【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

二百三十一時限目 鶴賀優志は劣等感に苛まれる


 ダンデライオンへと続く道を、思わぬ人たちと歩く。

 柴犬と春原さんは、僕の後ろで学校のことを話しながら盛り上がったていた。担任の藤沢がどうの、だれそれとだれそれはもうすぐくっつきそうだとか。念のため程度に訊き耳だけは立てているけれど、どれも内輪過ぎる内容なので僕は口を挟めそうにない。……退屈だとは思わなかった。彼らには彼らの居場所があって、僕には僕の居場所がある。ただ、それだけのこと。

 ファミレスを通り過ぎて、百貨店手前にある横道に入る。

「こんなところ曲がるのか」

 と、柴犬は疑うような声音で呟いた。

「マイナーなところにあるんだよー」

 裏路地がマイナーなら表通りはメジャーで、Cコードで喩えるなら、それは〈ミ〉か〈ミ♭〉の違い。立寄るのに、ダンデライオンは最適な喫茶店だと言える。

「あ、猫だ」

 退屈そうに道路で寝そべる猫をして、春原さんが「にゃー」と鳴く。

 アンタが鳴くのかよ! とツッコむのは野暮ってもんだ。

 ダンデライオンの奥にあるコインパーキングの前で、黒猫がにゃんごろと寝返りを打った。路地裏には猫が住み着くものである。あの猫に名前はあるんだろうか? 視たところ首輪は嵌めていない。駐車場の猫は欠伸をするけれど、それはどうも夏の歌だよね。

「そういえば、黒猫に横切られると呪われるって話があったよな」

「あー、あったあった」

 僕が大袈裟に首を縦に振っていると──

「え? 幸せが訪れるんじゃないの?」

 春原さんは異議を唱える。

「海外では黒猫が魔女の使いとか、そういう言われかたをしていて、よくないイメージがあるらしいけど、日本だと黒猫は〝福猫〟って呼ばれたりしてるんだよね。〝我輩は猫である〟の猫も、たしか黒猫だった気がする」

 補足程度に説明したら、春原さんが「それそれ!」と、嬉々とした声を上げながら手を叩いた。

「魔女宅の猫が黒猫なのも、そういうことなのか」

 へーとかほーとか呟きながら、柴犬は一人でに納得したらしい。

「んじゃあ、〝救急車が通るときは親指を隠せ〟ってのは?」

「親が不幸にならないように、じゃなかったっけ」

「それは夜中に爪を切ると──じゃないの?」

「オレは口笛って訊いたぞ」

 三者三様に、話がごちゃごちゃになっている。

 僕が訊いた話だと、救急車が通るときに親指を隠す理由は、親に不幸が訪れないようにするためで、夜中に爪を切ると親の死に目に会えなくなり、夜に口笛を吹くとじゃが出る──だ。因みに最後の『蛇が出る』は『蛇』を『邪』と読み、悪いものが寄ってくるという意味に由来している。霊と交信するときに口笛を吹くのはそういう理由からきているという話だが、僕の知っている霊媒師は口笛を吹いたりしない。じっと眼を閉じて、精神を集中させているような仕草をする。まあ、オカルト番組なんだけど。そう言えば最近、心霊研究家の池田先生の姿を見なくなったな。能力的にチート過ぎたからだろうと、僕は思っている。

「ま、どれも迷信だけどな」

 一刀両断──柴犬の一言が会話を終わらせた。




「ずいぶんと窮屈そうな場所にあるんだな」

 雑居ビルと雑居ビルに挟まれているダンデライオンを視て、柴犬はそのままの感想をぼやいた。

「私もそれ思ってた。もっと立地条件のいい場所を選べばいいのにって」

 そうしなかったのは先代のマスターだ。

 照史さんは二代目のマスターであり、三代目はジェイソウルブラザーズ。ヤンキーが車のスピーカーで、爆音で流しているイメージ。たまに西野カナを流している車もあるけれど、E・YAZAWA車には勝てないだろう。『やっちゃえ』とか言われたら、違う意味で震える。

 僕が思うに、先代は『お客がゆっくりとくつろげる空間』を作りたかったんだろう。大通りに面した場所で営めば、それなりに収入も見込めるけれど、『飲んだらさっさと席を空けろ』ってプレッシャーがいけない。その分、裏路地に店を構えれば収入は少ないけれど、『知る人ぞ知る名店』になり得る可能性もあるし、もしかしたら探偵がいたりするかもしれないよ? それはBARだ。

「ここで立ち話してんのもアレだし、さっさと入ろうぜ」

 そうだね、と僕らは頷いた。

 しかしいっかなどうしてか、僕には『立場無し』と訊こえてしまって、自分のネガティブさにほどほど呆れ返ってしまった。





 * * *





 かろりんころりんとドアベルが鳴る。

 この音はいつ耳にしてもいい音色だ。小気味よい音代表、ドアベル。体育館の床を滑るバッシュの音と、なかなかいい勝負ができるんじゃないだろうか? どっちが好みかと問われたら、僕は迷わずドアベルを掲げるけどね。これ、勝負になっていなかったかもしれない。

「やあ、いらっしゃい──おや?」

 照史さんはいつも通りの人懐っこい笑顔で僕らを出迎えるが、柴犬の姿を視て、疑問を浮かべるように顎に手を置いた。

「初めまして、だね」

「あっす。柴田健です」

 あっす──ってなんだろう? おそらく佐竹ならその意味を理解しているはずだ。もっとも、それを説明できるかは、彼の語彙力にかかっている。頑張れ佐竹! と、心の中で心にもないエールを送っておいた。

「月ノ宮照史です。よろしくね、柴田君」

 柴犬は再び「あっす」と呟いて、恥ずかしそうに顔を伏せた。

「照史さん、おひさしー♪」

 ──ぶり、はどこへ? でも、ぶりの旬は過ぎたもんな。ゲッツ! というネタで一時期テレビに引っ張りだこになっていた芸人さんの『おひさしブリーフ』も、旬は過ぎてしまったもんな。だから春原さんは『お久しぶり』の『ぶり』部分を抜いたのかもしれない。ダンディ坂野さん、僕は応援してます。こっちは心を込めてエールを送る。

「やあ、凛花ちゃん。クリスマス以来だね。元気そうで何よりだよ」

 照史さんもご健在で何よりですよーと、まるで近所のおばちゃんよろしくな挨拶をして、まだ照れ臭そうにしている柴犬の腕をがっちり掴んだ。

「彼氏なんです!」

 自慢げにする春原さんと、『あっす』と言うだけのロボットに成り果てている柴犬の姿は、とてもとても対象的に視える。

「そうなんだ、恋が叶ってよかったね」

 と春原さんに微笑みかけた後、照史さんは僕のほうへ視線を向けた。

「あっす。照史さん」

「ふふ。それは彼に可哀想な挨拶だね。こんにちは」

 うなじ辺りを睨みつけるような視線を感じながらも、僕は気がつかない振りをして話を続ける。

「佐竹たちは来てますか?」

「そうだね、佐竹君だけ来てないよ」

 天野さんたち、と言えばよかった。

 佐竹は最近、遅刻することが増えた気がする。もともと時間にルーズなヤツだっけ? 協調を重んじるヤツが時間にルーズとは解せないな。僕の家よりは近いはずなのに、遅刻とはいい度胸じゃないか。

「二人は空いている席にどうぞ。──優志君は楓たちが座っているからそっちだよね? 先に注文しておくかい?」

「いえ、今日は後にします」

 そのほうがいいかなと思ったのは、サンドイッチを注文する際に一緒に注文でいいと思ったから。でも、よくよく考えると佐竹がまだ来ていないので、ドリンクだけ注文しておいてもよかったと、席に座って、天野さんたちに挨拶をしてから後悔した。

「二人ともおひさしー」

 だから、はどこへ行ったんでしょうねぇ。

「凛花がここに来るなんて珍しいわね? ──隣にいる人は、もしかして」

「オレは柴田健。一応、コイツの彼氏」

 わあっと声を重ねて驚いた二人は祝福しつつ、それぞれ自己紹介を終わらせた。

「優志さんとご一緒に来たみたいですが、もしかして、中学時代のクラスメイト──では御座いませんか?」

「ご明察の通りだよ、月ノ宮さん。そこまで仲がよかった記憶は無いけどね。お互いに」

「そうだな。お前はいつからか一人行動するようになったから、そっから疎遠だった。お互いにな」

 然し、どういう巡り合わせなのかこうして再び出会ったのだから、世間は狭いと言わざるを得ない。ファッションセンター島村で会ってから、もう二度と会うことはないと思っていたんだけどなぁ。出会いたくなかった──と言うのが本音。

 柴田健を視ると、どうしても嫌な思い出が蘇ってしまう。劣等感に苛まれていた日々が、まるで走馬灯のように駆け巡るんだ。

 どうも今日は、いつものダンデライオンでも居心地の悪さを感じてならない。

 柴犬は変わった──イキりイキっていたあの頃の柴犬はもういない。怖い先輩もいないし、ここには僕を認めてくれた友人もいる。だけどやっぱり、僕はこの中で一番劣っているんじゃないかと、そう思って止まない。『そんなことないよ』という一言が欲しいわけじゃないけれど、生きた心地のしないこの空間で、僕がこの場に居てもいいという証明が欲しかった。

 そんな証明、どこにも有りはしないのに──。

 鞄の中も、机の中も、交差点にも、夢の中にも、探したって見つかるはずはない。だからと言って、『ふふっふー♪』と鼻歌交じりに踊ろうとは思えないのは、一つの時間も、一つのチャンスも無いと、過去の僕が知っているからだ。

 ──いけないいけない、と頭を振る。

「どうかしたの?」

 天野さんが心配そうに、眉を落としている。

「大丈夫、心配ないよ」

 僕がイーノックだったら間違いなく敵にフルボッコにされて、多分、神は何も言わない。

「……」

 柴犬と眼が合ったような気がした──それもきっと勘違いだ、と思う。

 がらんごろん──小気味よい音を奏でるはずのドアベルが、調子外れな音を鳴らした。

「照史さん、ちっす!」

 さっきから『あっす』とか『ちっす』とか、それどこの部族の挨拶だよ。

「悪い、少し遅れ──」

 肩で息をしながら登場した佐竹は、オシャレ坊主に視線を向けながら首を傾げた。

「梅高生じゃないよな? ……優志の友だちか?」

 その下りはもうやったんだよ、佐竹。

「オレは柴田健。コイツの彼氏だ」

 柴犬も柴犬で、先程から同じ台詞しか言わないな。まるでゲームに出てくる村人だ。

 ここはダンデライオンです。

 ここはダンデライオンです。

 あっす、あっす、あっす……。

 佐竹は「マジか!」と一驚してから、自己紹介を終える。

「私たちはこれから昼食にするんだけど、よかったら凛花たちも一緒にどう?」

 それはよい案ですねと、月ノ宮さんは胸の前で手を叩いた。

「僕は構わないけど、春原さんたちはせっかくの時間を邪魔されたくないんじゃない?」

 どうよ──と、柴犬あっすの顔を窺う。

「凛花がいいなら、オレは構わないが」

 へえ……、あの柴犬が彼女の意思を尊重するのかと感心。

「じゃあ、お言葉に甘えようかな。せっかくみんなに会えたし」

 それからの柴犬は、結構なジェントルマンぶりだった。

 彼女の分の椅子を用意したり、水を持ってきたり、エアコンの風が暑くないかと声をかけたり──僕の知っている小物だった柴犬は、まるでドーベルマンさながら、彼女に尽くしている。

 これは、勝てないな──そう思った。

 勝ち負けのある勝負はしてないけど、自分と柴犬の間には大きな壁がある気がする。

 僕はまた、彼に劣等感を抱くのか。

 食事は大勢で食べたほうが美味しいと言うが、あれは嘘だ。もし嘘じゃないのなら、どうして僕が注文したピタサンドは、味が全くしないんんだろう。









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