【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

二百二十五時限目 春休みには何をするべきかと佐竹義信は問う


 バスの中から見える景色は、まだ寒々しい冬の風景だ。

 今年の冬は長いらしい。朝、学校に行く準備をしている時に観たニュース番組で、天気予報士が笑顔で言っていた。

 夏の終わりから冬にかけての気温の変化は著しく、秋を感じることなく冬将軍が到来して、紅葉を楽しむ間も無く本格的な寒さとなった。

 冬は寒い、だから嫌いだ。

 寝起きは辛いし、水も冷たいし、お風呂場だって凍えそうになる。東北に住む人々からすれば、関東の冬なんて屁の河童だろうけれど、冬に慣れていない僕らには、昨今の冬の寒さは堪える。まあ、寒さでマウントを取りたくなる気持ちはわからなくもない。北海道の夏も暑いから、たった氷点下数度で騒ぎ立てるな、と感じるんだろう。『こっちは暑さも寒さも味わってるんだ』みたいな感じ。……ちょっと違うか。

 この厳しい冬を乗り越えれば、もうすぐ春が訪れる。

 それは、生温かい春風が告げるのか、桜の花が咲き乱れる時なのか、たけのこや菜の花、あじしらうお、牡蠣、ホタルイカが運んでくるのかも知れない。

 この季節になると凄惨なニュースの後に、最近推されている女子アナウンサーの『旬の肴が美味しいですね、んーふー』が始まる。それも春らしいと言えば、そうだなと思うけれど、惨たらしいニュースを視た後にそんな情報を提供されて、僕らは何を思えばいいんだろうか。

 然し、春は誰にだって訪れる。

 善人にも、悪人にも、春よこいこいと歌わずとも。

 教室の隅っこで存在感を消しいている僕にだって──最近は消しきれてはいないけれど、春はちゃんとやってくる。

 ただ、今回、春を運んできたのは、風吹けば名無しさんの手紙だった。

 膝の上に抱えている鞄の中に、件の手紙がノートとプリントの間に挟まっている。ぐしゃぐしゃにしてしまったら、風吹けば名無しさんに申し訳ない。だから、ぐちゃぐちゃにならないように、ノートとプリントの間に挟んだ。

 あの手紙には、どんな内容が記されているのだろう──。

 僕の隣には佐竹が座っていて、通路を挟んだ奥に、天野さんと月ノ宮さんが笑顔で談笑している。さすがにここで、興味津々に封を切るわけにもいかない。今は忘れよう。そして、帰宅してからイタズラかどうかを見極めればいい。

 ラブレターか、と頭の中で呟いた。

 これまた偉く、古典的な方法を選んだものだ。

 最近の告白は、電子媒体を利用する方法が主流と言っていいだろう。その中でもメッセージアプリを用いた告白が主体で、もしも告白が失敗しても、『ネタだよ』で済ませられる。

 僕が中学生だった頃、『嘘コク』なんていうものがあったのを思い出した。

 これも一種のネタというか、度の過ぎたイタズラであり、基本は罰ゲームで行われる。その内容は、『自分が好意を抱いていない相手に、嘘の告白をする』というもので、よくもまあ、こんな最低最悪な非人道的行為が流行ったものだ。後にこれが問題視されて、学校側から禁止令を言い渡され、この嘘コク問題は下火になっていった。

 今思い出しても胸糞の悪い出来事だが、今回の手紙はそれと違うのだろうか? いやいや、ついさっき『忘れよう』としたばかりじゃないか。それよりも今は、佐竹の提案について、どう反対意見を述べるかを考えるべきだろう──反対すること前提かよ。




 * * *




 ダンデライオンは珍しく静かだった。

 客が少なくて閑散としているのはいつものことだけれど、それにしたって静か過ぎる。

 ──ああそうか、今日は店内BGMが流れていないんだ。

 無音の店内には、物音がやたらと響く。

 照史さんが珈琲を淹れる音、カップと受け皿が重なる音、床を擦る足音、通りを走る車の走行音──静かな空間に、それらが際立って響いているが、たまには物音を楽しみながら、程よい酸味と苦味のある照史さんブレンドに舌鼓を打つのも悪くない。

 ダンデライオンに通うようになってから、今まで以上に珈琲の味がわかるようになった。『どの豆がどういう特性を持っているか』までを、正確に判断できるようになるには、もっと勉強が必要だけれど、自分の好みがどういう味なのかは把握できた。ただ、これ以上に珈琲界に足を踏み込もうとは思わない。いつまでものんに、自分の好きな珈琲を飲んで、小説のページを捲っているのが性に合っている。

 各々の珈琲が手元に渡り、半分くらい飲んだところで、佐竹がようやく口を開いた。

「んじゃあ、そろそろ始めようぜ」

 僕らは首肯して、次の言葉を待った。

「よし。じゃあ始めるか」

「それは今しがた訊いたわよ」

 どれだけ始めたがりなの? と、天野さんは呆れ顔で言いす。

「まるで、パソコンのタブをいくつも開いているような感覚ですね」

「そう。正しくそれよ」

 月ノ宮さんの喩えに、天野さんは手を打って同意した。

「司会進行は柄じゃねぇんだよ。……で、本題に入るけど、お前ら、春休みって言ったらなにを想像する?」

 春休みと問われて想像するもの、か──特に無いな。

 夏、冬の休みだったら、それなりに楽しむものもあるけれど、春と言われてピンと来ないのは、僕がこれまで春休みに、これと言ったレジャーを楽しんでいないからだろう。高校生の分際で温泉旅館に出向き、懐石料理を堪能するなんて以ての外だ。結局、僕は温泉くらいしか案を持ち合わせていないが……あれ? 反対意見はどこに行った?

「そうですね……、室内プールがあるホテルや、自然に囲まれた牧場などが春休みの定番ではないでしょうか? まだ雪が溶けていないゲレンデに赴いて、スキーやスノーボードという案も御座いますが、どこへ行っても混雑しているでしょうね」

「遊園地という手もあるけど、それも同じね」

「春休みなんだから、人混みは避けられねぇよ。──優志はどうだ?」

「僕は」

 自宅で自由気ままに過ごしたい。……なんて言える雰囲気じゃないな。

「温泉、とか?」

「おんせん?」

 と、三人の声が重なった。

「地熱によって、平均以上に熱せられて湧き出た泉のことだよ。浴用はもちろん、飲用しても医療効果が期待できる」

「温泉の意味を訊ねたわけじゃねぇよ!? つか、どうして温泉なんだ?」

「それはまあ、疲れを癒すには温泉かなって」

 なるほど確かに、と月ノ宮さんが反応した。

「悪くないわね、温泉」

 天野さんも案外乗り気でいる。

「恋莉さんと一緒に温泉──感慨深いものがありますね」

「無いわよ」

「ねぇよ」

「ないかな」

 僕らのツッコミに怯むような月ノ宮さんではない。それどころか、一人で一気にヒートアップしていく。

「佐竹さん。これはもう温泉しかありません。いいえ、温泉以外の選択肢なんて、そもそも存在しなかったのです──では、ここからは私が取り仕切りましょう。佐竹さんでは荷が重いでしょう? 重いですよね?」

「お前の圧が重てぇよ……わかった。そこまで言うなら任せるけどよ、恋莉は温泉でいいのか?」

 こうなってしまったら、月ノ宮楓を止められる者は、この地球上に存在しないだろう。天野さんも「構わないわ」と頷いた。

 どうしてこうなった? と、僕は一考する。

 温泉なんて、若者が好んでいくような施設ではないだろう。……特に佐竹。彼のようなDQNすれすれの男が温泉に同意するとは意外だった。まさか、女湯を覗こうとか言い出す気じゃないだろうな? ──って、そんなことをするようなヤツじゃないのは、僕も、前に座っている女子二人もわかっている。では、佐竹の真の狙いとは一体? ……あ、僕か。

 温泉は混浴でもない限り、男女に分かれて入浴することになる。男性は男湯、女性は女湯で、その中間は無い。僕のような事情を持っている人は、おそらく、部屋にお風呂があるタイプの温泉宿を選ぶのだろうけれど、僕はカトリーヌさんのように、『生まれてからずっと女性だ』という認識は無い。仮に僕もそうだったなら、ここで『部屋風呂のある宿にしてくれ』と頼むのだが──どうして僕は、宿泊前提に考えているんだ? 別に日帰りでいいじゃないか。宿泊するにはお金がかかるし、そこまで親に請求するのは心苦しい。というか、あの両親こそ、温泉に浸かるべきだろう。

 僕みたいな若造が温泉で英気を養ってどうする? である。

 温泉宿なら、一泊二日でも、一人当たり三万はするんじゃないか? 高級そうなイメージしかないし、それよりも高い部屋で、文豪が筆を走らせている風景が眼に浮かぶ。これはさすがに『春休み』の域を超え過ぎだ。自分で提案していて難だが、掘った墓穴を埋めなければならない。

「月ノ宮さん。もしかして宿泊を考えてたりしないよね?」

「そのつもりですが、何か問題でもありますか?」

「いやいや、問題だらけでしょ。その資金をどう捻出すればいいのさ」

 僕の言葉に、佐竹と天野さんは「うーむ」と唸った。二人とも、そのことに関しては思うところがあるらしい。

「日帰りでいいんじゃない? わざわざ宿泊しいなくても──」

 天野さんがそう口にするや否や、月ノ宮さんは両手でテーブルを叩いて立ち上がった。カップと受け皿がかちゃりと鳴り、照史さんがこちらをちらりと視る。それに気づいた月ノ宮さんは、「すみません」と平謝りして腰を下ろした。

「行くのなら宿泊、これは絶対条件です」

 なるべく興奮を抑えながら、それでも主張は曲げないようだ。

「そう言ってもな? さすがにうん万円も出せねぇよ。普通に、ガチで」

「お金が問題でしたら私が──」

 それは駄目よ、と天野さんが苦言する。

「自分のお金で全てを解決しようというのは、楓の悪い癖だわ。それに、探せば安い宿が見つかるかもしれない。先ずは調べて、交通費含めていくらかかるのかを計算してから、意見を持ち寄って考えるのが筋道でしょ? 思考が短絡的になり過ぎよ」

 すみませんでした──と、月ノ宮さんはしょんぼりしながら顔を伏せる。

 天野さんの意見は最もだ。

 僕らはこれまで……いや、このなかでも僕が一番、月ノ宮さんのお金に頼ってしまっていた。それなのに、今回も月ノ宮さんに支払って貰ったら、これから先も月ノ宮さんに甘えてしまう可能性が高い。それは一番、してはならない行為だ。

 お金というのは人生を豊かにもするけれど、破滅へと向かわせる諸刃の剣でもある。宝くじで億万長者になった人が、その後、不幸に見舞われるという話も訊くくらい、お金にはそれだけの力が備わっていると言えるだろう。だから、僕らみたいな未成年は、『奢られる』ということに慣れてはいけない。それを『日常』としてはいけないんだ。

「楓の気持ちは嬉しいわよ? でも、私たちにだってできることがある。何が最善策なのか、一緒に考えてくれるわよね?」

「はい! ああ、……恋莉さん、とっても素敵です」

「はいはい。わかったから腕に引っ付かないで」

 天野さんの腕に引っ付いて、頬を擦り付けている様は、『これは私のものだから渡さないぞ』と、マーキングしているようにも見えた。二人の仲がそこまで深まったのはいいことだけど、……何だかもやもやする。これは嫉妬だろうか? いや、嫉妬ではない。それとはまた違う別の感情だ。でも、その正体が何なのかは、はっきりと表現できない。

 ──ただ、もやもやしている自分が気持ち悪い。

 この感情はよくないものだ。

 僕は冷えてしまった珈琲と一緒に、をごくりと呑み下した。










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