【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
二百四〇時限目 水瀬文乃は酷く天然である ②
「とても美味でした……」
マリーさんはパンケーキの余韻に浸りながら満足そうに微笑む。
幸せそうな笑顔だ。
まるで、この世に未練なんて無い──とでも言いたげな表情で、このまま天まで昇ってしまうのでは? と思うくらいにはこの店のパンケーキに満足したらしい。
──あれ? この店の売りは珈琲じゃなかった? ま、いいか。
温かい珈琲とパンケーキが体を温めてくれたおかげか、この店の雰囲気にも慣れてきた。
パンケーキの皿は下げられて、テーブルには白いコーヒーカップが二つ。
もうすっかり冷めてしまったけど、冷めたら冷めたでまた違う表情を見せてくれるこの珈琲は、「なるほど確かに」と頷く味だった。
酸味の強い珈琲も捨てたもんじゃないとはこれまた偉そうだけど、これからは酸味の強い珈琲にもチャレンジしてみるのも有り寄りの有りで酸味が深い。今度、酸味が強くても飲みやすい珈琲を照史さんにお願いしてみようっと。
「そろそろ、話さないと──ですよね」
いつまでもこうしていたい、そんな気持ちをぐっと堪えて、マリーさんは言葉を振り絞るように口を開く。瞬間、甘くふわとろだった空気が張り詰める。ピリッと肌を刺激する空気が珈琲の酸味を強くした。
話さないと──としていたマリーさんだが、それ以上の言葉が出てこない。どうにか口を開くも、声帯を震わせるには至らず。珈琲は喉を締めると訊くけど、それは真実のようだ。
ならば──。
「この手紙を書いたのは、マリーさんですよね」
鞄から手紙を出して、すっとテーブルを滑らせた。
「はい、私です──雨地さんに頼んで送らせて頂きました」
「やっぱり、そうでしたか」
これで流星の余所余所しかった態度にも合点がいった。
マリーさんに手紙を渡して欲しいと頼まれた流星は、どういう経緯かは知らないけど、私の靴箱に手紙を入れたんだろう。メッセージでのやり取りで誰が書いたのか言わなかったのは、マリーさんが口止めしていたから。
探偵気取りで犯人探しをしている私に、『探さないでくれと書いてあるなら、その意思を尊重するべきじゃないか』と説いたのは、流星なりの配慮、乃至は優しさだったと推察できる。
──でも、白を切るのが下手過ぎたなぁ。
「改めて自己紹介します。私は水瀬文乃と申します。私立川端高校の二年生です」
その高校の名前にはどうにも訊き覚えがある。確か、春原さんや柴犬が通っている高校のはずだ。
梅高と川校はそこまで離れた距離にあるわけではない。梅高があるのは梅ノ原市の奥地で、川校は東梅ノ原駅のお隣駅の近くにあり、埼玉県の中でも野球部が強い高校だ。甲子園にも辿り着いた実績を持つ。そして、梅高がまだ荒れていた時代に川高生徒を狙った『川高狩り』というカツアゲのような悪行をしでかした梅高生徒のせいで、梅高と川高の溝は埼玉を流れる荒川の如く深い。もっとも、現在はそこまで仲が悪いというわけではないけれど、好んで両者が近くことも無いので、『梅高の悪い噂』だけが現在も一人歩きしている状態だ。
もしかして文乃ちゃんは、春原さんや柴犬のことも知ってたり? ──いやいや、世間狭しと言えど、そこまで偶然が重なるだろうか?
今、二人の名前を出したら話が拗れてしまうので、喉元まで出かかった二人の名前をごくりと呑み込んだ。
「私のことは、気軽に〝文乃ちゃん〟って呼んでください」
「──水瀬先輩は」
私が『文乃ちゃん』と呼ばなかったからか、水瀬先輩はむうっと頬を膨らませる。
だって、いや、ええと……はいはい、わかりましたよ。
先輩に対して『ちゃん』付けで呼ぶのはかなり抵抗ありますけど、文乃ちゃんと呼ばないと話が全然進みそうにないので、不本意だけどそう呼ばせて頂きます。
「文乃ち……水瀬先輩は」
いや、やっぱ無理だって……いきなり『文乃ちゃん呼び』は抵抗があり過ぎる。天皇陛下に崩した口調で話しかけるより抵抗感は無いけど、先生に対してあだ名で呼ぶくらいの抵抗感はある。
「文乃ちゃんでいいんですよ? そのほうが慣れてますから」
「水瀬先輩」
私が頑なに『水瀬先輩』と呼ぶものだから、水瀬先輩も躍起になり──
「文乃ちゃん!」
「水瀬先輩」
不毛なやり取りが暫し続く。
「水瀬先輩!」
「文乃っちゃん──あ」
引っかかりましたね? ──と、水瀬先輩はイタズラっぽく笑った。
駆け引きに負けたのならば詮方無い。「わかりました」と私が降参すると、文乃ちゃんは「やった」と胸元で小さくガッツポーズをする。一々仕草があざといのに、これが全て素なのが怖い。
泉ちゃんのほうがまだ扱い易いなぁと、私は同クラスのツインテールロリ少女、自称・名探偵を思い浮かべた。
泉ちゃんは自分のことを理解した上で、どうしたら相手に可愛く見られるか、その術を知っている。ただそれ以上に、彼女には変わり者というイメージが根強いので、泉ちゃんがいくら『うっふーん♡』とアピールしたところでプライマイゼロ、むしろマーイ。微笑ましいとは思うかもしれないけどね。それを言ったら泉ちゃんに怒られそうだけど、あの子はそれすらも笑いに変えてしまう持ち前の明るさを持っている。
もし、文乃ちゃんが自分の魅力に気がついたら、とんでもないくらい異性にモテるだろう。
スタイルもいいし、今でも充分モテる要素はある。
それなのに──どうして私が文乃ちゃんに選ばれたんだろう?
「文乃ちゃんはどうして私に手紙を書いたんですか?」
本当は、『どっちの私宛に書いたんですか』と訊きたかったけど、それを訊くにはまだ彼女の事情を知らな過ぎる。
「本当は──」
躊躇いを感じさせるような間を開けて、
「ずっと心に秘めたままにしようと思ったんです。でも、それでは絶対に届かない。それに、伝えなきゃって、……そう思ったんです」
ゆっくり、言葉を選びながら声を紡ぐ。
でも、まだ話の核には触れさせない──。
そういう風にも訊き取れた。
「お気持ちはとても嬉しいですけど、私はまだ文乃ちゃんのことを知らな過ぎて、どう反応したらいいか、……正直、戸惑いを隠せません」
佐竹君やレンちゃんみたいに普段から一緒に行動していれば、考え方も何となく把握できるけれど、文乃ちゃんは学校も違えば立場も違う。おまけに学年も違うので、私はまだ、文乃ちゃんとの距離を測りかねている状態だった。
これまで年上と接する機会は沢山あったけど、一つ上の存在というのはどうも難しい。
友だちと呼んでいいのかもわからない曖昧な関係である私たちは、どうしようもなく空回っている気がする。なにが、と言い尽くせないような名状し難いものが隔たっていて、ガラス越しに会話をしているみたいだ。ここは面会室? ──それはサンタマリア。仙人掌が咲いて、どこにも行けない呪いにかかってしまった的なアレではない。
「もっと知りたいと、そう思ってくれますか──」
「え?」
潤った唇から濡れた声。どくん──私の心臓が脈を打った。
瞳は憂いを帯びて、頬には椛を散らし、今にも消えてしまいそうな声は、私の内側で幾度も波紋を描いて反響する。
私を誘惑しようとは思っていなかったかもしれない。
純粋に、質問したかったんだろう。
然し、仕草の一つ一つが艶やかに視えて仕方が無い。
「え、ええっと……それはどういう意味ですか?」
「興味があるのなら、趣味とか、好きなものとかお伝えしようかと!」
あ、そういう意味ね。
やっぱりこの人は酷く天然で、この話し合いも一筋縄とはいかないみたいだ。
──そんな気がしてならない。
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(小説家になろうとノベルバでは話数が違いますが、ノベルバには〝章〟という概念が無く、強引に作っているために話数の差が御座います。物語の進捗はどちらも同じです)
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by 瀬野 或
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