【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

二百四十七時限目 硫黄温泉またたび屋


 ようやく到着したまたたび屋は、純和風の旅館だった。建物は二階建てで、白壁には蔓が伸びて絡まっている。三角作りの瓦屋根はそれこそ老舗旅館を彷彿とさせるが、空気中に漂う硫黄のせいで少し薄汚れて見えた。

 館内入口の頭上には木目調の大きな板に『硫黄温泉 またたび屋』と板を彫って黒く塗り、仕上げに漆を掛けてある。ここだけは毎日磨いているらしく、太陽光に反射して、てらてらと輝いていた。

 またたび屋のあるこの場所は、観光地からそこまで離れていない山中にあり、バードウォッチングも盛んに行われているらしい。入口付近に置かれている木製の大看板には、どこそこでどの野鳥が観察できるかの地図が掲載されていた。運がよければ温泉から肉眼で観察もできるとあるが、温泉に望遠鏡の持ち込みは禁止されている。まあ、そりゃそうだよね。いくら反対側が見えない作りになっているとしても、そういうのを持ち込まれていたら気分のいいものじゃない。

「それでは、私はここで──どうぞごゆっくりお寛ぎ下さい」

 ここまで運んでくれた大河さんに感謝の言葉を告げると、大河さんはやっぱり表情一つ変えずにそのまま車に乗り込んで、砂利の敷かれた地面をじゃりっじゃり音を立てながら車を発進させた。

「ゆかりさんって、ちょっと怖いよな」

「悪い人ではないのですが……」

 月ノ宮さんは大河さんをフォローしようと言葉を探しているようだが、上手い言葉が見つからなかったようで、代わりに愛想笑いを浮かべた。

「それにしても、硫黄の匂いって強烈ね」

「だな。まだ入口だってんのに、鼻の奥がむずむずするわ。ガチで」

 ここの温泉は硫黄臭を抑えるために、他の温泉も混ぜているらしい。詳しい成分や、配合の割合などはネットに記載されていなかったけれど、それでも空気中に漂う硫黄の匂いは無視できない。いずれはこの刺激臭にも慣れるのだろう。然しそれは、僕らの体臭も硫黄になっているということで、そう考えるとちょっと恐ろしくもある。

 入口の自動ドアを抜けると玄関ホールになっていて、向かって右側にフロントがあった。外装もそうだが、内装も和風に統一されている。どうして玄関だけ自動ドアなんだろうか? 僕はそれがどうも気になってしょうがない。でも、そんものは些細な問題だろう。時代が時代だからという単純な理由で片付けた。

 受付と表札を掲げるフロントは、L字に曲がった木目調の明るい色の板が使用されている。端にはいくつかパンフレットが置かれているが、それを手に取った形跡はない。カッコウの形をした重しが置かれているけれど塗装が剥げているし、落下させて欠けてしまったのか尻尾が無かった。

「いらっしゃいませ、ようこそまたたび屋へ」

 僕らが入店したのに気がついて、奥の扉から出てきたのは白髪のおじいさんだった。水色の印半天を羽織り、襟は黒で、〈またたび屋〉と白字で記入されている。おそらくは七〇歳くらいは行ってるんだろうけど、とても七〇歳には見えない。これも温泉効果なんだろうか? でも、やはり温泉の効果で身長は伸びないらしい。受付の老齢男性の身長は低く、天野さんと同じくらいだ。

「ネット予約をした月ノ宮です」

「ああ、はいはい。ネットですねぇ……おーい、ネット予約のお客様だぞー」

 まるで、『お〜い、お茶』と呼ぶかのように、奥の部屋にいる誰かを呼ぶと、扉から恰幅のいい中年男性が姿を見せた。

「すみません、お待たせいたしました。改めまして、またたび屋にお越しくださいまして、誠にありがとうございます。ネットご予約のつきのみや様でよろしかったでしょうか? お間違え無ければこちらにサインをお願い致します」

「はい。……あ、でお願い致します」

「そうでしたか、これは大変失礼致しました」

 男性が頭を下げると、月ノ宮さんは「いえいえ、よくあることなので」と笑顔で返す。

 そう言えばたしかにそうだよな、と僕は思う。

 例えば、『井上』と書いて『いうえ』と読む人はいないけれど、『井上』に『の』は含まれていない。一方で、『城之内』ならば『之』が宛てがわれているのでそのまま読める。ならば、月ノ宮という苗字はどうして『月宮』ではなく、『月之宮』でもなく、『月ノ宮』なんだろうか? 苗字が使われるようになったのは明治時代だったはず。国の方針によって『苗字を付けなさいよ』と御触れが出てから、苗字が一般的に使われるようになった。そのときに月ノ宮一族は、『月宮だと〝つきみや〟と呼ばれてしまうかもしれない』と思い、咄嗟にカタカナの『ノ』を入れた──と考えるのが自然だろう。

 今までなんとも思ってなかった月ノ宮さんの苗字だが、よくよく考えると『梅ノ原』にも『ノ』が使われているし、苗字のルーツを探るのも面白いかかもしれない。そう考えると、『春原』と書いて『すのはら』と読むのも不思議だ。初見で『すのはら』と読める人はほぼいないだろう。僕だって『はるはら』とか『すがはら』なんて読みそうだもんな。

「ご記入ありがとうございます。それではお部屋にご案内致します」

 受付から出てきた男性の印半天の裏側には、たたを咥えた白い招き猫がプリントされている。どうやらこの旅館のイメージキャラクターのようで、同様のキャラクターがホームぺージにも記載されていた。

「その猫の絵、可愛いですね」

 天野さんはこの猫が偉く気に入ったようだ。

「ありがとうございます。この絵には商売繁盛、そして、お客様がをしたくなる宿を目指す、……という意味が込められているんです。ちょっとしたシャレですね」

「企業のイメージキャラクターは、実はそういう理由があったりするんですよね。願掛けと言いますか、ちょっとシャレを交えていたりするんです。薬局にあるカエルなんかがそれに該当します。また〝キャラクターマーケティング〟というのもあり、独自性のあるキャラクターを使用することで、競合他社との差別化を図っていたりもしますね。既存のキャラクターを使用するか、オリジナルで勝負をするか、一概に〝どちらが正しい〟とも言えないのですが、これこそがキャラクターマーケティングの面白さでもあり、難しいところでもあります」

 月ノ宮さんがさらりと説明したけれど、とどのつまり、既存のキャラクターを使えば、作品の好感度も相まって、即時に販売促進効果が期待されるし、他社が販売している似たような商品との差別化ができるというわけだ。

 ゲームや漫画、アイドルとコラボをすればファンはそれを優先して購入するだろう──そんな期待が込められている。

 然し、既存キャラクターには版権元が存在するため、ずっと使用できるわけじゃない。

 それに対してオリジナルキャラクターを使用する場合、版権元は自社となるため、どのタイミングでどう使うかを自由に選べる。また、二次創作も可能だ。ウェブで自社キャラクターを使って漫画を作成したりもできるので、そこがオリジナルキャラクターのが強みになる。ただ、一般に浸透するまでが長いため、地道な活動が必須になるのが難点であり、即効性を選ぶか、地道にオリジナルで勝負するか、そのどちらも正解ではあるけれど、結果がどう転ぶかわからない──だから月ノ宮さんは『面白い』と言ったんだろう。

 ビジネス本を好んで読んでいる月ノ宮さんらしいと言えばらしいけれど、佐竹は今の発言にぽかんと口を開けているし、案内をしている男性も、「お詳しいですね」と若干引き気味だ。無理もない。まだ一十五、六の女子高生が『キャラクターマーケティング』なんて言葉を使い、鼻高々にご説明したのだから、案内役の男性も『このお客さん、一体何者だ?』と訝しむのも当然だろう。

 まさかここに御座せられる御人が、一流企業、月ノ宮製薬グループの社長の娘だとは夢夢思うまい。

 となると僕は助さん、天野さんは格さんで、佐竹はうっかりさたけぇか──絶妙な配役だ。特に、さたけぇは別格で似合い過ぎる。









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