいい。
わざわざ『ニセモノだー!』と騒ぐよりも、テレビ側が作りあげる『ニセモノ』を楽しめばいい、それがホラー番組の正しい楽しみかたである。
この旅館をネットで調べているときもそんな感じだったけれど、書き込みに『どこに出る』という情報が丸っきり無かったのが不思議だ。
口コミには『幽霊をみた』的なことしか書いてなかったし、もし具体的に記してあるコメントを削除しているのならば、先のコメント『幽霊をみた』を消していないのは不自然でもある。
そもそも、旅館の経営が厳しくなったから宿泊費を格安に設定したはずであり、営業妨害だと思ったら、それらのコメントを全て排除するのが当然な対応だ。
考えれば考える分だけ、この旅館の対応が筋の通らないことばかりで、疑問がどんどん増えていく──その答えも、三階へと通じるこの階段の先にあるのかもしれない。
「──行くか」
意を決して階段に片足を乗せたとき、
「お客様ー、どうかされましたかー」
と声を掛けられて、僕は直ぐに足を引っ込めた。
声がしたのは一階と二階を繋ぐ階段の踊り場で、眼を向けると、僕らを最初に出迎えた老齢の男性が怪訝な顔で見上げている。
「あ、いや……三階に何があるのか気になって」
「三階ですか?」
はい、と僕は頷く。
「そこは物置部屋になってますので、一般の方の立ち入りはご遠慮願いたいのですが」
「そうなんですか。……すみません」
いえいえ、張り紙くらいしてもいいんですけどねぇ──と、老齢男性は笑いながら語る。
「変な噂が立ってしまって、怖がる方も少なくないんです。だから、そういう物はなるべく、しないようにしているんですよ」
そういう物とは、張り紙や注意書きのことを指しているのだろう、それ以外に考えられない。
「──と言っても、階段を上った先には扉があって、そこには立ち入り禁止の表札を貼ってあるんですがね?」
ほら、ええと、事務所の入り口にも貼ってある銀色のやつですよと、彼は胸の前で四角を形取るようなジェスチャーを混じえながら、僕に何とか伝えようとしている。
「スタッフオンリー、みたいなやつですよね」
そうそう、それですそれです──歳を取ると言葉が出てこなくてどうもいけないと、彼は首肯しながら苦笑いを浮かべた。
とても感じのいいおじいちゃんだ、と僕は思う。
最近は高齢者が起こす事件も増えているので、彼みたいな温厚な性格になってくれたら世の中ももっと過ごし易くなるんではないだろうか?
「私たちは幽霊なんて見たこと無いんですけどねぇ……うちは普通の温泉旅館ですよ?」
なのに、どうしてですかねぇ──。
「〝噂は遠くから〟とはよく言ったもので、多少なりとも対策はしておりますが、〝隠すより現る〟とも言いますし」
いやはや困ったもんですなぁと、草臥れた背中をトントンと叩いた。
然しながら、火のない所に煙は立たぬとも言う。
「どうか噂など気にせずに、温泉を楽しんで下さいませ」
「わかりました。ありがとうございます」
僕が頭を下げると彼もまた頭を下げて、足元に気をつけながら、ゆっくりゆっくり階段を引き返していった。
なんだか毒気を抜かれた気分である。
真相を究明してやろうと出しゃばってみたが──詰まるところ、人の噂も七十五日、この機を凌げばどうにかなる、旅館の従業員たちはそれまで静観に務めようとしているのかもしれない。
すると僕は、まんまと噂に踊らされていたということに他ならず、危うく迷惑行為に足を踏み入れるところだった。
あの老齢男性スタッフは、僕が疑問に感じていた大半の答えを提示してみせた。
これから僕が質問するであろう内容を想定していたということで、少なからず彼や、他の従業員に幽霊云々の噂を訊ねる客がいると、それを想定した対応をスタッフ間で共有していることになる。
当然と言えば当然だけど、どうも腑に落ちない。
言い換えれば、
「これ以上、首を突っ込むな」
と警告されたような気もする。
疑心暗鬼になっているだけならば、僕の思い過ごしだと片付けてしまえるのだけれど、あの老齢男性スタッフが僕のところに姿を現したタイミングも妙だ。
まるで僕を監視していたかのような、絶妙なタイミング──。
「監視……、監視カメラでもあるのかな?」
防犯という兼ね合いで監視カメラを設置するなら、通路、特に必ず人が通る場所にカメラを設置するのは正しい。
当たり前のことに一々反応する僕は、少々過敏になってしまっているようだ。
いけないいけない、と頭を振る。
ここに監視カメラがあるということは、もう一度階段に足を踏み入れたとき、あの老齢男性が再びやってくるだろう。
先に一階を探索するほうが得策だと判断して、ぎしぎし音をたてながら階段を下りた。
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(小説家になろうとノベルバでは話数が違いますが、ノベルバには〝章〟という概念が無く、強引に作っているために話数の差が御座います。物語の進捗はどちらも同じです)
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by 瀬野 或
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