【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

二百三十三時限目 月ノ宮楓は夢みる乙女である


 優志の友だちって言うからどんなヤツかと思ったけど。

 格好は兎も角、悪い人ではなかったですね。

 でも、ちょっとだけ凛花が心配。……あの子、真面目だから。

 まるで保護者だな。

 うるさいわね、アンタと違って繊細な子なのよ。

 そうだったんですか? ……いえ、そう、ですね。




 ダンデライオンに戻ると、さっきまでいた二人の話題で持ちきりになっていた。

 ──そりゃまあ、気になるところではある。

 僕らの知り合いに初のカップルが誕生したとあらば、お節介の一つや二つも話したくもなるだろう。

 柴犬の印象がそこまで悪くなかったのは、彼が春原さんを気遣う姿勢を見せていたからだ。彼女が座るときと立つときは、さっと椅子を引いていたし、会計も柴犬が払っていた。『やり過ぎじゃないか?』と僕は思う。

 彼が更生したのは喜ばしいことだ。

 これからは心を入れ替えて、真人間になってくれることを切に願う。然し、それと同時に僕は、過去の彼の小さな悪行の数々を知っているので、『裏があるんじゃないか?』と勘繰ってしまった。

 多分、ここれから先も、彼のことは警戒しながら生きていくんだろう。

 僕がテーブルに着くと、三人は「あっ」という顔をして、白々しくそっぽを向いた。いやいや、充分訊こえてましたよ? あと、佐竹はその顔やめろ、なんかムカつく。

「どうだった?」

 天野さんが興味津々に訊ねる。

 中学時代の親友のこととあれば、首を突っ込みたくなる気持ちはわからないでもない。……嘘。僕に中学時代の親友なんていないので、その気持ちがわかるはずもなかったです。

「熱したお酢の匂いを嗅ぐくらい、強烈な印象を受けたよ」

「……どういうこと?」

 例えにしても下手過ぎたな、と反省。

「胃酸過多で倒れそうになるくらいにはラブラブで、マンハッタンの夜景を視たくなった」

「優志君。私は真面目にいてるんだけど」

 僕も真面目に答えているつもりなんですけどね──。

「あの二人なら心配なさそうだよ。きっとこれからも上手くやっていくと思う」

「そう……よかった」

 僕の言葉を信用してくれるのは有り難いけど、安堵するには早過ぎるのでは? ──僕は、拗ねているのかもしれない。

 チワワがライオンの影で吠えているだけだった柴犬が、着々と大人になっていく姿を目撃したせいで焦っているのかもしれない。その焦りは漠然としていて、今すぐ答えを見つけることはできないだろう。だから、不安のようなものを感じているんだ。違うな、『不満』という方が正しいだろう。

 柴犬は小者だったけど、クラスの中心人物の一人だったことは事実だ。常に先を行くクラスメイトたちを傍観しているだけだった僕と、輪を作り、何かに挑戦していく彼らでは雲泥の差がある。何より、自分の過ちを認めて、見下してた僕に頭を下げようとした彼は、また更に前へと進んでいくはずだ。あのとき、僕が謝罪を受け入れなかったのは、少しでも棘を残してやろうという魂胆だったのかもしれない──浅ましいな、僕は。

 それはさて置き、だ──。

「結局、旅行はどうするの?」

 閑話休題に質問すると、三人は「ううむ」と唸った。

 旅行にいくのはいいとして、その旅館が取れないとなると手詰まりだ。季節はまだ厳しい寒さを残しているので野宿というわけにもいかない。いや、女性がいる以上、野宿なんてさせられない。

 僕はもう一度、月ノ宮さんから渡されたプリントに目を通す。ここまで調べあげて、しかも裏まで取っているとは、月ノ宮さんが優秀過ぎて逆に怖い。その理由もむべなるかなではあるけれど、どうにかできないものだろうか? と、僕は羅列された文字を読み進める。

「これ、なに?」

 並べられた宿名の中に、ご丁寧に二重線で削除されている宿が一軒あった。

「それは、削除しようと思っていて、プリントアウトしてから削除し忘れた宿です」

「楓が凡ミスとは珍しいな」

 私は完璧な人間ではりませんから。そうであろうとしているだけです──と、月ノ宮さんは不満げな声をあげる。

 そう言えばこの前も、僕宛に向けたメッセージを佐竹に送るという凡ミスをしていたな。月ノ宮さんらしくないミスだと思ったけれど、やはり、精神的に穏やかではいられなかったんだろう。もう解決はしたけれど、全てもと通りになったわけじゃない。今でも傷痕はしくしくと痛み、それを必死に隠しているのは僕らもわかる。月ノ宮さんだけじゃなく、天野さんも、佐竹だってそうだ。小さな傷を知らぬ振りして、どうにかここに座っているんだ。僕だけが感傷に浸るわけにもいかない──と、襟を正す。

「どうしてこの宿は削除対象になったの?」

 天野さんが訊ねる。

「老舗旅館っぽいから、値段的にアウトってヤツか? 普通に」

 僕も最初にこれを視て、佐竹と同じ感想を抱いた。だが、この宿だけは値段も、クーポンも、温泉の特徴、効能も記載されていない──それは不自然だ。ここまで完璧に仕上げられた報告書に、それは白い和紙に一滴の墨汁を垂らしたような存在感。気になるどころの騒ぎじゃない。まるで、『意図的に削除しなかった』ようにも思える。問題は、問題になったとき、初めて問題と認知されるように、この二重線を意識した瞬間から、僕はこの宿に釘ずけになっていた。

「ねえ、月ノ宮さん」

「はい?」

 本当は、削除し忘れたわけじゃないよね? とは訊かない。そう訊ねれば、『いいえ、削除し忘れただけです』という逃げ場を与えてしまう。だから、質問内容を変える──うん? どうして僕はこんなにも、『燃えるぜバーニンッ!』しているのだろうか? まあいいか、こういうのも久しぶりだもんな。お嬢様には悪いけど、単なる戯れだと思っていただこう。

「ここまで調べてあるにも関わらず、この宿の情報が無記入なのはどうして?」

「それは、削除しようと思っていたので、わざわざ記入する必要は無いと判断したまでですよ?」

「そうなのかな──これ、〝あいうえお順〟に並べられているよね?」

 宿の順番は『安心安らぎの宿 ひので』から始まり、『山の家 川村』で締めてある──どうでもいいけど、最後に記載されている宿は、山なのか、家なのか、川なのか、村なのか、とても気になる名前だ。埼玉県の秩父にあるらしい。ちょっと行ってみたい。

「この二重線が引かれている〝硫黄温泉 またたび屋〟は二順目に記入されているにも関わらず、データ無記入で削除し忘れるって、言い訳としてはちょっと無理がないかな」

「まあ、うっかりしてたんじゃねぇの?」

「佐竹じゃないんだから、楓はそんなうっかりミスしないわよ」

 俺の扱い雑かよ!? ──と、大袈裟にツッコミを入れている彼は放置して、僕は月ノ宮さんに向き直る。

「僕にはこの旅館に、何かしら意味があって削除しなかったように思えるんだけど」

「──そこまで仰るなら、そのを提示してくださいますか?」

 月ノ宮さんはそう言って、挑戦的な不敵の笑みを浮かべた。どうやら月ノ宮さんも、僕の戯れに気づいて付き合ってくれるらしい。得たりや応と、僕は言葉を続けた。

「例えば、そうだな──口コミが悪かったとか」

「口コミだけを言うなら〝温泉旅館 御手洗〟も不評でしたよ」

 いやそれ名前──と、ツッコミたくなる気持ちをどうにか堪えて、げふんと咳払いをした。

「つまり、口コミや評判が悪くても、このリストには掲載しているってことだね」

「そうです」

 それならやっぱり、二重線で訂正するだけに留めたのは不自然だ。だって、他の宿にはしっかりと下調べをして記入してあるんだから、この宿の情報が書かれていないのは妙だとしか言えない。

 口コミ以外で、この宿を意図的に削除しなかった理由か──。

「因みに、この〝硫黄温泉 またたび屋〟のデータは?」

「一泊二日で五千五百円。部屋風呂は無し。割引きクーポンは発行されていません。宿泊費が相当安値で設定されていますから妥当でしょう。温泉は男女別で、週替わりで入れ替わるらしいです。檜か岩かですが、もし私たちがこの宿にいくとすると、殿方は岩風呂になります」

「最高じゃねぇか! どうして候補から外したんだ? ──あ、まさかもう満員とか?」

「いえ。部屋はまだまだ御座います──とのことでした」

 おかしいわね──と、天野さんは訝しみながら口を開いた。

「そんな好条件の宿なのに、〝まだまだ〟という言い回しだと、空室が沢山あるみたいに訊こえるわ」

「だよな! もうそこでよくね? 場所はどこにあるんだよ」

「栃木県の日光にあるようです」

 日光と言えば観光地としても有名な地域だが、それなのに『まだまだ空室がある』とはこれ如何に? 紅葉のシーズンはとうに過ぎているけれど、東照宮や華厳の滝、他にも見学スポットは沢山ある。不景気の波が影響しているならば、それこそこの宿を選ぶ人は多いはずだ。だって一泊二日で五千五百円で、然も、硫黄温泉に入り放題だよ? 僕だったら迷わずこの宿を選ぶ。でも、この宿を月ノ宮さんは削除しようとした。……削除するだけの理由があるはずだ。

「もしかして、だけど……変な噂がある、とかじゃないよね?」

「変な噂ってなんだよ」

 僕の質問に佐竹が反応した。

「例えば、──とか」

 かちゃりと、コーヒーカップが鳴った。

 天野さんがお代わりしたカフェラテに砂糖を入れて、掻き混ぜていたときだった。

「ま、まさかそんなベタな理由じゃないわよね……楓?」

 静寂が辺りを包み込む。

 照史さんは常連客と何やら愉しげに会話を弾ませていて、その笑い声がどうにも遠くから訊こえるように感じる。Boseのスピーカーはまだ故障中のようで、いつも空間を演出しているジャズや、ボサノバの陽気な音楽は無い。誰かが生唾を呑み込む音さえも訊こえるような静寂しじま──それを壊すのはやっぱりこの男だった。

「マジかよ。……ガチでか?」

 その語彙力の低さには、逆に安心すら覚える。

「だって、こわいじゃないですか。……おばけ」

 ぼくは思わず、吹き出しそうになってしまった。

 天下無双の月ノ宮楓嬢が、『おばけが怖い』と言う。

 月ノ宮さんは現実主義者だと思っていたけど、よくよく考えると月ノ宮さんは夢みる乙女だった。多分、月ノ宮さんは『恋莉さんを自分の物にしてみせる』と豪語する影で、天野さんが白馬に乗って迎えにきてくれるのを待っているのかもしれない。白馬に乗った天野さんか──妙に似合うな。男装した姿を視たことがあるので、天野さんが王子様役を演じる姿は容易く想像できる。

「大丈夫よ、楓。いざとなったら佐竹をにすればいいわ」

「おい。今、さらっとおっかないこと言わなかったか?」

「アンタなら問題無いでしょ? 琴美さんがいるし」

「姉貴は陰陽師じゃねぇからな!?」

 でも、何となくだけど、天野さんが言わんとすることはわからなくもない。

 あの琴美さんなら、幽霊や妖怪の類が相手でもどうにかしてしまいそうだ。意気投合して宴会までするまである。そして、『アンタが口にしたそのお酒、実はなのよ』と言って相手が動じた隙に、ゴーストスイーパー的な光る棒でぶん殴りそうだ。

「それでは、この宿にしますか?」

 選択の余地は残されていないだろう。僕らは頷いて、『硫黄温泉 またたび屋』に決めた。









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 by 瀬野 或

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